ある夜伽( よとぎ )の晩、一先輩は「 生き過ぎた、
生れて来なかったらよかった 」とシンミリ述懐される。
全くその通りだ。 誰も皆、生き過ぎている。
だから苦しむのだ。
我等は今「 ある設備の完成 」を待って
我自らを解消せしむべく行進中にある。
生き過ぎたことを自覚するものはただ「 自葬 」の日をのみ憧れる。
生命短縮より来る焦燥、雑多の未解決問題に喘( あえ )ぐ苦悩、
けだし汝自己の外に1人の知るものなし。
風ふかば吹け、雨ふらば降れ。
「 堂々たる最後 」、それは男児の本懐だろう。
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最終更新日
2022年02月27日 18時08分46秒
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