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ヴェネツィアの獅子たち

ヴェネツィアの獅子たち

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Reiko Fujiwara Marini

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2007/02/28
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カテゴリ:歴 史
 476年の西ローマ帝国消滅後、ゲルマン諸国とビザンティン帝国が、豊穣なイタリア半島をめぐって領土の取り合いを繰り返していました。
 687年に今のベルギーのあたりからピピン1世が登場し、750年のピピン3世の時にフランク王国の支配が強まり、その息子カール大帝(シャルルマーニュ)は、812年西ローマ帝国を復活させるまで領土を広げます。
 810年、カール大帝の息子はヴェネツィアを征服しようと大軍を送り込みます。しかし、このちっぽけな島の住民たちは知恵とその強い独立心で、フランク王国の大軍を退けます。
 具体的には、大軍の船の進路に杭を打ち立てて封鎖したり、浅瀬におびき寄せて座礁させたりして、敵の船に乗り込んで槍や弓で撃退したのでした。
 このラグーナ(大湿地帯)の地形の特長や潮の干満を熟知しているからこその作戦でした。
 ヴェネツィアはその後何度も、この方法で敵の大軍を撃退するのですが、とりわけ『こんな小さなとるに足らない島』だと甘く見た軍隊は、かならず高い代償を払わせられたのでした。
(写真はラグーナ全景の衛星写真。真ん中の細長い島がリド島、中央の魚の形の島がヴェネツィア本島)





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Last updated  2007/02/28 06:57:43 PM
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