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2010.01.25
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函館に関して調べていましたら、明治から大正にかけて活躍した素晴らしい医師の存在を知りました。その人の名は  高松凌雲(たかまつりょううん)

箱館戦争において、幕臣であった凌雲は、医師として敵である政府軍の負傷者まで、分け隔てなく治療を施しました。
また後年、貧しさ故に治療を受けたくても受けられない人々のために設立した同愛社は日本における赤十字の先駆けとなるものでした。

国際赤十字の父であるアンリデュナンはその活動を評価され第1回のノーベル平和賞を受賞していますが、デュナンと同時代に生きた高松凌雲という人が凄い人だなと思うのは、榎本武揚率いる旧幕府軍の中心的人物であったことです。

凌雲は榎本武揚から箱館病院の頭取(院長)を要請された時、病院の運営に一切口出ししないことを条件に引き受けたそうです。

戦時の病院の中で何をするか、すでに決めていたのでしょうが、病院内でも当初混乱がありました。(下記青線部分)

しかしその状況は大きく変わっていきました。(下記緑線部分)

箱館市内は戦場と化し、死体がたくさん転がっているまさに地獄であったであろうその中で、この病院内は敵も味方もない天国のような空間になっていったといえるでしょう。

志、思いひとつで場は変えられる。

「夜明けの雷鳴」というタイトルで小説になっています。

夜明けの雷鳴

高松凌雲に関して大変丁寧に紹介していました国際留学生協会のHPより引用させていただきます。ブログの文字数制限の関係で一部割愛させていただきましたことをお断りします。

^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^
  豊かな者しか治療を受けられない現実を憂い、貧者が診察を受ける道を開いた医師、これが高松凌雲である。「医は仁術」とはこの人物のためにある言葉のように思われる。彼の医師としての精神は、フランス留学で得た体験によって形成されたものでした。

患者に奉仕するもの
  凌雲は、明治と大正の時代に活躍した民間の医師である。「医は仁術」。凌運は、この言葉をそのまま実践し、日本の医療界に多大なる功績を残した。
  明治初期、旧幕臣や会津藩士などが榎本武揚をリーダーとして、新政府に抵抗を試みた。箱館戦争である。凌雲はこの時、榎本と運命を共にし、医師として負傷者の治療に当たった。この時、彼は敵である政府軍の負傷者まで、分け隔てなく治療を施したことで知られている。
  また後年、貧しさ故に治療を受けられない人々のために同愛社を設立した。広く医師に参加を呼びかけ、寄付を集めるために篤志家の参加を募った。
「医師というものは、患者に自分の全てを注いで奉仕するものであり、患者の貧富、地位の高低によって差別してならない」という考えを実行に移したのである。

フランス留学
 1836年12月25日に現在の福岡県小郡市に生まれた凌雲は、22歳で上京し、石川桜所の門下に入り、オランダ医学を学び、その後大阪に出て緒方洪庵の指導も受けた。適塾には天下の俊才が集まっていたが、凌雲はすぐに頭角を現した。西洋医学の知識を身に付けただけでなく、オランダ語を自由に操り、幕府が開いた英学所で、英語までもマスターした。
  1865年、彼の学才を知った一橋家が、凌雲を専属の医師として抱えることになり、この一橋家から出た徳川慶喜が第15代将軍となったので、凌雲は自動的に幕臣となった。

  1867年パリ万博開催の年、フランス政府は徳川幕府に万博への参加を求めてきた。幕府としても国際社会から認知を受け、幕府の主権を固めるチャンスである。将軍徳川慶喜は弟の昭武を名代として派遣することにし、随行医として選ばれたのが高松凌雲。
  パリ万博が終えた後、留学生として、パリで勉学に専念するように言い渡された凌雲は歓喜し、フランス医学を本格的に学べることに胸躍らせた。
  彼が選んだのは、オテル・デュウという名の病院を兼ねた医学校である。フランス語で「神の館」という意味。新しい生命が生まれ、また消えていく神が宿る場所、これが病院ということなのだ。医学とは神聖なものであるということを凌雲は、この学校から学ぶことになる。

貧民病院
  学び始めて驚いたことの一つは、外科手術。日本では人体を開くということはまずなが、ここでは変色した胃を容赦なく摘出する。一つ一つが驚きの連続であった。
  凌雲を最も驚かせ、医師としての後の人生に決定的な影響を与える出会いは、「神の館」に附属する貧しい者を無料で治療する貧民病院を知った時であった。医師も看護婦も、「神の館」に所属する者たちが担当し、一般患者と同じ診察を貧民たちに施しており、貴族、富豪、政治家などの篤志家の寄付により成り立っている民間の病院である。
  「神の館」では、「医師は人間の生命を救う尊い職業である」という精神を徹底的に教える。故に医師に高尚な人格が求められ、患者には常に最良の治療を施し、貧富の区別をしてはならないとされた。これが凌雲に与えた衝撃の大きさは計り知れない。その後の彼の生涯がそれを証明している。

