ヴェネツィアの歴史、その前に
ヴェネツィアは連日濃い霧に包まれ数十メートル先が見えない状態で、VAPORETTO(ヴァポレット=水上バス)にも遅れや運行停止も出たりしています。 ところでヴェネツィアの街について知ろうとするとき、その膨大かつ栄光の「歴史」に手を付けない訳にはいきません。それに触れないとすると、食前酒かデザートだけを味わってレストランの価値を判断するようなものでしょう。もちろん現在の観光に生きるこの街を歩いてみるだけで、私たちを非日常に誘うユニークで様々な「顔」がありますから、それをどのように味わい楽しむかは人それぞれでいいと思います。けれど、現在の「顔」のすべてのバックボーンである、過去の「顔」を知ったならば、もっとこの街が立体的に魅力的に見えてくるはずです。 初代DOGE(ドージェ=総督)Paoluccio Anafestoが選出されたとされる西暦697年のヴェネツィア共和国の誕生から、11世紀からの十字軍への造船技術等の貢献で巨万の富を築き、ヴェネツィア人マルコポーロが東方に旅立った13世紀。海洋帝国として絶頂期をむかえた15世紀から、長い時間をかけて少しずつ国家としての勢いが後退して、ついに独立国としての生命を閉じる1797年まで、つまりヴェネツィア共和国としての歴史が1100年間。1797年以降、ウィーン会議でオーストリアのものになった後イタリアに編入され、2007年の現在までが210年間。これらの大まかな流れをふまえた上で、ヴェネツィアのメインディッシュである過去を次回から少しずつひもといてみましょう。次回はもう少しさかのぼって、ヴェネツィア共和国誕生の背景からさぐってみたいとおもいます。(写真の絵は、ヴェネツィア生まれの画家Carpaccioの『サンマルコの獅子』138×368cm,1516年作、総督宮殿蔵。ヴェネツィアのシンボルである有翼の獅子をカルパッチョが描いたもの。)