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2017年12月04日
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テーマ:ニュース(99727)
カテゴリ:ニュース
南京事件80周年国際シンポジウムに参加した笠原十九司氏は、一般演題として発表された50本の報告をテーマによって7種類に分類して、次のように述べている;


 国際シンポでは全体会での前述の2つの主報告の後、2つの分科会に分かれて、終日、報告と活発な討論をおこなつたが、報告は2つの主報告を除いて、50本もあったので、内容は多岐にわたった。シンポジウムの中国語は「学術研討会」すなわち学術研究の討論会であるように、南京事件の史実を国際的視点から多面的に究明したものであった。南京で開催される南京事件80周年のシンポジウムと聞けば、日本人の多くは、中国側から「南京大虐殺30万人説」の承認を強要し、日本軍の残虐行為や暴力行為を激しく糾弾するような内容の報告のオンパレードであったにちがいないと想像すると思われるが、そのような報告は皆無であり、きわめて学術的で興味深い報告がつづき、多くの学問的刺激を受けた。

 これらの50本の報告を網羅して紹介することはできないが、報告の内容を対象、視点、問題意識などから大まかに分類して整理できるものについては、その趣旨だけでも簡単に紹介してみたい。

 (1)理論的枠組み 王衛星「南京大虐殺の地域と開始時期についての再検討」の報告では、南京大虐殺の地域範囲について、私も主張している「南京行政区域説」にたいして、南京警備隊の周辺防衛圏とすべきだと主張、その防衛ラインにある句容の日本軍攻略(12月5日)をもって南京大虐殺の開始とすべきだとした。孫宅巍「南京防衛戦が南京大虐殺に与えた影響を論ずる」は、南京大虐殺記念館の「南京大虐殺は日本軍が南京城を占領した12月13日から開始された」という表示に異議をとなえ、日本軍が句容の南京防衛軍の陣地を突破した12月5日から南京大虐殺は開始されたと主張した。さらに、南京防衛戦における中国軍の激しい抵抗が日本軍に報復としての虐殺行為を生じさせ、南京防衛軍の撤退作戦の失敗により残留させられた中国軍が集団虐殺されたこと、軍人が軍服を脱いで民間人の中に潜入したために、中国人の青壮年が元兵士と見なされて、日本軍の敗残兵狩りによって殺戮されたことなど、中国軍の南京防衛戦の作戦指導の誤りが、南京大虐殺に影響を与えたことを明らかにした。拙著『南京事件』(岩波新書、1997年)に詳述したことであるが、中国の研究者からも、このような実証的研究が報告されるようになったのである。

 (2)日本軍の分析 日本軍がなぜ南京事件を引き起こしたのか、南京を占領した日本軍部隊の戦闘詳報や高級指揮官の陣中日誌から、「捕虜を残さない」という「掃討作戦命令」が中国軍の捕虜、敗残兵、投降兵の大量虐殺の原因となったことを解明した報告があった。さらに津田道夫『南京大虐殺と日本人の精神構造』(社会評論社、1995年)から日本軍将兵の残忍性を研究した報告や、天皇の軍隊として、服従、凶暴、残忍を兼ね備えた兵士にするための日本軍の軍国主義教育を論じた報告もあった。いっぼうでは、不拡大派の石原莞爾らが南京攻略戦に反対して制定した「制令線」がなぜ現地軍に守られなかったのか、について分析した報告もあった。

 (3)日本人の戦争観 明治維新以降、自由民権運動もあった日本であるが、日清・日露戟争で日本が勝利して以降、現人神としての天皇信仰が作り上げられ、日本の侵略戦争を推進する精神的原動力なったという報告があった。さらに中国の学界から観察する「日本人の目から見た南京大虐殺」という問題関心で、日本における南京大虐殺論争史の紹介と、日本の歴史教科書のなかの南京事件の記述の変遷を整理した報告もあった。なお、拙著『南京事件論争史』(平凡社新書、2007年)は、中国でも翻訳書が、羅萃萃・陳慶発・張連紅訳『南京事件論争史』(社会科学文献出版社、2011年)として出版されている。戦時から戦後における日本人の戦争観の変遷を整理し、現在歴史修正主義者の安倍政権のもと、南京事件否定派が跋扈(ばっこ)し日本国民の戦争責任感が変化していることを分析した報告もあった。

 (4)南京事件当時、南京に滞在した外国人の活躍 日本軍の攻撃と占領下の南京にとどまって市民や難民の救済に奔走した外国人について、あまり資料がなかったことから、拙著『南京難民区の百日-虐殺を見た外国人』(岩波現代文庫、2005年)(李広廉・王志君訳『難民区百日』南京師範大学出版社、2005年、として中国でも翻訳出版)では詳しく言及できなかった外国人の活動について、国際シンポでは何本かの報告が集まった。中国ではそれだけ、外国資料の収集が進み、研究が広がっていることの証左である。

 張連紅南京師範大学教授が、オーストリア人のエンジニアのルパート・ハッツ(Rupert R.Hatz)について、張生南京大学数授がドイツ人で上海保険会社の南京支店長で、南京安全区国際委員会の委員となり、日本軍の暴行にたいして体をはって阻止し、難民区の「警察委員」といわれたエドワルト・スペルリング(Eduard Sperling)について、ドイツのジョン・ラーベ交流センターの北京駐在員事務所代表の姜玉春氏が、ドイツ人で南京安全区国際委員会の財務主管を務めた礼和洋行のクリスチャン・クレーガー(Christian Kroeger)について、戴袁支・中国青年報社上級記者が、アメリカ人宣教師で南京郊外の棲霞山セメント工場の敷地に難民キャンプを開設したシンパーグ(Sindberg)について、それぞれ報告した。

 南京安全区国際委員会の委員長を務め、難民救済に奔走したドイツのジーメンス社南京支社の支配人のジョン・ラーベは映画にもなり、日記も出版されて比較的知られているが、楊善友南京大学ラーベ記念館主任が、ラーベ日記から見た南京事件の実相を報告した。


月刊「世界」 2017年12月号 「南京事件80周年国際シンポジウムに参加して」145~147ページから一部を引用

 この記事を読むと、素人の私でも中国の歴史研究のレベルは中々のもので、「どうせ30万人説の承認を迫ってくるだろう」というような偏見や予断は訂正(または修正)するべき時代に入ったことが分かるような気がします。また、日本軍による大量虐殺を引き起こした要因の一つとして中国軍の作戦指導の誤りを指摘するという姿勢は、学問としてのレベルの高さを象徴しているように思います。7分類のうちの、5,6,7は、明日のページに引用します。





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最終更新日  2017年12月04日 20時08分44秒
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