幕府再興に捧げる
 凌雲の留学中、日本で政変が起こり、帰国を余儀なくされた。徳川慶喜が政権を天皇に奉還し、日本各地で倒幕派と佐幕派の戦争が勃発していた。
  凌雲らが江戸湾に到着したのは、1868年5月16日。すでに幕府は完全に崩壊し、江戸城も薩長勢に明け渡され、凌雲の主君慶喜は水戸で謹慎中であるという。
  凌雲の選択には迷いがなかった。こうして留学までさせてもらい、医師としての勉学に励むことができたのも、徳川慶喜のおかげである。その徳川家は今存亡の危機に瀕している。その徳川家を見捨てることは彼の武士の魂が許さなかった。
  榎本武揚が幕府の軍艦を率いて、蝦夷地(北海道)に立て籠もり、幕府再興を期す計画があるという。勝てる見込みは、限りなくゼロに近い。しかし、凌雲は武士であった。榎本と運命を共にする道を選択した。

敵の負傷者を治療
  榎本武揚に付き従った兵士は総勢3千人に及んでいた。戦闘で負傷する者、蝦夷地箱館での環境に慣れず病床に伏す者など後を絶たない。榎本は西洋医学を学んだ凌雲を見こんで、箱館病院の頭取(病院長)になってくれるよう頼んできた。しかし、簡単に引き受けられるものではない。榎本軍は混成軍で、各隊には専属の医師がいた。漢方医の彼らが凌雲の指導に素直に従うようには思えなかった。しかし、一人の兵士も死なせたくないという榎本の熱意は痛いほどわかった。凌雲は、「病院の運営には一切口出ししない」という条件で、頭取を引き受けることにした。
  凌雲の考えが徐々に病院に浸透し始めた頃、農民らが6人の負傷兵を病院の玄関に運び込んできた。この負傷者は榎本軍と敵対する箱館府側の守備兵であり、内一人は片足切断の重傷だった。凌雲の助手は、負傷者が敵方であることに躊躇している。しかし、凌雲は直ちに病人寄宿舎に彼らを収容した。寄宿舎内は騒然となる。「外に放り出せ」と叫ぶ者。「死者の仇、殺す」と言って刀を抜く者。助手たちは顔をこわばらせて立ちすくむばかり。
  次の瞬間、凌雲の怒声が響き渡った。「私はこの病院の頭取である。全権を委託されている。たとえ敵であろうと、負傷者は負傷者だ。私がこの者どもを入院させる必要があると考えたから入れたのだ。彼らと一緒であるのがいやだと言うなら、ただちに退院せよ」。凌雲の気迫に圧倒されたのか、いきり立った患者たちに沈黙が広がった。凌雲は敵方の負傷者の治療を開始した。
  その日の午後、凌雲は患者たちにフランスでの体験を話したという。「神の館」は、富める者も貧しい者も同じ治療を受け、戦争にあっても敵方の負傷者を味方と同様に治療する。日本の良き伝統は守りながらも、こうした西洋の良き習慣は日本も積極的に取り入れるべきではなかろうか。凌雲の言葉に、負傷者の中には無言でうなづく者もいた。
  凌雲にとってうれしかったのは、病人寄宿舎内では敵も味方もなく、互いがすっかりうち解けるようになったことであった。敵方の負傷兵の寝台に近づいて家族や故郷のことを話したり、出歩くときには肩を貸したり、時には笑い声さえ聞こえてきたという。
  敵味方なく負傷者を治療する凌雲の名は、政府軍の参謀黒田清隆の知るところとなり、黒田は榎本との和議の仲介を凌雲に頼んできた。凌雲は「榎本ら首脳部を手厚く遇する」という条件で、この仲介を引き受けた。
  箱館戦争後、政府内では反逆者である榎本らを断固処刑すべしの声が高まっていた。しかし、黒田清隆は有為な人材を失うことは国家の損失だとして、彼らの赦免を主張した。黒田の尽力で榎本ら首脳部は処刑を免れ、榎本は北海道開拓使の役人として赴任し、後に海軍大臣、外務大臣などを歴任した。

同愛会の設立
 黒田や榎本から、凌雲に対し北海道開拓使に出仕するよう申し入れがあった。他のいくつかの県からも同様の申し入れがあったが、凌雲は全て辞退した。民間の一開業医師として、自由に生きると決めていたからである。
  開業医として、凌雲の名声は日々高まるばかりであった。待合室はいつも患者で溢れ、入りきれない者が外で列をなすことも稀ではない。しかし凌雲の心は晴れない。なぜなら、診察を受ける患者はいつも裕福な者ばかりであったからだ。当時の薬代や診療費はまだまだ高額で、庶民の手の届くものではない。重病に冒されても、医師に診せることもできず、死を迎える者が大勢いた。親を医師に診せるため、娘が遊郭に売られることもしばしばだった。凌雲の病院では、貧窮の家庭には治療費を無料にしていたが、彼一人でどうなることでもなかった。凌雲は医師が助け合って貧しい病人を無料で診察できる組織を作る必要性を痛感した。
  1878年12月、医師会の席上、会長であった凌雲は、貧民を無料で診察する組織「同愛会」の設立を提案した。彼はフランスで見た「神の館」に附属する貧民病院の説明をした上で、「貧民の困窮をただ傍観するのみではなく、我ら一致協力して、彼ら貧しい病者を救うために立ち上がり、将来、貧民病院を創設する一大事業を興そうではありませんか」と締めくくった。凌雲の顔は紅潮し、声は震えていたという。
  深い感動が会場全体を包み、静かな沈黙の時が流れた。一人が「賛成」と言って立ち上がり、「貧民救済は、我ら医師が社会でなすべき義務であり、一致協力してこの一大事業をなし遂げたい」と叫んだ。この言葉に万雷の拍手がわき起こり、凌雲は感極まって涙ぐみ、何度も何度も頭を下げた。凌雲はこの時、42歳になろうとしていた。同愛社は、医師による救療社員と篤志家による慈恵社員によって構成されていた。この同愛社によって診察を受けた貧民は、70万人に達し、篤志家は千人を越えた。1916年10月12日、81歳の凌雲は、家族に見守られながら、静かに息を引き取った。市井の医師として仁の道を貫き通したその功績は、医療界に燦然と輝いている。








