カテゴリ:時間考察
時間の陥穽156
アリストテレス云うところの「運動の数」としての時間は「数を持つ限りにおいての運動」であり、「数えられるもの・数えられ得るもの」としての数と、「それによって私たちが数えるところのものとしての数」であるとします。後者の「それによって私たちが 数えるところのもの」というのは、具体化しようとしない抽象的な数、原理数の1を除く2・3・4・5・・・云々のことで、「数えられるもの」「数えられ得るもの」とは、抽象的な数が適用され得る具体的対象の数量、具象化され得る羊が一匹・二匹・三匹・云々等の具体的数を示します。謂わば、此のものは幾つあるかといった問いに対する答えとして呈示されるもので、そこから、アリストテレスは「時間は数えられるものであって、それによって私たちが数えるところのものではない」と述べます。 哲学・思想ランキング お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2020年05月18日 06時07分17秒
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