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ヴェネツィアの獅子たち

ヴェネツィアの獅子たち

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Reiko Fujiwara Marini

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2007/03/02
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カテゴリ:歴 史
 古代、中世の街は、敵の侵入を防ぐための城壁で囲まれていました。ヴェネツィアは一見無防備な街のようだけれど、城壁よりももっと効果的なラグーナ(浅瀬の海)が、街を守り続けていたのです。
 こうしてヴェネツィアは、フランク王国支配の危機からのがれ、当時のビザンティン帝国(東ローマ帝国)の傘下として位置しますが、すでにこのとき東方世界に対する強い憧れと興味を示し続けたヴェネツィアの特色がはっきりと表れています。
 このフランク王国軍の撃退は、その後の交易でも政治的にも西と東を結ぶ窓口、つまり西欧世界とビザンティン、イスラム世界とのパイプ役としてのヴェネツィア共和国の歩みの基礎となる、象徴的な出来事といえると思います。
 それから一度も他国の支配を許さなかったヴェネツィアを、ナポレオンによって終わらせられたのは、アドリア海に浮かぶこの小さな、そして強大なヴェネツィアに対するフランク人の一千年にわたる執念が勝ったからかもしれません。
(写真はサンマルコ寺院の正面のモザイク。このモザイクはもちろん、寺院全体が当時の世界最大の都、コンスタンティノープル(今のトルコ、イスタンブール)のスタイルでデザインされています。)





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Last updated  2007/03/03 02:52:17 AM
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