|
カテゴリ:カテゴリ未分類
ふつう身近な人の死は日が経つにつれ現実感を増してくるのだろうけど、C君の死に関しては日を追う毎に現実では無いような気がしてくる。
毎朝起きる度に、「あれは夢や、現実とちがう」と思えてしようがない。 人間が1人死んだところで世の中はちゃんと回っていく。確かにその通りだが、心の中の歯車は空回りしている感じだ。 考えてみればええ年のおっさんになってからはあんまり友だち同士で写真など撮らないので、彼の最近の写真は全く手元にない。それだけにいつも彼の顔を鮮明に思い出そうとして気持ちも堂々巡りをしてしまう。「あいつは死んでへん。」「何言うてんのや。もうおらんのや。」 熱心なクリスチャンであった彼は、教会の方々からは「神の御許にいる」と解釈されている。「亡くなった」とは言わずに「天に召された」と言う。 そのせいだろうか、教会の方々は彼の死を惜しんでいるけれども、どこか物わかりが良すぎるというか、納得するのが早いという気がしてしまう。 しかしキリストもラザロが死んだとき大いに哀しみ、死後4日経った後彼を蘇らせたではないか。 はー、あかんな~。なかなか吹っ切れん。 こういうとき仕事が忙しいのはむしろありがたい。少なくとも分娩中や手術中はあれこれ考えなくてすむ。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
|