閲覧総数 60
2009.03.31
全108件 (108件中 1-10件目) シンギュラリタリアン
カテゴリ:シンギュラリタリアン
最後に残った<再読>10冊 ひとつひとつについてのコメントはすでに終わっているが、ひと目で確認できるようにリストアップしておく。このエントリーでシンギュラリタリアン・カテゴリは終了することとする。 第八位 「アトランティスの暗号」 レムリア
Last updated
2008.07.22 23:58:46
コメント(0) | コメントを書く
テーマ:映画から何かがはじまる(564)
カテゴリ:シンギュラリタリアン
このカテゴリで新しく読んだり見たりしたものはすくなかったのだが、あえて最後に一点を挙げよ、といわれれば、やはりこの一本しかない、という結論になった。現在、その「2001年宇宙の旅」を見ながら書いている。興奮は興奮として、よくよく見たり考えれば、さまざまな問題点も見えてくる。公立図書館依存度の高いこのブログではあるが、こと書籍や、視聴覚資料の活用についての総括ができたという意味では、このカテゴリは多いに役立った。
Last updated
2009.12.20 01:23:00
コメント(0) | コメントを書く
テーマ:最近観た映画。(37965)
カテゴリ:シンギュラリタリアン
![]() (9)よりつづく このシリーズを見て、一番の収穫は、これでなんとなくSF映画史がわかった感じがすること。特に100年のうちの中盤については、なかなかこのシリーズだけでかなり詳しくなるのではないだろうか。物足りなかったのは、ないものねだりだが、やはり一つ一つの映画の紹介が短いこと。それは、これから一本一本との出会いの中で補完され更新されていく必要があるだろう。なにはともあれ、この10本シリーズに感謝する。 <完>
Last updated
2007.12.02 20:55:58
コメント(0) | コメントを書く
テーマ:映画鑑賞(1107)
カテゴリ:シンギュラリタリアン
![]() (8)よりつづく
「タイム・マシン」「タイム・アフター・タイム」「バンデットQ」「スローターハウス5」 などが紹介されている。さすがにSF映画100年史と歌うだけあって、だいぶ古いものがたくさん紹介されている。ほとんど映画の発達史を見ている感じさえする。タイムマシンについては、現在の科学では否定されているが、未来に向かっても可能性はないかもしれない。 このシリーズでSF映画史を学べたのは大きかったが、最新のものについての記述がすくないので、欲求不満になった。このような題材であったとしても、現在再編集されれば、また別なイメージで生まれ変わるに違いない。そういった意味での時間の旅は面白いとは思う。
Last updated
2007.12.02 20:57:09
コメント(0) | コメントを書く
2007.12.01
カテゴリ:シンギュラリタリアン
![]()
「知の歴史」
1000点達成記念企画 ということで、さて、そのもう一人とは誰か、どのようにしてその人はできあがったのかを説明いたします。 1)Linuxカーネル2.6解読室 そして、なりたいけど現実ではなれない、やりたいけど現実にはやれないことどもを集めて、一つにまとめてしまえば、逆転の発想ですが、それは、私がなりたいもうひとりの私ではないのか、という結論です。もし仮想社会バーチャルワールドで、自分から離れた存在としてアバターを作るとすると、次のような存在になるでしょう。 ということで、はて、これでまたまた仮想社会に参入するかどうかはともかくてとして、一つの人物像を作り上げるプラットフォームはできたぞ。
![]() ただいま、セカンドライフ内の禅寺の石庭で瞑想中
Last updated
2008.01.12 21:28:10
コメント(0) | コメントを書く
テーマ:パソコンを楽しむ♪(3483)
カテゴリ:シンギュラリタリアン
