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カテゴリ:教育 子育て 成長の心理学 介護 料理
まだ3歳頃だった
昭和の時代 千葉県の船橋市 敷地内の入り口左側の長屋は道路に面した一画が小さな印刷工場、隣りに工場を営む家族6~7人が6畳2間くらいの畳部屋に住んでいた。 夜になると遊びに行って、お大人ばかりの中で一緒にテレビ(白黒)を見た。晩御飯をご馳走になったりした。 2間はいつも開けていて食事が終わって一しきりすると、一斉に皆が動き布団が敷き詰められ、裸電球が小さい方に切り替わる。 逃げろや逃げろ!という洋物のTVドラマやトムとジェリーを見て皆が笑う世界が好きだったんだと思う。 その隣の記憶は飛んでいる。 折れ曲がった奥は少し隔離された感じがし雰囲気がガラリと変わる。 そこには片目のない痩せた上品なお婆さんがいて、風邪をひくとリンゴを擦って食べさせてくれた。 入り口正面の奥に或るアパートは6畳一間、セメントの玄関にセメントの台所、襖(ふすま)とポットン便所尽き一世帯のみの2階建。 敷地の中央に井戸があり、伝書鳩と鶏の小屋が有った。 これぞ昭和のウサギ小屋だった。 入り口を出て左の食堂に行くと、天丼を食べさせてくれたりした。イカ天が大好き。 その隣にも、お店があった。 ある日、バラソルチョコレートが専用の陳列容器でぶら下がっていた。 それを丸ごと取って、座って食べる。(たぶん隠れていたつもり) そのうち、そのままゴッソリ持って帰ってしまった。 当然バレバレなので、父親にすごい剣幕で怒られた。 「勝手にモノを取ってはいけない!」と、言うのは何となく分かったが、多分あまり理解できていないと判断したのか?父にビンタ張られてお店へ誤りに行った。 昼間だったので何で父が帰ってきたか謎だったが、その内に行方不明になった。 母は親戚の仕出し屋で働きながら私と姉を養った。 その傍ら、私を連れて神社で拝み、占い師を訪ねたりして父を捜した。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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