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2020年01月14日
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テーマ:ニュース(99716)
カテゴリ:ニュース
現代史研究家の新井田十喜(にいだ・とき)氏は、私たちの日本が過去の植民地支配や侵略戦争をどのように贖罪して克服してきたのか、あるいはまだ克服できていないのか、「慰安婦」問題を例にあげて月刊誌「前衛」2020年1月号誌上で、次のように検証している;


◆はじめに

 被害者からの「異議申し立て」によって、日韓の間で「慰安婦」問題や「徴用工」問題等の戦後補償問題が浮上する度、日本国内では「一体いつまで謝ればいいのか?」等の言説がさまざまなメディアで席巻します。それらはとりもなおさず日本政府の代弁でもあって、戦後70年に発表した安倍晋三「内閣総理大臣談話」(2015年、8月14日)では「あの戦争には何ら関わりのない、私たちの子や孫、そしてその先の世代の子どもたちに、謝罪を続ける宿命を背負わせてはなりません。」と言明し、巷に溢れる認識と同様の姿勢を顕示しました。しかし、そもそも日本政府はこれまで植民地支配の被害者たちに「謝罪」を行ってきたといえるのでしょうか。

 本稿では、おもに日本軍「慰安婦」問題をめぐる日本政府の対応を軸に、それらは果たして「謝罪」たりうるものなのか、検証していきたいと思います。

◆1.日本軍「慰安婦」制度と日本政府の対応-「お詫び」と「反省」

 そもそも、日本軍「慰安婦」制度とはどのようなものだったのでしょうか。まずは制度の概要をおさえておきたいと思います。

 日本軍「慰安婦」とは、1932年の第一次上海事変から1945年の日本の敗戦までの期間に、日本の陸軍と海軍がそれぞれ別々に戦地・占領地・「日本帝国」領土(日本・朝鮮・台湾)で主体となってつくり管理・統制する「慰安所」(形態はおもに次の三種類に分かれていました。

(1)軍直営の「慰安所」、
(2)軍が経営を民間に委託した軍専用の「慰安所」、
(3)民間の売春宿を軍が一時軍人用に指定した「慰安所」。

しかし、これらはすべて日本軍人・軍属専用の軍の施設でした。)において、日本の軍人・軍属(車に所属する非軍人)の性の相手を強要された女性たちの総称です。彼女たちの多くは経済的に貧しい家庭の出身か、植民地支配や戦争のために苦境に陥った女性たちで、出身地は、植民地だった朝鮮半島や台湾の他、中国、フィリピン、インドネシア、オランダ、東ティモール、マレーシア、タイ、グアム、ビルマ、ベトナム等日本軍が駐屯したアジア各地の女性の他、日本人女性も含まれるなど多岐にわたります。彼女たちは人身売買や誘拐(だましたり、甘言をもちいて連行すること)や略取(暴行や脅迫により連れて行くこと)によって集められ(女街(ぜげん)とよばれる民間の取引業者が請け負う場合多数)、軍用船や軍用トラック等で各地の「慰安所」に送られていきました。「慰安所」は、中国や東南アジア、太平洋地域を含む日本の占領地や日本軍が派遣されたほぼ全域に展開しました。インド領のアンダマン・ニコバル諸島や、日本の委任統治領だったパラオやトラック島の他、朝鮮半島、千島列島、台湾、南九州、四国、房総半島にも設置されていたことがわかっています。

 「慰安婦」制度の下では、計画の立案、設置の指示・命令、女性集めの決定、建物の確保や設営、利用規則・料金や利用部隊の決定、「慰安婦」の登録と性病検査、慰安所の管理・統制、食料・衛生用品の提供等はすべて軍が行っており、彼女たちの移送にも軍が深く関与していました。以上のことから、今日では広く日本軍「慰安婦」制度といわれています。

◇「謝罪」と「お詫び」、「反省」のちがい」

 日本の歴代内閣はこれまで、侵略戦争と植民地支配についての「反省」や被害者への「お詫び」という言葉を繰り返し述べてきました。それらのおもな例をあげると、

(1)宮沢喜一首相の韓国国会での演説「アジアのなか、世界のなかの日韓関係」中における日本政府の関与を認めた上での「お詫び」と「反省」の表明(1992年1月16日)、
(2)日本軍「慰安婦」制度についての第二次調査報告にともなって発表された「慰安婦関係調査結果発表に関する河野内閣官房長官談話」(1993年8月4目、いわゆる「河野談話」)、
(3)戦後50年の節目に公表された村山内閣総理大臣談話「戦後50周年の終戦記念日にあたって」(1995年8月15日)、
(4)「女性のためのアジア平和国民基金」(「アジア女性基金」)の「償い金」受給者へ送られた橋本龍太郎内閣総理大臣の「元慰安婦の方々への内閣総理大臣のおわびの手紙」(1996年、歴代署名:小渕恵三、森喜朗、小泉純一郎)、
(5)日韓共同宣言―21世紀に向けた新たな日韓パートナーシップ(1998年10月8日)、
(6)小泉内閣総理人臣談話(「戦後60年談話」、2005年8月15日)

