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2024年05月10日
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テーマ:ニュース(99718)
カテゴリ:ニュース
陸上自衛隊の公式Xが「大東亜戦争」という呼称で投稿した問題に関連して、歴史家で学習院大学教授の井上寿一氏は自衛隊発足当初から旧陸海軍で要職を務めた人物が影響力を行使してきた事実について、4月20日の毎日新聞に次のように書いている;


 今月5日、陸上自衛隊第32普通科連隊の公式X(ツイッター)が、さきの大戦を「大東亜戦争」と呼称したことで議論を引き起こした。9日の記者会見で木原稔防衛相は、政府が公文書で「大東亜戦争」と使用することは原則としてない旨を述べた。それにもかかわらず、自衛隊ひいては防衛省の歴史認識が問われることになった。

 1月8日には陸上自衛隊の高級幹部数人が公用車で東京・九段北の靖国神社を訪れ、制服姿で参拝した。旧陸軍将校と元陸自幹部による組織、偕行社の新春賀詞交換会に出席した際のことだった。翌9日にも今度は陸上自衛隊の「航空事故調査委員会」の幹部が靖国神社を参拝している。参加は強制ではなく、私人としての参拝だったとの説明にもかかわらず、不信を招く行動として批判された。

 一部の自衛隊の関係者ではあっても、なぜさきの大戦を「大東亜戦争」と呼び、靖国神社を参拝しているのか。自衛隊の創設時にまで歴史をさかのぼって考える。

 戦後日本の再軍備過程における旧軍人の関与はよく知られている。たとえば吉田茂首相(当時)の顧問の辰巳栄一元陸軍中将や、服部卓四郎元陸軍大佐であり、あるいは陸海軍の大将・中将クラスの旧軍人が衆参両院の国防族議員となって、影響を及ぼしていた。

 彼らにとってさきの大戦とは「大東亜戦争」のことであり、靖国神社の参拝に何の疑問も抱いていなかったにちがいない。警察予備隊から警備隊、自衛隊の創設は、旧陸海軍の復活と言っても過言ではない。このように旧軍と自衛隊は強く結びついていたとわかる。

 他方で関係者のなかには「大東亜戦争」を肯定するだけでなく、反省する旧軍人もいたことに注目したい。たとえば敗戦直後に幣原喜重郎内閣によって設置された政府機関の戦争調査会において、岡田菊三郎元陸軍少将が「世界から言わせれば悪いことをしたのかもしれないが、悪いことは悪いなりに、何とかもっと上手にできなかったか」と帝国陸海軍の戦争指導を批判している。あるいは偕行社の雑誌「偕行」連載「証言による『南京戦史』」最終回(1985年3月号)で、編集部執筆責任者の加登川幸太郎元陸軍中佐が南京事件をめぐって「中国人民に深く詫(わ)びるしかない」と記している。

 しかし旧軍との連続性を持つ自衛隊に対する国民世論の警戒感は強かった。自衛隊創設(54年)後の50年代における世論調査によれば、再軍備は賛成よりも反対の方が上回っている。さらに70年代の革新自治体の時代になると、革新首長は「自衛隊は憲法違反だから市民ではない」として、自衛官とその家族の住民登録を拒否したり、自治体主催の成人式に自衛官を出席させなかったりした(佐道明広「自衛隊史論」)。

 平和な時代の軍人は肩身が狭い。第一次大戦後、国民に軍人蔑視の感情が高まった。青年将校の結婚難、徴兵忌避者の続出、「カーキ色の服は往来でも電車の中でも」「国民の癪(しゃく)の種」になっていた(岡義武「転換期の大正」)。

 第二次大戦後も同様である。「70年安保」の頃のフォークソング「自衛隊に入ろう」(高田渡)は風刺ソングだった。自衛隊の社会的な地位は低下した。このような状況のなかで旧軍人がさきの大戦を反省的に振り返ることは困難だった。旧軍人の一部の「大東亜戦争」批判が共有されることはなかった。

 年月の経過とともに、世代交代が進む。偕行社においても旧軍人に代わって、直接の戦争体験を持たない元自衛官が主流になる。元自衛官のなかには旧軍の「謂(い)われある汚辱を反省」する志向もあった。しかし旧軍と自衛隊の「誇り」を取り戻すとの目標を掲げたことで、偕行社の戦争認識は「歴史修正主義」に接近する(角田燎「陸軍将校たちの戦後史」)。

 今年1月の靖国神社参拝と4月のX投稿の「大東亜戦争」の背景にあったのは、以上のような自衛隊をめぐる戦後史だった。

 今日では国際安全保障環境の緊張もあって、国民の意識は変わっただろう。内閣府の世論調査(2023年3月)によれば、自衛隊に「良い印象を持っている」32・3%、「どちらかといえば良い印象を持っている」58・5%となっている。

 ところが自衛隊の役割への期待は「国の安全の確保」78・3%よりも「災害時の救援活動」88・3%の方が上回る。ここには自衛隊の本務と国民の意識との間に微妙なずれがある。

 このギャップを埋めるにはどうすべきか。国民レベルで自衛隊の本務への理解を促しながら、自衛隊も政治的な中立性から逸脱することなく、近代日本の戦争指導を批判的に振り返り、歴史認識を深めることが求められている。(第3土曜日掲載)


◆井上寿一(いのうえ・としかず)1956年生まれ。学習院大教授(日本政治外交史)。同大学長など歴任。著書「矢部貞治」など。


2024年4月20日 毎日新聞朝刊 13版 8ページ 「近代史の扉-『大東亜戦争』と靖国」から引用

 この記事が言うように、70年代の世論は戦争で酷い目にあったという記憶がまだ鮮明に残っていたから、国防上の必要などと言っても所詮は「武装集団」は戦争の道具であって、そんなものはなければ、それだけ国民も無駄死にを強要される確立も下がるという合理的な判断があり、国民の自衛隊に対する視線は冷たいものであった。それが、近年「良い印象を持っている」という「反応」が増えたのは、「国防の上で頼りになるから」という積極的な印象ではなく、災害時の救援活動に好感をもつというだけのことで、世論を正確に政治に反映させるのであれば、自衛隊は武装を解除して「災害救助隊」に名称も目的も変更して、国内に限定せず近隣諸国の災害にも対応するという組織にすれば、東アジアの平和に、積極的に貢献できるわけで、これが本当の「積極的平和主義」というものであろうと考えます。





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最終更新日  2024年05月10日 01時00分07秒
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