Last updated  2010.01.26 00:56:52
2009.12.25
ツアー2日目の訪問先を簡単にまとめてみました。

称名寺☆ 箱館戦争の時に戦死した新撰組 土方歳三、旧幕府軍兵士の供養塔があります。

高龍寺☆ 函館で最も古い寺院で、箱館戦争では函館病院の分院として、また幾度となく大火によって焼失と、函館の激動の歴史とともに歩んだお寺です。

函館護国神社☆ 箱館戦争時の新政府軍の死者を祭る神社で裏手には新政府軍のお墓があります。

こちらでは少し元気をとりもどしたひめのさんは新政府軍のお墓を隅々まで歩き、皆に語りかけるように『愛を感じて』を歌っていらっしゃいました。

『 Can You Feel The Love Tonight 』 You Tube

碧血碑(へっけつひ)☆ 明治8年(1875年)5月に建立された戊辰戦争、特に箱館戦争における旧幕府軍の戦死者を記念する慰霊碑である。土方歳三や中島三郎助などをはじめとする約800人の戦死者を弔っている。

函館市北方民族資料館☆ 旧日本銀行函館支店を利用した資料館。アイヌ民族をはじめとした北方民族に関する貴重な資料300点以上を展示しています。

館内で喜楽さんが「アイヌの人たち来てますよ~」とおっしゃっていました。

目には見えないけれど、思いをよせれば触れ合える。

出会えたことに感謝します。祝福します。癒します。

北海道坂本龍馬記念館☆ http://www.ryoma1115.com/

わたしたちが訪れたのは龍馬記念館がオープンして10日目くらいのことでした。

なぜ北海道に龍馬の記念館がと思われるでしょうが、龍馬は在京の過激浪士たちや、幕府の解体により職を失うであろう武士たちのエネルギーを北海道の開拓と防衛にあたらせようという計画を立てていました。

幾度か試みた北海道行きの計画はすべて頓挫してしまいました。

もし上陸していたら、まずは函館の港に足を踏み入れていたことでしょう。

先に龍馬が北海道に来ていたら、榎本武揚はどうしていたのだろう。

箱館戦争というものは無かったのかどうなのか。

龍馬亡き後、その遺志をついで坂本家の親戚が一族を引き連れ北海道に渡り、開拓に大きな足跡を残しました。

興味のある方は公式サイトをご覧ください。

来年のNHK大河ドラマは「龍馬伝」とのこと。また龍馬が注目されますね。

北海道坂本龍馬記念館

五稜郭タワー
展望台から函館山や津軽海峡、横津連峰の山並み、そして特別史跡五稜郭の大地に輝く星形の眺望を見ることができます。

展望台には、五稜郭の歴史が学べる展示スペース「五稜郭歴史回廊」や土方歳三の像などがあります。

五稜郭内には時間の関係もあり足を踏み入れませんでしたが、タワーから全景を眺めました。

タワーからは函館山からの夜景とは異なる昼の函館を見渡すことができます。

下北半島も見えました。

タワー内をぐるりと回りながら、この土地で起きた出来事に思いを馳せ祈りました。

函館のことを調べていて素晴らしい人のことを知りました。

五稜郭タワーの展示スペースにも紹介がありますが、日本史のなかでも特筆すべき人物だと思いますがあまり有名ではありません。

今日12月25日が誕生日のその方のことは次の日記でご紹介したいと思います。

いつもありがとうございます。

きらきらきらきらきらきらみなさまに光のシャワーが降り注ぎますきらきらきらきらきらきら







Last updated  2009.12.26 01:50:53
2009.12.21
間があいてしまいましたが、函館ツアーのつづきです。

室蘭からまた高速道路にもどり今回の候補地に上がっていた黒松内、長万部(おしゃまんべ)という土地を感じながら八雲神社へと向かいました。

八雲神社

参拝後、みなそれぞれに境内の中で気を感じたりお祈りをしたりした後は、左にキラキラ光る海を眺めながら海沿いの道を走り、駒ケ岳の麓を抜け、函館の少し前の七飯町まで向かい「ゆうひの館」という温泉に入り、函館入りしました。

函館が近付くにつれひめのさんは骨を切られるような痛みを感じ、それはこのツアーの間ずっとひめのさんを苦しめることになりました。

この日はもうすっかり暗くなってしまいましたが、金森赤レンガ倉庫などのベイエリア、ハリスト正教会、カトリック元町教会、聖ヨハネ教会などが立ち並ぶ元町エリアを駆け足で見て回りました。ライトアップされた街は美しくロマンチックでありました。

