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アドバンスレーザーの金型修理の合間に。。

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2005.11.08
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カテゴリ:独立起業物語
 通学のために買ったのは50ccのバイクでした。特にバイク友達がいたわけでもありませんでした。しかし不思議なもので、バイクに乗っているとバイク友達があっという間に出来ていくものです。
 その友達の中の一人にある日、峠に連れて行ってもらいました。はまりました。いわゆる走り屋というやつでしたが、センセーショナルでした。
 1年後には免許もバイクも400ccになり、峠最速なんていってました。
 勉強は、中学までと違い高校に入るとまったくついていけなかったので(人生で初の屈辱がこの勉強についていけないということでした)現実逃避の意味もありバイクにはまり、レーサーになりたいと思い始めたのもこのころでしたね。
 
 とうとう進学もせずに「レースがしたい」なんていって高校卒業。地元ガソリンスタンドに就職しました。
 最初はミニバイクレースを始めました。すぐに地元のチャンピオンになりいよいよ本格的なレースに参戦することのなったのが20歳くらいだったと思います。
 地元の峠で最速だとか、ミニバイクレースでチャンピオンになったとか、だいぶテングな自分の鼻が根元からたたき折られた人生2回目の大きな屈辱はこのころです。通用しないんです。練習走行では邪魔者扱い、予選は落ちてばっかり、はてはバイクもまともに整備できずにトラブル続出。
 そんな状態を何とか乗り越えて、国内ライセンス選手権で年間ランキング2位になり国際ライセンスに昇格したのが26歳のころ。
 このころにはさすがにガソリンスタンドの給料ではやっていけるわけもなく、昼は土木、夜はピザの配達のバイトをしていました。

 国際ライセンスに昇格後の初レースはいきなり予選1位でした。が、よかったのはここまで。その後3年間はまったく見せ場の無いシーズンを過ごしました。
 復活はそれから3年後の29歳の時。シーズン当初から調子がよくなんとその年は、国際ライセンスでの選手権で年間チャンピオンになりました。しかし、金を使いすぎました。もうレースは続けられません。

 いよいよレースを引退して、まじめに土木で生きていこうと、土木2級施工管理技師、土木1級施工管理技師、舗装2級と、立て続けに資格を取りました。でもそのころから上司とうまくいかなくなります。
 従来の負けん気の強さと、筋の通らないことは大嫌いな自分の性格が出てきてしまったのですね(汗)今までは「レースのためだ」と思い我慢してきたことが、レースをやめたことで我慢できなくなったのです。
 上司の間違った意見に「そうですね」と愛想笑いをしながら返事をして陰に行って上司の悪口を言っている周りの環境や上司に我慢できなくなり言いたいことをしっかり伝えてやめてやりました。

 そして次の会社に勤めたのがきっかけで独立起業をすることになったのです。いったい何に出会ったのか?って、やっと本ブログの本題に突入です
 
 





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Last updated  2005.11.15 21:13:02
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