『京都ぎらい』井上章一を読んでの感想がまだだった。
この頃は自慢ではないが、ちょっと前に読み終わったものは忘れてしまう。
何とか思い出してみよう。
えーっと、
京都の人は洛中に生まれ育って住んでいるものが京都人で、
育ったのが洛外の嵯峨では、洛中人から「田舎者」とさげすまれるそうだ。
立派な町屋に住む名家の九代目当主が、嵯峨におい育った著者に
「昔、あのあたりにいるお百姓さんが、うちへよう肥をくみにきてくれたんや」
といけずを言われたという。
ええー、他地方から見れば嵯峨も京都のうちでしょうに
こういう狭い心の、いやらしいのが京都の「都人」だとこの本は言う。
洛中人は「とにかくみんな中華意識が強い。」
ま、そう書きながらこの書き手の方は京都賛美をしているようでもあり、アマノジャクでもあり
このエッセイストの口癖(この本に何度も出てくる)「かきっぷり」という言葉にあるように
個性を出して書いていらっしゃるのだろう。
ところで「かきっぷり」って本人がいうかなあ、
他人の書いたものに批評をするときに使う言葉じゃないかと思うが。
しかし、こういうことってよくあるのかも
「沽券にかかわる」ってのはわたしがよく思う気持ち。似たようなものか(笑