等です。さて、ここで注目したいのは、なぜ表明されるのはいつも「謝罪」ではなく、「お詫び」や「反省」なのかという点です。

◇[なぜ「謝罪」ではなく「お詫び」、「反省」なのか]

 つまりは、ここにこそ日本政府の意図的なレトリックがあるのです。「謝罪」という言葉は本来、「自らの非を認める」という意味を有していますが、国家が自らの犯した罪=国際法上の不法行為=国際義務違反を認めるのであれば、国家には自らの罪を償うべき「法的責任」(=国家責任、国際責任)が生じます。しかし日本政府は、韓国との間の請求権問題は1965年に結ばれた日韓請求権協定により「完全かつ最終的に解決」しているという「法的には解決済み論」を一貫して主張し、日本軍「慰安婦」制度をはじめとする植民地支配下の不法行為に対する「法的責任」は否定し続けています。ですから、「法的責任」を認めると解釈されうる「謝罪」という言葉は戦略的にあえて使用せず、「お詫び」や「反省」といった言葉に終始しているのです。

 一方「お詫び」や「反省」は、加害事実の認定や責任の所在を曖昧にしたままの「感情の表明」にすぎず、「道義的責任」を果たすにとどまるものです。すなわち、「アジア女性基金」(95年~2007年、後述)は、「法的責任」に代わって「道義的責任」を果たすための取り組みでした。例えば、その設立の経緯について、「与党戦後50年問題プロジェクト従軍慰安婦問題等小委員会第一次報告」では「いわゆる従軍慰安婦問題を含め、先の大戦にかかわる賠償、財産・請求権の問題については、日本政府としては、サン・フランシスコ平和条約、2国間の平和条約及びその他の関連する条約等に従って、国際法上も外交卜も誠実に対応してきている。しかし、本問題は、戦後50年を機会に、今日までの経緯と現実にかんがみ、我が国としては、道義的立場から、その責任を果たさなければならない。そのため、こうした気持ちを国民ひとりひとりにも、ご理解いただき、分かち合っていただくために幅広い国民参加の道を求めていこうということなのである。」(1994年12月7日、太字強調筆者)としています。なお、「謝罪」も「お詫び」も英訳すればともにapologyであることは、まさに日本政府の巧みなレトリックと解釈できるゆえんです。

 以上のように「法的責任」は日韓請求権協定で既に解決済みであるとする日本政府に対し、韓国政府は、不法な植民地支配の下でおきだ反人道的行為はそもそも請求権協定の議論の対象外であり、従ってそれらはいまだ未解決の課題であるという立場をとっています。この点に関し、請求権協定の交渉過程に着目し、丹念な情報公開請求の結果入手した外交文書の調査・研究によって近年明らかになってきたことは、請求権協定は基本的に経済協定であり、植民地の法律関係を前提とするものであって、日本政府が消滅させようとした個人請求権は郵便貯金や未払い金問題等に限られており、やりとりの中には日本軍「慰安婦」制度など反人道的行為についての言及は一切なく、それらは交渉内容にそもそも入っていない事柄であったことが明らかになっています(太田修『日韓交渉―請求権問題の研究』(クレイン、2003)、吉澤文寿『日韓会談一九六五』(高文研、2015))。

 以上をかんがみると、議論の対象に含まれていない事柄が、「解決」の対象となってしまうと捉えるのは、極めて不合理だと言わざるを得ません。しかし、日本政府は「法的には解決済み論」を頑なに堅持したまま、「アジア女性基金」や「日韓合意」という極めて不十分な「道義的責任」のみを果たす方策をとってきたわけです。
(つづく)


月刊「前衛」 2020年1月号 126ページ 「日本は何度も謝ったのか」から前半を引用

 この記事は、普段我々が気づかない多くのポイントを指摘しています。日本政府はこれまで何度も「お詫び」や「反省」という言葉を韓国や中国に伝えてきたが、敢えて「謝罪」という言葉を使わない理由を相手側には説明していないのですから、日本政府の「本心」は相手側に伝わっていません。もし伝わったとしても、法的責任を避ける言い回しを韓国や中国が了承するわけがないのですから、戦後70余年の日本政府の態度は道義的に「誠意」を欠いていたと言えるのではないでしょうか。
 また、安倍政権が何度も持ち出す65年に締結した請求権協定も、私たちは誤解している可能性があります。新井田氏が調べたところでは、請求権協定は基本的に経済協定であり、植民地の法律関係を前提とするものであって、日本政府が消滅させようとした個人請求権は郵便貯金や未払い金問題等に限られていたとのことですから、それを今になって、慰安婦問題も徴用工問題もその中に入っていたと主張するのは根拠がないと言うほかありません。基本的に経済協定なのだから、人権問題などは協議の対象外なわけで、そういう経済協定を持って慰安婦問題も徴用工問題も解決済みと言うのは「詭弁」というものでしょう。このように考えてくると、2018年の韓国大法院の判決は実に理にかなった、まともな判断であることが理解できます。





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最終更新日  2020年01月14日 01時00分06秒


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