そして函館山にロープウェイで登り、100万ドルの夜景といわれる函館の夜景を見ながら、この土地で起きた出来事に思いを馳せ、感謝と祝福、癒しのお祈りをしました。

函館夜景1

函館は今年開港150周年の年にあたります。

ペリーの4隻のクロフネが箱館にも訪れ、それから5年後、箱館は 横浜・長崎とともに世界に向けて開港され、いっきに海外の人・もの・文化が入ってきました。

いま函館の西部地区に残るハイカラで美しい街なみはペリーの来航がきっかけになったと言えるでしょう。

また函館は民間の調査によりますと、魅力のある街ランキングの今年度第1位になりました。
http://mediajam.info/topic/1037628

異国情緒があり景観も良いこの街はとても魅力的であると思います。

しかし歴史をたどってみますと、もともとこの地に住んでいたアイヌ民族とあとからこの地にやってきた和人との争いは北海道のほかの地域同様、道南と呼ばれるこのエリアの各地でも起きています。

また箱館は戊辰戦争の局面の中で新政府軍と旧幕府軍の最後の戦い、箱館戦争が起きた場所でもあります。

また昭和29年の洞爺丸台風のときには 青函連絡船洞爺丸が遭難し、1139名の犠牲者が出ました。

これは「タイタニック号」、「サルタナ号」の事故に次ぎ、戦争による爆撃を除けば世界海難史上3番目の規模であり、「洞爺丸」とともに、「第11青函丸」「北見丸」「日高丸」「十勝丸」の連絡船4隻も沈没しました。

実に乗客と乗組員合わせて1、430名の命が失われました。

この出来事は陸が見える函館湾内の出来事でした。 

この事故を繰り返さないという決意が青函トンネル事業を現実のものにしてゆきました。

さらに函館は度重なる大火によって幾度となく街を焼失しており、多くの方が犠牲になっています。

焼失戸数が1,000戸を越す大火は明治から数えると約10回も起きています。

昭和9年の函館大火は瞬間最大風速30メートル以上ともいわれる強風の影響で、火は瞬く間に広がり、22667世帯死者2166人、行方不明者662人、負傷者9485人を出し、当時の市内約3分の1に当たる416万平方メートルを焼き尽くし、市役所、警察署、裁判所、税務署、商工会議所、丸井百貨店、お寺や学校なども焼失し未曾有の火災となりました。

また昭和20年には空襲をうけており、青函連絡船13隻が爆撃を受け、乗組員を始め、市街地でも多くの人々が亡くなりました。

こうして振り返ってみますと、開港してからの約100年くらいの間に、戦争や災害が非常に多く、これでもかこれでもかというくらいに市民に襲いかかっています。

幾多の悲しみからその都度立ち上がり復興させていったこの函館の人たちの頑張りには本当に敬意を払います。

函館の歴史の中で生きてきた人々を心から癒します。

今では、先に書きましたように魅力的な街No.1に輝いたわけですから本当に素晴らしいと思います。


いつもありがとうございます。

きらきらきらきらきらきらみなさまに光のシャワーが降り注ぎますきらきらきらきらきらきら






Last updated  2009.12.22 02:06:24
2009.12.04
今回の函館ツアーの最初の訪問地は室蘭荒波船荒波でした。

ひめのゆめさまと喜楽天道さまの癒しと感謝と祝福のツアーが始まって1年半になりますが、その先駆けとなったのは、昨年、室蘭の方からのお誘いから北海道のツアーが企画され、それから日本各地、そしてエジプト、シャスタといった海外ツアーという流れになったのでした。

その時は室蘭の神社やお寺、そして360度大パノラマの景色を堪能できる地球岬などを訪問しました。

その時の日記をリンクしておきますね。

北海道スピリチュアルな旅~室蘭~http://plaza.rakuten.co.jp/arigatou39/diary/200806290000/

室蘭という町に関してその時のブログを一部こちらに転載します。

室蘭は鉄鋼業の町で、よく「鉄のまち室蘭」などと呼ばれています。

鉄は古くから人間と深い関わりを持っている鉱物で、昔の人は鉄鉱石を山から採ってくるときに山の神に感謝して、ありがとうの気持ちを込めて山とともに生きることに使っていました。

だからその土地とグランディングできていました。

しかし室蘭の場合は他の土地で産出した鉄鉱石を加工する町です。

そして企業という利益追求のシステムのなかでただものを生産するという状況になってしまったのはいたしかたないことのように思います。

ひめのさんは室蘭の人たちは土地からのエネルギーを受け取れない状態になっているという。

「浮いている」という表現をされていました。

鉄は過去の歴史を見たときに、いろいろな支配とかパワーと結びつくものらしいです。

そうしたものが「鉄の町」といわれる企業城下町である室蘭という町を締め付けてしまっているのかもしれません。

しかし室蘭のなかでも波動の良いところがあり調べてみると、鉄を使った造形を作っていらっしゃる芸術家の方が、鉄を愛し、その土地を愛して生きていらっしゃるそうです。

このことは、私たちひとりひとりの環境にあてはめた時、とても考えさせられるものがあると思います。


今回の室蘭の訪問は時間的な制約もあり、高速道路をおりてから白鳥大橋を渡り、道の駅「みたら室蘭」に行って、室蘭全体を眺め、感じて、癒しと感謝、祝福をしてまいりました。

