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土井中照の日々これ好物(子規・漱石と食べものとモノ)

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2018.09.18
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カテゴリ:夏目漱石

 
 大正元年、広島の井原市次郎から干した鮎が送られてきました。漱石は、早速お礼の手紙を9月22日に送っています。「啓 広島産干鮎御送り被下難有存候。小生は生鮎よりも干した方が好物に候。短冊代は請求する積でもなんでもなく只便宜上当方にで買いととのえ候ものなれど折角の事故御受取可申上候。不折氏への揮毫料は高が短冊故十円にて充分と存候。もっとも短冊よりは画の方に価値あるは無論故価格はどうともつけよう次第なるべく候。ただ揮毫料としてならそれで済むかと存候。右御返事迄 匆々
 井原市次郎は漱石の学友で、『木屑録』作成のための房総旅行に同行しています。市次郎は慶應義塾を卒業して広島へ帰り、家業の清酒販売店を引き継ぎました。
 漱石は、川魚よりももっと濃厚な味のものが好きなのですが、その反面、季節を感じるものには、愛着を感じています。鮎は、その味よりも、季節の便りとして愛したようです。
 
 大正3年には名古屋の田島道治から鮎が届き、7月17日にお礼を出しました。季節が夏なので、氷とともに鮎が送られてきたため、郵便夫は水が出て困ると文句をいったそうです。「拝啓 その後は御無沙汰。御恵投の鮎、今朝着。すぐ腸をさき午餐の膳に上せました。大変美事なもので、玉川辺ではとても見られない大きなものです。あつく御礼を申します、配達夫が水が出る出るといってぶつぶついっていたそうですが、箱のなかの氷が解けたのでした。右不取敢御礼まで 匆々
 翌年も同じく田島道治から鮎が送られてきました。「長良川の鮎をありがとう。大変大きくて旨う御座います、玉川などのは駄目ですね。あれを食べてからあゆが急に好きになりました」とお礼を述べています。
 
 田島道治は、漱石の教え子のようですが、東京帝大時代には新渡戸稲造を敬愛し、新渡戸家に書生として住み込みをしています。鶴見祐輔、前田多門、岩永裕吉とともに「新渡戸四天王」と呼ばれていますから、どこかで漱石との接点があったのでしょう。
 

 
 車が動きだして二分もたったろうと思うころ、例の女はすうと立って三四郎の横を通り越して車室の外へ出て行った。この時女の帯の色がはじめて三四郎の目にはいった。三四郎は 鮎の煮びたしの頭をくわえたまま女の後姿を見送っていた。(三四郎 1)
 
 四角へ出ると、左手のこちら側に西洋小間物屋こまものやがあって、向こう側に日本小間物屋がある。そのあいだを電車がぐるっと曲がって、非常な勢いで通る。ベルがちんちんちんちんいう。渡りにくいほど雑踏する。野々宮君は、向こうの小間物屋をさして、「あすこでちょいと買物をしますからね」と言って、ちりんちりんと鳴るあいだを駆け抜けた。三四郎もくっついて、向こうへ渡った。野々宮君はさっそく店へはいった。表に待っていた三四郎が、気がついて見ると、店先のガラス張りの棚たなに櫛くしだの花簪はなかんざしだのが並べてある。三四郎は妙に思った。野々宮君が何を買っているのかしらと、不審を起こして、店の中へはいってみると、蝉せみの羽根のようなリボンをぶら下げて、「どうですか」と聞かれた。三四郎はこの時自分も何か買って、鮎のお礼に三輪田のお光さんに送ってやろうかと思った。けれどもお光さんが、それをもらって、鮎のお礼と思わずに、きっとなんだかんだと手前がっての理屈をつけるに違いないと考えたからやめにした。(三四郎 2)
(この前に「三輪田のお光さんが鮎をくれたけれども、東京へ送ると途中で腐ってしまうから、家内で食べてしまった」という実家からの手紙が来ていて、三四郎はそのお礼を考えたのでした。)
 
 友人は時々鮎の乾したのや、柿の乾したのを送ってくれた。代助はその返礼に大概は新らしい西洋の文学書を遣った。するとその返事には、それを面白く読んだ証拠になる様な批評がきっとあった。けれども、それが長くは続かなかった。(それから 11)





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最終更新日  2018.09.18 00:01:59
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