|
カテゴリ:歴 史
687年に今のベルギーのあたりからピピン1世が登場し、750年のピピン3世の時にフランク王国の支配が強まり、その息子カール大帝(シャルルマーニュ)は、812年西ローマ帝国を復活させるまで領土を広げます。 810年、カール大帝の息子はヴェネツィアを征服しようと大軍を送り込みます。しかし、このちっぽけな島の住民たちは知恵とその強い独立心で、フランク王国の大軍を退けます。 具体的には、大軍の船の進路に杭を打ち立てて封鎖したり、浅瀬におびき寄せて座礁させたりして、敵の船に乗り込んで槍や弓で撃退したのでした。 このラグーナ(大湿地帯)の地形の特長や潮の干満を熟知しているからこその作戦でした。 ヴェネツィアはその後何度も、この方法で敵の大軍を撃退するのですが、とりわけ『こんな小さなとるに足らない島』だと甘く見た軍隊は、かならず高い代償を払わせられたのでした。 (写真はラグーナ全景の衛星写真。真ん中の細長い島がリド島、中央の魚の形の島がヴェネツィア本島) お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2007/02/28 06:57:43 PM
コメント(0) | コメントを書く
[歴 史] カテゴリの最新記事
|