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テーマ:政治について(19800)
カテゴリ:格差社会
昨日の日経新聞夕刊の一面に面白いコラムが載っていた。
社会主義体制の崩壊による冷戦の終結は本当に慶賀すべきことだったかというような趣旨のもので、社会主義がうまくいかなかったのは、結局、人間がそれほど立派なものではなかったというだけのことではないかということが書いてあった。 たしかにあの計画経済がうまくいくためにはとてつもない叡智が必要だし、結果の平等を建前とする社会でモラールを維持するためには、「一人は万人のために、万人は一人のために」という善良な人間性を前提にしなければならない。 社会主義は人間は神のような存在であることを前提とするが、資本主義は人間を欲望の塊と前提するといわれるゆえんである。だから社会主義が崩壊して資本主義が残ったとしても、それは「自由」とか「民主」とかいう高尚な理念が勝利したというわけではない。 ※ 思えば社会主義が生まれたのは、資本主義下の自由競争の結果、多くの敗者と悲惨が生まれたからではなかったか。揺籃期の資本主義の悲惨が思想ではマルクス、文学ではディケンズを産んだわけである。そして冷戦崩壊後の資本主義は、再び、そんなむき出しの弱肉強食の自由競争の方向に向かっているように思う。格差の議論になると、いつも格差拡大は世界規模の潮流でやむをえないという人がいるが、たしかにこうした競争の激化は世界規模で起きているのだろう。 ※ 弱肉強食の自由競争の行き着くはては多数の貧困者の絶対的窮乏と共同体の崩壊である。しかもこの新しい格差は、根源的には「能力の格差」を理由としているだけに、敗者にとってはより救いがない。19世紀、つまり初期資本主義にみられるような生産手段の所有と相続を理由とする格差、つまり資本家・地主階級と労働者・貧農階級との格差と今日の格差とはわけが違うのである。「機会の平等」や再チャレンジだけでは、決して今日の格差の処方箋にはならない。 この貧困者の窮乏と共同体の崩壊という現象はもうすでに起き始めている。 生活保護世帯の激増は多くの自治体で問題となっているし、北九州市の餓死事件は先進国の珍事としてニューヨークタイムズでも報道された。駅員への暴力など大小様々の犯罪は増えているし、モンスターペアレントの問題などもこの一環ではないか。 ※ 思えば日本というのは農村共同体の歴史が非常に長く続いてきた国である。 共同体の中では凄まじい格差はなかったし、農業というのも個人の能力の差がそんなにむき出しにはならない。自由競争の結果としての格差拡大…ということ自体、日本社会にとっては、もしかしたら初めての経験なのかもしれない。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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>社会主義がうまくいかなかったのは、結局、人間がそれほど立派なものではなかったというだけのことではないか
ここで諦観し立ち止まっては進歩をあきらめることになりますね。日本も社会主義国以上に福祉が充実した時代がありました。 地域という共同体から会社という共同体に重心が移りこれもバブル崩壊にあわせてこれも崩壊しつつあるようです。弱肉強食の自由競争による秩序破壊へ歯止めをかける新しい共同体がいろいろ模索されていると思います。悪い方向は新しい全体主義。 >北九州市の餓死事件は先進国の珍事としてニューヨークタイムズでも報道された 「生活保護」を資格の問題と捉える見解が向こうにはあるようですが、それが結果にどう影響するのかわかりにくいところでした。「資格」=「権利」で、主張し実現するのが市民の義務になるのでょうか? >自由競争の結果としての格差拡大 下克上の戦国時代を想像してしまいました。ここでの自由は、形成過程の秩序内での自由になりそうですが。 (2007年11月07日 09時58分56秒)
社会主義も資本主義との「冷戦」という「商売」のために作られたものです。
搾取が終われば「次の手」を考えるだけです。 民族、宗教、人種、民主化、人権、テロなど、次から次へと「商売」の種が芽吹いてきています。 さて「格差」ではなく、「エリート化」が進んでいると思います。 「エリート」とは「精鋭」ではなく、「他の者を排斥する」者のことです。 (2007年11月07日 11時35分30秒)
蜆汁硯海さん
>弱肉強食の自由競争による秩序破壊へ歯止めをかける新しい共同体がいろいろ模索されていると思います。悪い方向は新しい全体主義。 それが重要なことですね。 >「資格」=「権利」で、主張し実現するのが市民の義務になるのでょうか? 生活保護を「恥」ではなく権利と考える世代が台頭してくれば福祉窓口はもっともっと混んでくるでしょうね。 (2007年11月08日 06時48分38秒)
健康かむかむさん
>「エリート」とは「精鋭」ではなく、「他の者を排斥する」者のことです。 格差とかエリートとかが悪いというのではなく、その結果、膨大な貧困層がでてくることが問題ですね。このままでは日本もそのうち少数の富者と多数の貧困者という途上国型社会になっていくのかもしれません。 (2007年11月08日 06時51分19秒) |