道の駅は閑散としており、今の室蘭を象徴しているかのようでした。

ある方のHPには室蘭に関して次のように書いてありました。

鉄の街として発展、最盛期には日本最大の溶鉱炉が作られたり、室蘭港が特定重要港湾に指定されるなど、鉄鋼業の拡大と比例して徐々に成長してきた。

しかし時は流れ、鉄鋼各社の人員削減に始まり、いくつかの溶鉱炉の火が消え、
椎名誠に『ゴーストタウン』と呼ばれるほどに休日の街は閑散とし、
時には『全国の市町村年齢ワーストワン(74歳)』、つまり、最も年老いた街=もう成長しない街とまで言われてしまうほどである。


『ゴーストタウン』『最も年老いた街』とはちょっとありがたくないですね。

ツアーからもどったある日の新聞には1891年創業の老舗百貨店が1月で閉店、そのセールが始まったことを伝えていました。

産業の衰退によって街が衰退していくことは、北海道においては夕張をはじめとして、いくつかあります。

でも室蘭のことを調べていくと魅力もいっぱいある街であることがわかりました。

室蘭八景http://www3.plala.or.jp/pinwheel/sub2.htmと呼ばれるところは、それぞれに景観の素晴らしいところであり、地球岬は「北海道の自然100選」(朝日新聞社主催)「あなたが選ぶ北海道景勝地」(北海道郵政局)でそれぞれ得票一位に選ばれた名所であり、金屏風、銀屏風、そして鳴き砂で有名なイタンキ浜、また測量山からの夜景なども訪れてみたい場所ですね。

白鳥大橋を走ると海の上を飛ぶ鳥のような感じです。

そして噴火湾ではイルカや鯨のウオッチングができます船。いいですね~~~。
http://www.kk-elm.jp/vmwa/index1.htm

また 測量山を含む周辺一帯は、“測量山緑地”として野鳥の宝庫としても知られており、面積は119.5ヘクタールあり、緑地内には植物が約500種、動物は野鳥類のほか、昆虫類が豊富で青少年の自然観察の場となっています。

市街地の近くに、このような緑地が保存されているところは、全国でもあまり多くないということです。

食べ物はやきとりとカレーラーメンが名物。

室蘭のやきとりは、使う食材は「豚肉」「たまねぎ」「洋がらし」。長年、独自のやきとりを提供してきました。 さらに、やきとり屋の数も断然多く現在、専門店は67店で、人口1万人当たりに換算すると6.4店になり、これは、全国的にもまれなほど多いそうです。

カレーラーメンは市内の6割のお店のメニューにあるというカレーラーメン王国。

何やら室蘭の観光大使になってしまったようですが、少し室蘭の歴史についても触れてみたいと思います。

室蘭においても道内各地でおきた、アイヌ民族に対しての不平等な扱い、開拓先駆者たちの並々ならぬ苦労、また、農耕適地としては最悪の条件下にあったにもかかわらず、入植しなければならなかった屯田兵たちの苦労がありました。

また戦時中は強制連行による中国人、朝鮮人の過酷な労働によって多くの方が亡くなりました。

戦時中の日本製鋼所は、国内でも高度の技術陣を持ち、日本最大の巨大な1万tプレスが鍛えた鉄鋼は、戦艦陸奥や長門などの砲塔・砲身や巨大戦艦大和の装甲板となるなど、世界の四大民間兵器メーカーとして力を発揮していました。

しかし終戦の年、軍需工場を持つ室蘭に対しての艦砲射撃は、軍需工場ばかりでなく、市街地や社宅街にも撃ち込まれ、特に御前水や中島社宅街は目をおおうような惨状であったとのことです。

終戦後の室蘭は、文字どおり火の消えたような状態で、軍需工場は閉鎖、室蘭港内には空襲で撃沈された船があちこちに沈み、港内は機雷の危険があるとして封鎖されるなど、室蘭港は、まさに死の港となっていました。

しかし室蘭市は、天然の良港を背景にいち早く平和産業に転換し、重工業地帯として、復興の道を歩みはじめました。


室蘭の歴史参照http://www7.big.or.jp/~eiji/info/info2.html

戦後のことを考えれば、室蘭は先に上げたように魅力満載の土地ですから、これからいくらでも良くなりますよ。

室蘭に住んでいらっしゃる方で私のこのブログを読んでくださっている方がいらっしゃいましたら、どうか今住んでいらっしゃる土地が素晴らしいところであることを感じて、感謝して、祝福し、愛してあげてください。

