私たちの日本が人類の普遍的な倫理に立つ国となるためには何が必要か、東京大学名誉教授の玖村敦彦(くむらあつひこ)氏は6月7日の「週刊金曜日」に投稿して、次のように述べている;
渕上吉男(ふちがみよしお)氏による『外国の街角で日本を振り返る』(風詠社)という本がある。この中で、著者は、ベルリン中心部にある、(ナチスドイツにより殺害された)ユダヤ人追悼施設がドイツ連邦議会の決議により建設されたいきさつを記している。そして著者は、それに続いて日本の侵略戦争・植民地支配の犠牲者を哀悼するための記念施設が国会の決議によって作られる日は一体いつ来るのだろうか、日本とドイツの落差はあまりにも大きい、とも記しているのである。
日本は明治以降アジア太平洋戦争終結まで、対外膨張主義・帝国主義の道を進み、多くの人々、特にアジアの近隣諸国、中でも中国と朝鮮半島の人々を多数殺害してきた。
戦争による殺害ばかりではない。1907〈明治40〉年、日本の韓国支配強化に対する武装蜂起が起こり、多数の「義兵」が日本軍により殺害された。結局、韓国は10〈明治43〉年に日本に併合された。
第1次世界大戦後、米国のウィルソン大統領の「民族自決」の主張を伝え聞いた朝鮮の人たちが3・1独立運動(19〈大正8〉年)に立ち上がり、多数の人たちが日本軍に虐殺された。さらに23〈大正12〉年の関東大震災の際には、在日朝鮮人が井戸に毒を投人したという流言のため、約6000人が殺害されたという。アジア太平洋戦争末期には朝鮮にも徴兵制が適用され、多数の若者が戦場に送られた。
中国では十五年戦争の時代、日本軍は広大な地域を占領し民間人を含む約2000万人の人たちを殺害したという。
また朝鮮・中国から多数の人々が強制連行され危険な仕事を強いられ多くの死者を出した(以上、渕上氏のほかは、拙著『かえりみる日本近代史とその負の遺産』(寿郎社)による)。
これらの日本による近隣諸国の人々への加害を考える時、国会決議により犠牲者たちに対する謝罪と追悼の施設を建設することは当然だと考える。さらに国会内に日本軍「慰安婦」像を設置することで、過去の罪を想起し未来への戒(いまし)めとすることを願う。
このようなことを書くと「頭がおかしい」と批判をされる人もいるかもしれない。しかし、私はいま93歳だが、戦争の時代を知っているものの責任として、過去の加害を伝える必要があると思っている。日本がドイツのような追悼施設を建てるような気持になることによって、アジアの近隣諸国の人々との真の和解が実現に近づくということを、後世の人々に伝えておきたいと切に思っている。
それは決して自虐ではない。日本が自らの過去に対して責任を取り、人類の普遍的な倫理に立つ国にいくらかでも近づいてほしいと願うからである。
2019年6月7日 「週刊金曜日」 1235号 61ページ 「論争-日本が殺害した人々の追悼施設を作ろう」から引用
この記事は戦後の日本が巧妙に隠し続けてきた「戦争責任」を鋭く告発している。それだけに、真摯に戦争責任を反省したドイツとの「差」がはっきりしており、また、アジア諸国との真の和解を実現するために何が必要か、適切に表現していると思います。とりわけ、国会内に「慰安婦像」を設置して過去の罪を想起し未来への戒めにするべきとの提案は、是非とも実現するべきと思います。国会内に設置すれば、「大使館前に慰安婦像を設置するのは国際条約違反だ」などと騒ぐ右翼も根拠を失い、日常的に戦争責任を意識して行動するようになり、真の平和の実現に寄与することは間違いないと思います。