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土井中照の日々これ好物(子規・漱石と食べものとモノ)

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2019.09.29
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カテゴリ:正岡子規
   目にちらり木曽の谷間の子規(明治24)
   木曽川に信濃の入梅の濁り哉(明治25)
   あら恋し木曽の桑の実くふ君は(明治27)
 
 明治24年6月から7月にかけて、子規は木曽旅行に出かけます。学年試験を放棄して、木曽路を巡り、その足で松山へと帰郷しました。
 目的は、明治22年9月に刊行され、同世代の幸田露伴が書いて評判となった小説『風流仏』の舞台を訪れることで、心酔する露伴の小説と現実を比較してみようと思い立ったようです。あわせて、松尾芭蕉の句碑を訪ねています。
 
 子規の『風流仏』のあらすじをいうと、生まれ育った京都を出て木曽路を旅をする仏師の珠運は、ある時、木曽の宿屋で、名物の花漬を売りに来る「お辰」という女に一目惚れをします。やがて二人は恋に落ちますが、運命のいたずらによって娘を奪い去られてしまいます。珠運は、あばら家に籠って、娘の姿を彫刻に彫り続けると、仏像は娘のかたちとなり、珠運と仏像は互いに手を取り合って天に昇っていくというものです。
 二人が出会う場面は次の通りです。
 
 名物にうまき物ありて、空腹に須原のとろろ汁、ことのほか妙なるに、飯幾杯か滑り込ませたる身体をこのまま寝さするも毒とは思えどすることなく、道中日記注け終いて、のつそつしながら煤びたる行燈の横手の楽落を読めば、山梨県士族山本勘介大江山退治の際一泊と禿筆(ちびふで)の跡、さては英雄殿もひとり旅の退屈に閉口しての御わざくれ、おかしきばかりかあわれに覚えて、初対面から膝をくずして語る炬燵に相宿の友もなき珠運、微かなる埋火に脚おり、つくねんとして櫓の上に首投げかけ、うつらうつらとなる所へこなたをさして来る足音、しとやかなるは踵かかとに亀裂きらせしさき程の下女にあらず。
 御免なされと襖越しのやさしき声に胸ときめき、為かけた欠伸を半分噛みて、何とも知れぬ返辞をすれば、唐紙するすると開き丁寧に辞義して、冬の日の木曾路さぞや御疲れに御座りましょうが、御覧下されこれは当所の名誉・花漬。今年の夏のあつさをも越して、今降る雪の真最中、色もあせずにおりまする梅、桃、桜のあだくらべ、御意に入りましたら蔭膳を信濃へ向けて人知らぬ寒さを知られし都の御方へ御土産にと、心憎き愛嬌言葉商買の艶とてなまめかしく、売物に香を添ゆる口のききぶりに利発あらわれ、世馴れて渋らず、さりとて軽佻にもなきとりなし、持ち来りし包静かにひらきて、二箱三箱差し出す手つきしおらしさに、花は余所になりてうつつなく覗き込むこなたの眼を避けてそむくる顔、折から透間洩る風に燈火動き、明らかには見えざるにさえ隠れ難き美しさ。(幸田露伴 風流仏)
 

 
 子規は25日に上野から汽車で横川へ行き、馬車で笛吹嶺を超えて軽井沢に泊まります。26日は浅間山を眺望して善通寺へ詣で、稲荷山で雨に襲われます。27日には雨も上がり、松本街道の山道で野いちごを腹一杯食べ、葦簀茶屋で休憩。夜は乱橋に泊まります。28日は立峠で馬に乗り、松本で昼食をとった後、旅姿の写真を撮ります。馬車で原新田新城、本山の「玉木屋」に泊まりました。29日は桜沢を過ぎ、木曾路に入ります。道端の家で茱萸が真っ赤になっているのを見た子規は、食べたくてたまらなくなり、茶屋で食べます。鳥居嶺を馬で登り、頂きからは徒歩で下って藪原に入り、お六櫛を購入。木曽川に沿って下り、木曽第一の繁盛宿「福島」に泊まります。30日は大雨で、桟橋(かけはし)で芭蕉の句碑を見てから上松を過ぎ、寝覚の里に着きました。寝覚の床で名物の蕎麦をすすめられるが、お腹がいっぱいでとても食べられません。五里ほど歩いて須原で宿をとりました。ここで名物の「花漬」二箱を買っています。幸田露伴の『風流仏』に登場する漬け物です。この紀行を記した『かけはしの記』には「この日は朝より道々覆盆子、桑の実に腹を肥したれば昼飴もせず。ようよう五六里を行きて須原に宿る。名物なればと強いられて花漬二箱を購う。余りのうつくしさにあすの山路に肩の痛さを増さんことを忘れたるもおぞまし」と書かれています。
 7月1日には野尻を過ぎて三留野、妻籠と進み、妻籠駅の宿に泊まります。2日は美濃路に入って余戸村泊。3日には伏見に出て、4日には木曽川を下って木曽川停留所で汽車に乗り、大阪の太田宅に泊まり、5日は大谷是空を訪ね、6日に松山行きの船に乗りました。
 