そして歴史の中で御苦労された方々を癒してさしあげてくださればと思います。

またこのブログに紛れ込んでしまった方も、ご自分の住んでいらっしゃるところと室蘭に癒しと感謝と祝福をしてくださればと思います。

きらきらキラキラきらきらと光輝く室蘭をあとに、私たちは次の目的地へと車車を走らせます。


いつもありがとうございます。

きらきらきらきらきらきら皆様に光のシャワーが降り注ぎますきらきらきらきらきらきら







Last updated  2009.12.04 23:29:28
2009.11.03
カテゴリ:札幌散策
昨日11月2日は札幌の平野部でも雪が降りました。

雪が舞ったという程度で積もってはいませんが、市内から見える山々は白く雪化粧をしました。

ついにおいでになったという感じですね。これから長い冬が始まります。

そんな中、紅葉が見ごろという北大に行ってきました。

70本の銀杏並木のトンネルは写真で撮るとまさに黄金色です。

北大の銀杏並木

新聞記事によれば、銀杏は「生きた化石」と呼ばれ約2億年前には世界で自生していましたが、氷河期に中国以外の種は絶滅したそうです。

日本には鎌倉時代のころに伝わり、江戸時代に長崎のオランダ商館にいたドイツ人医師が欧州に持ち帰ったとのこと。

鎖国時代の日本を介して銀杏が世界に広がったというのはとてもおもしろいですね。


私が小学生のころ、一番好きだった短歌は与謝野晶子さんのこの歌でした。

ひよこ金色(こんじき)の 小さき鳥のかたちして

ひよこ銀杏ちるなり 夕日の丘に



情景がありありと浮かんでくる素敵な歌だと思います。

私のお店で売っている虹のマーブル鉛筆で一筆したためてみました。

銀杏の葉は北大で拾ったものです。小さき鳥のかたちしてますね。

金色のちいさき鳥のかたちして

いつもありがとうございます。

きらきらきらきらきらきらみなさまに光のシャワーが降り注ぎますきらきらきらきらきらきら


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Last updated  2009.11.03 10:31:32
2009.10.26
カテゴリ:カテゴリ未分類
10月14日の日記のつづきです。

旭川からの参加の仲間と4人で層雲峡のホテルで北見から来る仲間を待っていた私たちにひめのさまよりメールが入りました。

札幌組が持ち込んでくる支配龍のエネルギーにハートをわしづかみにされるような事態が起きています。
車も進まなくなってきました。


ドライバーのfukuさまは心臓を鷲掴みにされたような苦しみを感じ運転が困難になっていたことを後から聞きました。

この知らせを受けて、私たちは暗黙のうちにエネルギーのセパレーションを始めました。

今回のツアーは総勢22名の方が参加されており、北海道外からも九州、中国、四国、近畿、中部、関東、東北在住の方はいらっしゃいませんでしたが故郷が東北の方がいらっしゃいましたので、日本全国の各地方の方が集結することになっており、私もその出逢いを楽しみにしていました。

なんとかたどり着いたメンバー達と挨拶したあとランチタイムとなりましたが、そこには緊迫したエネルギーが流れていたようです。

ツアーに向かうにあたっては数回のスカイプミーティングがおこなわれました。

この第1回目のミーティングの時にも、私が持ち込んだ支配系の龍エネルギーによって苦しくなる人が何人もあらわれました。

Skypeは無料でダウンロードできて、ヘッドセットがあればパソコン同士で無料通話ができ、大人数の会議などもできる便利なものです。

この日の私は、ミーティングのメンバーの波動域になかなか入れず、すぐ接続が切れたり、繋がっても音声が途切れ途切れで聴き取れずに、内容は音声から理解することはできませんでした。

メンバーがチャットの画面で内容を速記してくれており、それだけが頼りでした。

スカイプとは不思議なもので、波動が落ちていたり、そのミーティングに向かう姿勢や意識が低かったりすると、その場から落ちていってしまいます。

話をもどしまして、札幌という土地は支配系の龍のエネルギーの強いところです。

ミーティングの時のことがありましたので、エネルギーのセパレーションをしながら層雲峡に向かったのですが、強力なエネルギーは簡単にはセパレートできなかったようです。

このツアーおよびその前のミーティングで起きることは学びのために起きることで、日常に起きることよりも濃密で短期間の間にいろいろな学びのテーマが差し出されてきます。

その大きなテーマが支配ということであったと思います。

北海道という土地は縄文時代などの遺跡が残っておりますし、またそれよりはるか昔から人間は住んでいたと考えられます。

しかし開拓というものが進んだのは近代においてであり、少し前の日記に書きましたように、今190万都市となった札幌でさえ明治2年においては中心部に2軒7人が住んでいただけで、周辺部にアイヌの方などが100名ほど住んでいただけでした。

この百数十年をみただけでも支配者による悲しい出来事が繰り広げられてきた訳ですが、今もこの地球ではその悲劇が繰り返されています。

私たちは幾つもの転生を繰り返し多くのことを学んできたはずです。

今、この時代、多くの人々の意識の変化が進み、愛に満ち溢れた平和な世界に変わっていくのだと思います。

すべての存在に感謝し、祝福し、癒します。

この時代に生まれてくることができたのはなんて素晴らしいことでしょう。

すべて流れに感謝します。

ありがとうございます。

双瀑台から銀河の滝、流星の滝を望む

銀河、流星の滝

きらきらきらきらきらきらみなさまに光のシャワーが降り注ぎますきらきらきらきらきらきら

いつもありがとうございます。


ピンクハート11月のひめのゆめさま、喜楽天道さまのワークと光講座のお申し込み受付中です。

詳しくはこちらをクリックしてください。







Last updated  2009.10.26 13:30:57
2009.10.21
11月のひめのゆめさま、喜楽天道さまのワークと光講座のスケジュールが決定しましたのでご案内します。

ピンクハート【ひめのゆめ 光のレベルアップワーク】ピンクハート

みなさまが現在いらっしゃる波動領域をより高い波動領域にシフトアップさせ、毎日をより生き生きとよりパワフルに過ごせるようにアドバイスします。

実際に 沢山の光エネルギーを取り入れることによって波動領域のシフトアップを御自分で体験していただく参加型の個人ワークです。

波動をあげることによってみなさまの魂の輝きをより強く美しく、宇宙の祝福に満ちたものにすることを目標とします。

 ・現在の波動の分析(この時点で抱えておられる問題などをお話下さい。)
 ・ネガティブエネルギーの除去
 ・課題となっている感情の分析 (チャネリングと平行してクリスタルカードを使うことも  あります。)
 ・心の奥底に溜まっている不必要な感情のクリーニングの方法
 ・自分の魂の青写真(ブループリント)を開くワーク
 ・自分流魂の輝かせ方