受けに入っていれば、あとは何でもOKというくらいに、あまり内容がある本だとは思えない。薄いなぁ・・・という印象は、この「Googleの次 セカンドライフの先」というタイトルに釣られて読んでいるだけに、期待はずれだった、というところに起因しているのかもしれない。あまり期待しないで、たまたま読んだ雑誌の対談、程度に対応すれば、それなりにいい事書いてあるのかも知れない。 二人はそれぞれに、このところITばなしでいくつかの本を出している。浅枝の「ウェブ仮想社会『セカンドライフ』」 や「早期参入企業から学ぶセカンドライフビジネスの始め方」、山崎の「Google vsセカンドライフ 」や「ミクシィ[mixi]で何ができるのか?」などなど、このブログでもひとつひとつ読んできたが、「早川和男流『五カ条』」あたりに照らして見た場合、今回のこの本はどうであろうか。「研究は主体的か、精神の自由は保たれているか」「流行を追うな。流行に染まるな。」などのあたりのアドバイスにもとることはないであろうか。こちらも、「他人の悪口(批判と悪口は違う)ばかり言」うことは避けたいが、この一冊に限って言えば、期待はずれだった。 「2点目が、大量の一般ユーザーによるボランティアの登場です。私はこれを、『電脳共産主義』と呼んでいます。電子のアミの共産主義ということです。」(山崎)p14 私はこんな話には全然感動しないなぁ。ボランティアが出てきたら、それは共産主義ですか・・・・? いまだにマルキストを自認するネグリに聞いたって、「共産主義にはいいものなど何もない」と断じるOSHOに聞いたって、こんな捉え方はしえいないだろう。「大量の一般ユーザーによるボランティアの登場」=「電脳共産主義」などと軽々しく扱われるのは、非常に腹立だしく感じるなぁ。この場合、山崎自身は、どの地点に立って物事を語っているのだろう。ボランティアを自主的に申し出る立場からなのだろうか。共産主義を推進する立場からのアジテーションなのだろうか。いや違うだろう、単に自らは身を安全地帯に引いて、単に観察に興じている、下衆な評論家の立場でしかないように感じる。 浅野:社会心理学もそうですけれども、米国では文化人類学の人にセカンドライフ上でのマーケティングを依頼しているとも聞きます。 山崎:文化人類学も面白いですよ。私も随分利用しています。特に、バンド(共通の目的を持つ小さな集団)とか群れという発想が面白いですね。 たしかに仮想空間バーチャルリアリティの中に、文化人類学が影響を与えていったら、ますます生命が吹き込まれるなぁ、という予感がするが、「次世代ネットビジネス」として文化人類学が語られると、背筋がぞっと寒くなる。 山崎:一方で、仏教の発想で考えると、また別の視点が見えてきます。大乗仏教では、ある仏の納める現実世界・娑婆世界に対して、別の仏が収める浄土が設定されています。リンデン・リサーチは仮想社会の中の浄土を作ろうとしたのですが、実際にはリンデン・ドルによって娑婆世界と浄土をつなげてしまいました。 なんだか、この辺においても、山崎の論理はとんでもないことになっているなぁ。「仏教の発想」ということだけど、その根拠を示してほしい。そして、その仏教に対して山崎は常々どのようなふるまいで対応しているのか、その辺を伺ってからじゃぁないと、山崎のセカンドライフ論議はとても聞くに堪えない、ということになる。 なんだか山崎の発言だけ目についてしまったが、この本においては浅枝は聞き手に回っている感じがする。
Last updated
2007.12.01 19:42:25
コメント(0) | コメントを書く
テーマ:☆詩を書きましょう☆(8217)
カテゴリ:シンギュラリタリアン
あえてこのブログの検証に使ってみよう。 1)研究テーマは本質的であるか。 2)時代の課題に応えているか。 5)時代をリードする先頭に立っているか。 6)研究体制(態勢)は十分か。 似たような内容だが、著者自身の心がけが書いてあるので抜書きしておく。 早川和男流「五カ条」 前段と矛盾する部分も見え隠れするが、まずは転記しておいて、いつか自己検証の鏡として使わせてもらおう。
Last updated
2007.12.01 13:43:21
コメント(0) | コメントを書く
テーマ:自己啓発すすめ(745)
カテゴリ:シンギュラリタリアン
小学生高学年の時に、若い女性教師に呼ばれて、「あなたは頭がいいのだから、もっと勉強すれば成績があがります」と言われたことがある。どうやら、クラスで知能指数が一番高かったらしい。しかし、勉強があまり好きではなかった私は、この指数とやらをすこし訝っている。というのも、誕生日がクラスで一番遅かったので、多分であるが、指数をカウントする時に、他の人たちより有利な条件にあったのではないかと思うからである。 高校3年の時に受験に向けての知能指数検査があって、その結果がそれぞれに返された。となりの席の応援団長とお互いの結果を見せ合ったのだが、彼はちょうどIQ100だった。本人の知能/平均知能*100、という計算だとすれば、彼は私達年代の平均値ということになろうが、正直言って、平均よりはトロいと思う。ちなみに私はIQ143だった。