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ヴェネツィアの獅子たち

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Reiko Fujiwara Marini

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2007/02/07
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カテゴリ:歴 史
 「残念なことに」と書いたのは、後者の説は少数派ながら以前より根強くあって、後に「地中海の女王」といわれるまでの海洋国家になりえたヴェネツィアのなりたちについてより説得力があるからです。実際、普通の開拓地以上に高度な技術を必要とする、ラグーナ(沼沢地)の土木建築をはじめ基礎工事のために大量に使用されるカラマツ等の木材、また大理石などの調達および物流システムだけを考えてみても、一時避難的な集落ではなく、都市計画のできる高度な組織の存在があったと考える方が、違和感がありません。
 古代の歴史の見解というのは、決定打がないかぎり、仮説や人々の希望的解釈というものも加わって、統一するのは単純ではありません。ましてイタリアのように、今でも都市間にとても根深いライバル意識があるような地域ではなおさらでしょう。ヴェネツィアはその強大さゆえに、他国(ジェノヴァ、フィレンツェ、ミラノなど)やローマ教会から「憎まれっ子」であり続けたため、後の権力者に無意識にあるいは意識的に、ヴェネツィア起源の歴史がもみ消された可能性も全くないとは言えないと思うのです。
 後者の説のなかで、トロイア戦争(紀元前1000年頃)の敗者たちの一部がローマに落ち延びて、ローマ帝国の基礎を築き、別の一部がヴェネト地方へ下ってヴェネツィア人となった、という見解もあります。後の、常に東方を目指したヴェネツィア人の『習性』のようなものを考えるときこれも、さもありなん、と思えたりもします。





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Last updated  2007/02/08 01:40:59 AM
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