ピンクハート【ひめのゆめさまプロフィール】ピンクハート

・ゲストハウス「京町屋ニーナカロライ」主宰
・20年間の教育機関での仕事をおえて霊的、精神的な分野でのカウンセリング活動を展開。
・2004年大地のワーク、宇宙のワークで新しい形のライトワーカーとして注目されるようになる。
・スピリチュアルな体験談を「ひめのゆめ活動日記」として楽天ブログにて執筆中。現在、83万アクセス(1日約1200アクセス)の人気ブログです。

◆セッション枠◆

11月22日(日) (1)10:00~12:00
           (2)14:00~16:00
           (3)18:00~20:00

11月23日(祝) (1)10:00~12:00
           (2)14:00~16:00
           (3)18:00~20:00       

   
料金等の詳細は、こちらのイベントスケジュールにてご確認下さい。

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緑ハート【喜楽天道 ハイアーセルフコネクションワークセッション】緑ハート

ハイアーセルフコネクションワークは、ハイアーセルフ(宇宙の愛と叡智に満ちたエネルギー体で、この世での我々の体験をサポートし導く高次の自分)と光のサポーター(ハイアーセルフと共に我々の体験をサポートし導く高次元存在)の下で行うセッションで、ワークをお受けになる方がハートを開きハイアーセルフとのつながりを深め、自ら必要なエネルギーとメッセージを受け取れるようにセットするセッションです。ワークをお受けになる方の理解力や意識のレベルに合わせて最適なエネルギー調整やメッセージの伝達が行われますので、どなたでもハイアーセルフとのコネクションを深めていくことが出来ます。

(基本的なセットを行う基本編のワークの他、自己ヒーリング、他者へのヒーリング等様々な応用編のワークメニューがあります。)

・ワークのステップ(基本編の場合)

(1)ハイアーセルフと安全につながるための基礎知識の確認

(2)スピリチュアルカウンセリング(ハイアーセルフや光のサポーターによる意識、エネルギーのチューニング、活性化を行って、ハイアーセルフとつながる為の準備をします)。

(3)ハイアーセルフ・コネクション(ハイアーセルフのエネルギーの注入、コネクションを行います)

(4)ハイアーセルフとのつながりを確認し、ハイアーセルフとの簡単な対話、エネルギーワークを行います。

・ワークの体験例
直感力が高まる、知力が高まる、暖かくなる、安らかになる、明るくなる、楽しくなる、やる気が出てくる、愛や許しの感覚が高まる、パワフルになる、霊的能力が高まる等。
自分らしく生きる事がとても楽になります。

基本編を終えられた方は応用編がございます。

◆セッション枠◆

11月22日(日) (1)10:00~13:00
           (2)14:00~17:00
           (3)18:00~21:00

11月23日(祝) (1)10:00~13:00
           (2)14:00~17:00
           (3)18:00~21:00

料金: 3時間 20000縁 + 交通費6000縁

喜楽天道さまブログ

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きらきらきらきらきらきら第4回札幌光講座のご案内きらきらきらきら

◆日 時 11月25日 午後7時00分~午後10時

◆場 所: 札幌市産業振興センター 第3研修室1

地下鉄東札幌駅下車 商業施設「iias」と「札幌コンベンションセンター」の間にあります。

◆参加費:5400縁 (会場費、お茶菓子代込み)

◆参加資格:光に向かって波動をあげようとされている方

当日の会場でのお飲み物は、水筒、ペットボトルにいれたものを各自ご持参ください。


メール上記のワーク、光講座のお申し込みは私のメール heart_land3☆yahoo.co.jp (☆を@に変えて下さい)にお願いします。

最新の予約状況はブログのトップページにて更新しています。
(トップページはブログの左上の「HOME」をクリックしてください。

いつもありがとうございます。

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Last updated  2009.10.22 12:16:11
2009.10.14
11日、大雪山へ向かう日の朝、朝刊を見ると第1面に大雪山の写真が・・・

「キカラシ」という春の菜の花を思わせるような黄色の花と大雪山。

大雪山1

大雪山の山並みはすっかり雪化粧。

当日の天気予報は午前中は曇りか雨であったが、青空が広がった。

層雲峡でツアーの仲間と合流すべく、私は札幌から向かう仲間との合流地点である砂川のサービスエリアへと車を走らせる。

ふと空を見上げると彩雲が見える。

降り注ぐ陽射しはいつもにも増して輝いており、その光と影が織り成すコントラストが美しい。


このツアーに向けて、北海道の歴史に目を向けてきました。

雄大な北海道の大自然に惚れ、移住した北海道でありましたが、歴史の負の部分には触れることもなく過ごしてきました。

開拓の歴史の中で、アイヌ民族への虐待、差別、囚人やタコ部屋といった強制労働、朝鮮人の強制連行といった人間の残虐性を見せられるものでした。

「人はなぜこのように残虐になれるのだろうか」

そうしたことを見つめていくうちに、私はミイラとりがミイラになった状態になり、重たいゾーンへと入り込んでしまったようですが、それを察知した仲間が私を救い上げてくれたようです。


