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カテゴリ:正岡子規
明治32(1889)年10月21日、「ホトトギス」が東京に移転して2年目の記念会が開催されました。午後4時すぎ、ホトトギス発行所に集まったのは、子規、高浜虚子、下村牛伴、河東碧梧桐、寒川鼠骨、大谷繞石、石井露月、坂本四方太の8人。この会で闇汁を催すことが満場一致で決まり、それぞれが買い物に出かけました。子規はひとり、横になってみんなの帰りを待ちました。 遅れて来た内藤鳴雪は、持ち寄りの品の買い物に出かけるときに「下駄の歯が出てきてもよいのですか」とギャグをかまします。帰った面々は台所に入って、材料を自分で洗って切っています。クスクスという忍び笑いや、大きな笑い声が聞えます。 準備ができるまでに句会を催そうとの意見が出て、「柿」の題で句会が開かれました。五百木瓢亭、松瀬青々が遅れてやってきました。 大鍋が座敷の中央に据えられ、鍋を囲んで坐する人たちと臥せている子規、いずれも目を丸くし、鼻息を荒くして鍋の中を覗き込んでいます。 鳴雪が「飯を喰うて来て残念」といいつつ、椀を取ってなみなみと盛りました。右回りに順を追ってそれぞれが汁を盛ると、回って半分にも至らないのに、鳴雪は既に二杯目をすすって「実にうまいです」と感想を述べていました。鍋の中には、南瓜、里芋、蓮根、蕪、竹輪、柚子、麩、豚肉、魚、蛤などが入っていました。杓子ですくうと「あん餅がかかったぞ、誰だ大福を入れたのは」と碧梧桐が叫んで皆が笑いました。これは虚子の仕業です。 鳴雪、碧梧桐、四方太、繞石、子規、虚子も「うまい」といいます。露月だけはうまいとも言わずに、たちどころに三杯も食べ尽くしています。 下戸も食い、上戸も食い、すこやかな者も食い、病める者も食い、食いに食うて鍋の底が現れると、第二の鍋がやって来ました。みんなが腹をなでて手を休めていると、露月は黙々として四杯目を椀に盛っています。初めは「牛飲馬食」の勢いでしたが、「牛を飲み馬を食う」状態となりました。第二の鍋はまだ半分も食べ切っていないのに、みんな満腹となり、グロッキー状態になってしまいました。 子規は病身に疲れを感じ、柿腹を抱えて先に帰りました。好きな柿を最初にたくさん食べていたため、お腹がいっぱいになっていて、闇汁があまり食べられなかったのです。 闇汁会は、この年の12月26日にも開かれています。中村不折の書室新築祝い、文部省試験合格で田辺中学に赴任する折井愚哉を送る33年2月 26日の会、33年11月23日の新嘗祭に子規庵で催された「鶏頭闇汁会」などで行われています。 「鶏頭闇汁会」では、出席者に文章が回され、「草盧飲食会会規」が出されますが、そこには「来ねば来ず来れば来て食ふ素話に食はずに帰る客はいやいや」という歌が添えられていました。 一、時は明治卅二年十月二十一日午後四時過、ところは保等登藝須(ホトトギス)發行所、人は初め七人、後十人半、半はマー坊なり。 一、闇汁の催しに群議一決して、客も主も各物買いに出ず。取り殘されたる我ひとり横に長くなりて淋しげに人々の帰を待つ。 一、おくればせに来られし鳴雪翁、持寄りと聞いて、匇々に出で行きたもう。出がけに「下駄の歯が出て来てもよいのですか」と諧謔一番。 一、一人帰り二人帰り、直に台所に入りて、自ら洗い自ら切る。時にクスクスと忍び笑う声、忽ちハハハハハハとどよみ笑う声。 一、準備出来るまでに一会催すべしとの議出ず。座上柿あり、柿を以て題とす。鳴雪翁曰く十句の時はきっと句が失せますと。果して然り。 一、飄亭、青々後れて到る。物無く句無し。 一、一個の大鍋は座敷の中央に据えられ、鍋を囲んで坐する人九人、伏す人一人、いづれも眼を丸くし、鼻息を荒くして鍋の中を睥睨す。鍋の中から仁木彈正でもせり上りそうな見えなり。ぬば玉の闇汁会はいよいよ幕あきとなりぬ。 一、鳴雪翁曰く、飯を喰うて来て殘念しましたと。先づ椀を取つてなみなみと盛る。それより右廻りに順を追うて各盛る、廻って未だ半に至らず鳴雪翁既に二杯目を盛る。「実にうまいです」。 一、盛るに從って杓子にかかるもの、青物類はいうに及ばず、豚あり、魚あり、餅あり、竹輪あり、海の物、山の物、何が何ということを知らず。只かからぬは一寸八分の觀音樣あるのみ。 一、鍋の中を杓子にてかきまぜながら「ヤー餅がかゝったぞ、誰だ誰だ、大福を入れたのは」と碧梧桐叫ぶ。皆々笑う。もとより入れたものの外に入れたものを知らず。 一、鳴雪翁曰く、うまい。碧梧桐曰く、うまい。四方太曰く、うまい。繞石曰く、うまい。我曰く、うまい。虚子曰く、うまい。露月独り言はず、立どころに三椀を盡す。 一、マー坊(清の子供)出没常無し、ここに隱れ彼処に現る。あるいは飯櫃の辺に彷徨し、あるいは碧梧桐の膝に上る。やがて向い側にある父の顏を見るやその側こいしく、碧梧桐の背を通り拔け牛伴のうしろより進まんとし、忽ち鳴雪翁の髯に逢著して泣き泣き走り返る。鳴雪翁直ちに髯を掩うて曰く、わるかったわるかった。 一、下戸も喰い、上戸も喰い、すこやかなる者も喰い、病める者も喰い、飯喰うた者も喰い、飯喰わぬ者も喰う。喰い喰いて鍋の底現るる時、第二の鍋は来りぬ。衆皆腹を撫でて未だ手を出さざるに、露月默々として既に四椀目を盛りつつあり。 一、初は牛飮馬食の勢あり。中頃は牛を飮み馬を食うの慨あり。第二の鍋未だ半を尽さざるに、胃満ち神疲れ、漸く牛に飮まれ馬に食われんずるの有樣を示しぬ。我は柿腹を抱えて衆に先だって帰る。 一、図中の名は各人の位置を示し、名の下には各の持寄り品を示す。但し後日調べたる者と知るべし。 一、名の上に記したる句は各人の作なり。 一、鳴雪翁は別に蛤一箇宛を椀に入れて各に配る。これに湯を注げば蛤自ら開きて昆布、辻占、麩、鰕など躍り出る仕掛なり。 一、四方太闇汁十句の作あり。その内 芋買うて歸れば露月既に在り 四方太 闇汁の南瓜におくれ里の芋 同 芋五合大汁鍋の底に在り 同 里芋を二つの鍋に分ちけり 同 芋入れて汁が煮えくりかへるかな 同 芋買うて臺所から上りけり 同(闇汁圖解 明治32年11月10日発行「ホトトギス」)
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