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2016.12.18
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カテゴリ:昭和期・後半

  『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』(上下)村上春樹(新潮文庫)

 エクセルの読書メモを見ていたら、私は本作を今回を含め3回読んだことがわかります。(1回目なんか、刊行されてすぐに買って2日で読んだと書いてあります。村上春樹のファンだったんですね。)
 しかし今回の読書を含め、どーも、もひとつ、本作は好きになり切れません。
 というか今回読みだしたのも、以前よりそんなイメージを持っていたものだから、本当にそうだったのかと思い立って、本当に久しぶりに本書の3回目の読書にチャレンジしたわけです。

 という部分をもう少し丁寧に述べますと、そもそも本作は、今に至る全村上作品の中でも、かなり高い評価を幅広く得た作品であると同時に、にもかかわらず私のような感じ方をし、村上作品の中では苦手な一作といっている読者が少なからずいることを、なんとなく知っていたからであります。
 それで読み直してみました、ということですが……。

 ……うーん、やっぱり重苦しいですねー。うっとおしい。関西弁で言うと、辛気臭い。(「辛気臭い」ってのは、関西弁であっているのかな。)
 この感じは、カフカっぽいんですかね。いえカフカについては、わたくし入門的な2作くらいしか読んでいないので(『変身』『審判』ですかね)、実はよく知らないのですが、でも、「ハードボイルド…」章の不条理さはあきらかに『審判』のような感じがします。

 さて本作に戻って、この「辛気臭さ」はいったいどこから来るのかというと、すぐに誰でも思いつくのは「世界の終わり」の章の、なんというか内容、描写、「世界観」、ですよね。今回は、その辺を中心にぐずぐず辛気臭く考えてみたいと思います。

 奇数章と偶数章が異なる内容を描くというのは、まさに村上春樹の自家薬籠中の展開方法ですが、本作も同様であり、そして「世界の終り」を描くのは偶数章となっています。
 しかし、詳しくチェックしたわけではありませんが、一応交互に描かれてはいますが、分量的には奇数章の「ハードボイルド・ワンダーランド」のほうが多いようですね。これは、この書き方の最初の小説であった『1973年のピンボール』における、「鼠」の章と「僕」の章の分量関係と相似だと思います。
 やはり、セリフが少なく改行が少なく地味に描写を書き込むと、1ページがびっしりと文字だらけになるのに反比例してページ数は少なくなるようですね。

 さてそんな「世界の終わり」の章ですが、一方の「ハードボイルド…」との関係については、作品の中盤あたりでわりと早々に種明かしがなされます。
 しかしそこに至る前からでも、いくつかのキーワード、例えば「一角獣」や「世界の終り」という言葉の用いられ方から、読者は何となくそんな感じじゃないかという想像が付くように書かれています。

 ということは、小説作品に読者を引き込む極めて有効な要素である「謎の設定」で引っ張っていくというやり方が、そのあたりでできなくなってしまいます。
 ではその次に出てくる読者を惹きつける要素はといえば、今度はその世界からいかにして脱出するかという冒険小説的なプロットとなるはずでしょうが、しかしそれについても、本作はほぼ描かれることがありません。(終盤に少し現れるだけです。)

 ではこの偶数章は、読者は何を魅力に感じて読み進めるのでしょうか。
 それは結局のところ、唯一残されている、そもそもその世界はどんな世界なのかという「世界観」の謎解きだけとなります。
 ところがさあ、これが根本的に「辛気臭い」わけですね。

 秋が去ってしまうとそのあとには暫定的な空白がやってきた。秋でもなく冬でもない奇妙にしんとした空白だった。獣の体を包む黄金色は徐々にその輝きを失い、まるで漂白されたような白味を増して、冬の到来の近いことを人々に告げていた。あらゆる生物とあらゆる事象が、凍りつく季節にそなえて首をすくめ、その体をこわばらせていた。冬の予感が目には見えない膜のように街を覆っていた。風の音や草木のそよぎや、夜の静けさや人々の立てる靴音さえもが何かしらの暗示を含んだように重くよそよそしくなり、秋にはやさしく心地良く感じられた中洲の水音も、もう僕の心を慰めてはくれなかった。何もかもが自らの存在を守り維持するために殻をしっかりと閉ざし、ある種の完結性を帯びはじめていた。かれらにとって冬は他のどんな季節とも違う特殊な季節なのだ。鳥たちの声も短かく鋭くなり、ときおりの彼らの羽ばたきだけがその冷ややかな空白を揺さぶった。


 この引用個所は、上巻の2/3くらいのところに出てくる冬がやってくる場面ですが、ここ以降作品の終わりまで「世界の終わり」の章はこの重苦しい描写で描かれる冬の季節を背景に進んでいきます。

 一方この重たいトーンは、「世界の終わり」の世界に極めて静謐な雰囲気も作り出しています。
 それはこの世界が、進歩も後退もなくトラブルもなければサプライズもなく、悲しみもない代わりに歓喜もやってこないことを極めて象徴的に表しています。
 そういう意味では優れた描写なんでしょうが、どうでしょうか、読む側にとっては少々苦しい感じがする気がします。

 ということで、結局私は3回目の読書においても本作に苦手感は残ったままでありました。
 何かの本で村上春樹が、小説内になぜセックスと暴力を書くのか(村上春樹の描く長編小説にはほぼこの2要素が含まれています。デビュー作『風の歌を聴け』には、セックスと死の描かれていない「鼠」の小説を高く評価するというエピソードが書かれてあったのに。)と問われて、それによって読者の感覚にある種の揺さぶりをかけるためと答えていました。

 本作にはセックスはほぼ描かれていませんが(『ノルウェイの森』以降ですかね、セックスが前面に取り上げられるのは)、暴力については、大きな描写ではありませんが何か所か極めて効果的に印象に残る形で描かれています。
 実はこの村上が描くところの「暴力」もかなり苦手で(代表的なのは『ねじまき鳥…』の「皮剥ぎボリス」のところでしょう。)、そのせいで『ねじまき鳥…』も、私は3回目の読書ができないでいます。(2回読んだことは冒頭に書いたエクセル読書メモで同じように知りました。)

 最後に、もちろん読んでいて感心したところもいっぱいありました。
 何より、村上春樹が本当に一生懸命に自分の持っているものをすべて出し切るようにして様々な場面をがっちりと描き、ストーリーを次々と紡ぎ出していることが、読んでいてひしひしとわかるのは、ほぼ感動という言葉で表すことのできるものだったと思います。
 だからこそ苦手感が……いえ、少々、残念でありますが……。


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Last updated  2016.12.18 16:03:20
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