札幌から層雲峡に向かうだけでも約200Km。

この広大な大地を切り拓いていくことは並々ならぬ先人の苦労があったであろうことを思い、感謝と祝福し、癒しをしながら車を走らせていきます。

「人が人を支配する時代はもう終わりだよ。」

「長い歴史の中でそのことはもう充分に学んだはずだよ。」

そんなことを心の中でつぶやいているうちに、札幌からのメンバーとの合流地点に到着しました。

その後、層雲峡の待ち合わせのホテルに先に着いた私たちは、北見方面から来るメンバーを待つことになりますが、思いもよらぬ連絡を受け、茫然とするのでした。


                  つづく


いつも来てくださりありがとうございます。

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Last updated  2009.10.19 12:05:01
2009.09.08
カテゴリ:札幌散策
最近は近くにあるのに行ったことのない場所、神社、公園、資料館などによく出かけるようになりました。

私は転勤でやってきた北海道という土地が大好きになり、この地に移り住む決心をして今にいたっています。

でも自分が住んでいるこの札幌のこともあまりよく知らないで長いこと暮らしていました。

たとえば、札幌は今でこそ人口190万人の大きな街となりましたが、明治2年に札幌の中心部にどれ位の人が住んでいたのかというと、2戸7人というから驚きです。

周辺部にはアイヌの方々を含めて100人くらいであったそうです。

自分が住んでいる土地の歴史的なことや、綺麗な花が咲いている公園であるとか、楽しみながら探索しているこの頃です。

そんな訳で、最近撮りためた写真などを少しずつアップしますね。

9月に入って札幌は暖かい日もありますが、秋に移行しつつあります。

数日前の新聞には、大雪山の黒岳では紅葉が始まったとのこと。

さて先日、月寒公園に出かけましたら、アジサイがまだ綺麗に咲いていました。

月寒公園アジサイ1

道外の方には信じられないかも知れませんね。

月寒公園アジサイ2

月寒公園アジサイ3

下の写真のように、半分以上はもう色褪せてしまってはいますが・・・

月寒公園アジサイ4

かるがもの赤ちゃんが親から離れて一人で泳ぎ回っています。がんばれ~~~

月寒公園かるがも

アジサイといえば鎌倉の明月院。遠い昔に訪れた雨の降る明月院のアジサイは美しかったです。

アジサイは漢字では紫陽花と書きますね。紫に太陽の陽、そして花。素敵な字をあてていますね。

アジサイのこの青紫の色は大好きな色です。

この大地に紫の光が降り注ぎ、大地を浄化しますように。


いつもありがとうございます。

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ピンクハートただいまシャスタ山のほうにお出かけのひめのゆめさま、喜楽天道さまの10月のワークと光講座のスケジュールをトップページにまとめまています。










Last updated  2009.09.08 12:41:27
2009.08.07
カテゴリ:ちょいスピ
何気ない日常の中で目に映るものから、いろいろなメッセージが送られてくるようですね。

マルお店に行く途中、いつからあったのだろう。ふとこんな旗を見かける。所々に何本も立っているが、今まで氣がつかなかっただけなのだろうか。


「0の心」交通安全の旗です。
0の心

そして何日か後に、いつも通らない道を歩いてお店に向かうと・・・

ゼロゼロゼロゼロ

賃貸マンションの広告に「ゼロゼロゼロゼロ」とゼロの連発。

はい、わかりました。


台風7月のある日、手稲山に車で行けるところまで行って、石狩湾を見渡しながら、お祈りにいきました。

手稲山より石狩湾

帰り道、ふと草むらに目をやると、いつ見たのか記憶にないほど久しぶりに「かたつむり君」とご対面。

かたつむり

かたつむり(唱歌) [編集]
作詞作曲不詳、「尋常小学唱歌」(1911年(明治44年)発表)


でんでん虫々 かたつむり、
お前のあたまは どこにある。
角だせ槍(やり)だせ あたまだせ。


でんでん虫々 かたつむり、
お前のめだまは どこにある。
角だせ槍だせ めだま出せ。

う~~ん、なるほどね~~。


車信号で停止した時に、こんな車が止まってくれるとうれしくなりますね。

恵比寿大黒


飛行機今年は天候不順の北海道。8月に入ってようやく夏を感じさせる好天が続く。

8月の4日、夏空を見上げると、天に向かって真上に白い飛行機が上昇していく。

飛行機雲

晴れ8月6日、車でお店に行くときはいつも通る道にこんなひまわり畑があることをつい最近発見しました。前からあったはずなのに、この夏初めて発見しました。

ひまわり畑1

ひまわり畑2

みんな太陽に向かってニコニコ笑っています。

ここ最近の目に映ったものをまとめてみましたが、良いメッセージが多いです。


さて、久しぶりにユーミンの歌でも聴いてみようかな音符

音符目に映る~すべてのことは~メッセージ音符

当時は何気なく聴いていたフレーズだけど、奥が深いですね。

YOU TUBE 「やさしさに包まれたなら」

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あらためてご案内しますが、予約が入りはじめていますので、こちらのほうで予約状況を確認してください。


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Last updated  2009.08.07 12:09:43

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