【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! --/--
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x

フリーページ

2015年08月08日
XML
テーマ:ニュース(99448)
カテゴリ:政治問題
 国民をもう一度戦争に駆り立てる「戦争法案」が審議されているなか、国は国民を踏み台にするべきではないと主張する投書が、7月17日の東京新聞に掲載された;


 八王子市内で最古の公園とされる富士森公園に、大きな戦没者慰霊塔がある。明治から昭和にかけての戦争で亡くなった人々をまつるものだ。その塔は戦後のものだが、園内を歩くと、日清、日露戦争など百年以上前の慰霊碑も随所に見つかる。春の花見や夏の花火大会をはじめ市民の憩いの場として親しまれる公園に、こうした碑があることを知っている人は今は少ないようだ。

 朝鮮半島などの支配権をめぐって争った日清、日露戦争について少し調べてみた。例えば日露戦争の戦端を開いた1904(明治37)年の旅順攻略では、日本軍の投入兵力は延べ約13万人。そのうち死傷者は約6万人にも及んだという。そうした犠牲を払って日本は大国ロシアに勝った。

 しかし、その勝利が生み出したものは、「一等国」という過信と慢心であり、ひいては日中戦争や太平洋戦争での、さらに膨大な犠牲だったのだ。

 国内に数多くある戦没者慰霊のモニュメントは、鎮魂の場であると同時に、国家が国民の命を踏み台にしてきたことの何よりの証しといえるのではないか。

 そして今、国民の命を担保にするような安全保障関連法案が牙をむいている。市民や憲法学者だけでなく、かつて自民党に所属し、党の要職や政権の中枢を担った長老たちもがレッドカードを突き付けているにもかかわらず、安倍政権は法案成立のために今国会を9月末まで大幅延長させた。

 ”熱い”夏になるが、私も一歩もひかずに声を上げていきたい。この国に新たな慰霊塔を築こうとするような政治は許さない、と。


2015年7月17日 東京新聞朝刊 11版S 5ページ「ミラー - 国民は国家の踏み台か」から引用

 戦前の日本では、国民は「臣民」と呼ばれ、いつでも天皇のために命を差し出す覚悟ができている者と看做されており、学校教育でも多くの男子生徒は軍人になるのが理想で、教育勅語も「いざというときは天皇のために命を差し出すのが国民の務めである」というような「思想教育」に血道をあげていた。当時は間違いなく「国民は国家の踏み台である」と政治家は考えていた。その結果、日本は侵略戦争に敗北し、そのような間違った「思想」を反省し、戦後は民主主義の国になったはずであったが、しかし「国民は踏み台」という「思想」は脈々と右翼政治家に継承されており、安部首相もそのような思想を継承しているものと考えられる。先ごろうっかり本音を吐いて騒ぎになった自民党の武藤議員なども、「戦争はいやだ」という若者を「利己主義」だと批判したのは、「わがままを言わずに戦争に行くのが国民の義務だ」と考えている証拠である。こういう考えを持っている政治家を、我々は国会議員にするべきではない。万が一のための自衛隊を設置はしても、原則は「憲法9条」を遵守し、国際紛争の解決には武力を行使しない、この方針で戦後70年間やってきた実績があるのだから、国民はこの実績に自信をもって、安保関連法案はすべて廃案にするべきだ。





お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

最終更新日  2015年08月08日 19時25分45秒
[政治問題] カテゴリの最新記事


PR

キーワードサーチ

▼キーワード検索

プロフィール

佐原

佐原

お気に入りブログ

ピースボート乗船ブ… New! maki5417さん

コメント新着

 捨てハン@ 潰れそうな新聞なら東京、朝日、毎日が挙がるかなぁ >全国紙は世論のありかを明らかにし、国…

© Rakuten Group, Inc.