「花漬」は、梅、桜、桃などの花を塩で漬けたものです。現在の木曽路では、つくるところもなくなり、長野県大桑村須原の「大和屋」さんだけで売られています(京都では桜の花を塩漬けにしたものが売られています)。湯を注ぐと、塩漬けにした桜の花が開き、風雅な味わいが楽しめます。
 
 この年の12月11日、子規は常盤会寄宿舎を出て、本郷区駒込追分町の奥井方の離れ座敷に転居します。子規は、一人きりで家にこもって小説『月の都』を執筆しようと考えました。子規は同年齢の幸田露伴が著した『風流仏』に心酔していて、『月の都』はその影響下にありました。明治33年9月20日号の「ホトトギス」に掲載された『天王寺畔の蝸牛廬』には次のように書かれています。
 
 露伴の風流仏が出た。同室の友人はその風流仏をかりて来て、予(=余)の傍で読んでいたが、予は前にいったようにすでに小説界を見くびっていたのであるから、名も知らぬ人の小説が出ても別に驚きもしなかった。友人はその小説の文章のむずかしいこととかつ面白いこととを予に説いたけれども、予はフンという返辞で簡単にそれをあしらってしもうた。
 それから一年ものちのことであったろう。ある夏の夜本郷の夜店を冷やかしていたらば風流仏が出ておったので、それを買うて帰った。訳はどうかというと、予はかつて友人がこれを読んでおった時に傍らで少し聞いておったが、何分文章がひねくれておって、問いていてもよくわからなんだということだけは予の頭脳にとまっていたのである。善かれ悪かれ、とにかく人に解し難いような文章を書くものは尋常でないということが始終気になっておったために頭から見くびって置きながら、風流仏だけは今一度自分の手にとって読んで見たいと思うていたのであった。そこでその風流仏を買うて来て読んで見ると、果して冒頭文から非常に読みにくくてほとんど解することが出来なかった。もっともその時、紅葉、露伴などという人は既に西鶴の本を読んでいて西鶴調をまねたのであったが、予の趣味はなお馬琴流の七五調を十分に脱することが出来なかったのである。それは雅俗折衷と称する坪内氏にあってもなお多少この旧套を脱することが出来ないので、妹と背鏡などの中にはたしかに七五調の処もあったように記憶している。所が、この西鶴調の読みにくいのもいく度も読み返すうちに、自然にわかるようになったばかりでなく、その西鶴調のところがかえって非常に趣味があるように思われて、今度は反対に文章の極致は西鶴調にありと思うた位であった。元来風流仏の趣向は、西洋的のものをうまく日本化したのであつて、今日でさえ、とかく世評のある純粋の裸体美人を憶面なく現わしたのであるけれども、この小説を読んでも毫も淫猥などという感じを起すことなく、かえって非常な高尚な感じに釣り込まれてしもうて、ほとんど天上に住んでいるような感じを起した。そこで今までは書生気質風の小説の外は天下に小説はないと思うておった予の考えは一転して、遂に風流仏は小説のもっとも高尚なるものである、もし小説を書くならば風流仏の如く書かねばならぬということになってしもうた。(天王寺畔の蝸牛廬)
 
 翌年にようやく完成した『月の都』を持って、2月下旬に子規は露伴を訪ねましたが、来客のため20分ほどしか話せませんでした。露伴から批評の手紙が返ってきましたが、それは子規の満足するものではありませんでした。





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最終更新日  2019.09.30 05:21:46
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Re:子規と木曽路の花漬け(09/29)   マキロン さん
須原の花漬につきまして。風流仏に出てきます須原の花漬は花を塩漬にしたものではありません。春に摘んだ梅桃桜のつぼみを小箱に並べ差したものです。いわゆるフラワーボックスで鑑賞するものです。今はどこにも売られておりません。 (2023.09.09 13:43:17)

Re:子規と木曽路の花漬け(09/29)   ぷまたろう さん
風流仏に出でくる花漬は花を塩漬けにしたものではありませんでした。梅桃桜の三分咲きのつぼみをきれいに小箱に並べたもので、あくまで観賞用のものです。今風に言うならフラワーボックスです。だだ、今の須原では知る人も少なくどこにも売っていません。フラワーボックスと念頭においてもう一度風流仏を読んで見て下さい。物語がスッキリつながります。 (2024.02.23 16:25:32)


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