時間の陥穽87
「言(ことば)はロゴス」 ヨハネ福音書は、このようにして始まります。「初めに言(ことば)があった。言は神と共にあった。言は神であった云々。そこには、これは普通の所謂(いわゆる)通常に使用されている語彙の「言葉」とは違うのだという思いと、それでもこれは「こ・と・ば」としか言いようのないものなのだという思いの、神の言葉の預言を其の儘に人間が解せる言葉で介在する通辞、此の「言」は初(はじ)めに神とともに在り、萬(よろず)のものこれに由りて成り、成りたる物に一つとして之によらで成りたるはなし。{起こったできごとで」、この方ぬきにおこったものは、なにひとつなかった。言によってできたものは「命」(此処に掲げられた「命」を詳細に考察すればで世界そのものと捉えられます。)であった」という訳もあります。聖書を解釈するに世界創造が神に起因する以上神を別格として世界には始まりがあり終末が神の別途に設けた世界を覗けば不可避だというわけです。結論から云えば「此の文章の文言「ことば」を「時間」に読み替えれば以外に同調するものが垣間々に見えます。人間の思考は「空間」を自分の手を持って形相して見せることが出来ます。ところが「時間」となると其の本質を問われれば時を象徴化させた時計を見せ、証として提供します。
哲学・思想ランキング