「倫理・社会」の教科書にはIQ140以上は「天才」と書いてあったので、「オレは天才だ」とネタにして、多いにエバったりしたが、もちろんそれは笑いのネタであって、そう感じたことはない。 周囲を見ればもっともっと賢い連中が山ほどいた。かれらがIQ200や300であるはずはない。ほとんどこのIQとやらは、トンデモ科学にひとつであるに違いないのだ。いや、本当のことを言うと、知能検査どころか、学力検査だって、私は信用していない。だから、この本を読んでなるほどな、と思った。 科学が数量的に計測可能であり、なおかつ他者による追認可能なものでなければならないとすれば、IQというものをトンデモ科学のひとつに押し込めてやることはできないが、絶対化することは極力さけなければならない。心理学や脳科学への飽くなき挑戦のひとつとして見て、その進化過程を正確に見ておく必要がある。その意味ではこの本は貴重な必読書である。
Last updated
2007.12.01 11:21:49
コメント(0) | コメントを書く
2007.11.29
カテゴリ:シンギュラリタリアン
![]()
未来社会とSFは切っても切れない関係にある。科学は未来を開くものという期待があるし、人間は社会的な存在であってみれば、いかにフィクションとは言え、誰もがSFに明るい未来社会を見ようとする。このビディオのシリーズは「SF映画100年史」とは銘打ってはいるものの、どうしても過去の歴史的な資料に依拠するところがあり、21世紀も7年が経過しようとする段階でこのシリーズを見ると、ほとんど未来は見ることができない。 仮に映画に未来を見ようとしても、決して明るいばかりの未来ではなく、戦い、貧困、愚鈍、間違い、失敗、破壊、限界、などなどがあらゆる角度から描かれている。それは未来がもっている本質ではなく、人間がもっている本質だ。過去の歴史であれ、未来社会であれ、そこに生きる人間の本質が変わらない限り、未来社会が明るく幸せ一辺倒なものになるわけはないのだ。 「メトロポリス」「時計じかけのオレンジ」「2300年未来の旅」「ブレードランナー」「ソイレント・グリーン」「バトルランナー」「地球の危機」「地底王国」「X線の眼を持つ男」などが収録されている。これらの映画群の中に、現在の現代人は当然、未来を見つけることはできない。SFはフィクションであればこそ、ありとあらゆるフィクションが考え出されるが、フィクションはことごとく陳腐化してしまった21世紀ではないだろうか。 フィクションを乗り越えたところで、ファクトが進行しつつある。それが21世紀だろう。人間が競い合ってイメージしあったフィクションはすでに限界に達し、人間をとりまく社会や環境、あるいは世界や宇宙は、フィクションをはるかに超えて、拡大しつつある。SFあやうし。このビデオを見ていてそう思った。
Last updated
2007.12.02 20:41:11
コメント(0) | コメントを書く
2007.11.27
テーマ:オシャレ大好き(186037)
カテゴリ:シンギュラリタリアン
![]() (6)よりつづく
「エイリアン」「バーバレラ」「花嫁はエイリアン」「ビデオドローム」「シーバース」「ラビット」「デモン・シード」などのエロチックなシーンが連射される。ここまでくると、対象となる映画にはかなりの重なりがあるが、女性や性、エロティシズムからSF映画を俯瞰する。 ピンク映画とか恋愛映画とはまた違った趣だ。バーチャル仮想社会でのセックスを連想する。 解放がすすんでいたはずのアメリカ社会においても、女性が性的な対象のみに特化されていたり、差別的な扱いがされていることが如実に表現されている。20世紀前半だから、しかたないのか。 このシリーズ100年史だけに、前半にも多くのエネルギーを注いでいるからこうなるのだろうが。 セックスという単語が、この映画では1000回くらいでてくるんではないだろうか。こちらのヒアリング力ゆえに、その単語だけがやたらと耳に飛び込んでくるのか。とにかく全篇、セックスをSF映画に見ようとする、ちょっと変わった嗜好の一巻である。 21世紀に生きる現代人の感覚からすると相当に古色蒼然としたセックス観ではあるが、もともと人間のこころのあり方にはそれほどの違いはないはず。最後に映画を面白くするのは、ナレータがいうところの人間という要素である、ということを強調する結果となっている。
Last updated
2007.11.29 22:34:26
コメント(0) | コメントを書く このブログでよく読まれている記事
全108件 (108件中 1-10件目) 総合記事ランキング
|
|