テーマ:たわごと(26614)
カテゴリ:読書2024
ブログってものを始めるとき、大げさにいうと葛藤しました。「はずかしい、恥ずかしい!けれどしたい!」と。
「だいたい、匿名といったってよくこんなにさらけだせるもんだ」というのがブログのひとつの特徴なんですね。魅力ですよ。 けれど、きっぱりと考えや意見をいうということは潔い(いさぎよい)と感じ、そういうブログなども同感を持って見、好む私ですけれど自分が書くとなると躊躇します。それが羞恥心なのか保守的な心なのかわからなくなり悩みます。 それは微妙に前の世代の影響を受け、それが後の世代に影をさしてしまっているのではないかと思うのです。 戦後、連合軍占領下の政策から出た、ひょうたんからこまのような「民主主義」の洗礼を真っ先にうけたのが私たち世代でした。あたらしい息吹で「民主主義」を、まだ幼い頃から教わった第一波ではないかと思っております。 お互いに意見を言い、出し合って一致点を見出していく。個人の意見を持つ。 と私は叩き込まれました。いえ、理解しました。そうじゃない人もいるでしょうが。今ではあたりまえのことですね。 封じ込めて黙らせてしまうのが長い間の日本の体制でした。それが保守的な構造で、歴史的に長い間さらされてきた世代が私たち(たぶん60代以上)の親たちでした。その影響下、抵抗勢力は多くあったでのす。 そして60年も経ったのに、どうなっているか? 疑問に思っているからブログで語ろうと思うのに、それにも戸惑ってしまうのです。けれども私はノスタルジーでなんとかしたいと、はずかしい、恥ずかしい行為をしているのです。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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