カテゴリ:絶対存在論
神の存否-60
スピノザの説く実体とは実有としての「神」そのものであり、他の何者にも関せず、其の認識も「一」の完全なる認識であり、「全体」の認識であって其の認識に他者をば必要とはしません。他者を必要とはしないとは、敢えて厳しく自己を認識することがない。自他を離れた認識、即ち、仏教で云う涅槃のようなものなのでしょうか。 定理六 一の実体は他の実体から産出されることができない。 証明 定理五 自然のうちには同一本性あるいは同一属性を有する二つあるいは多数の実体は存在しえない。により、自然のうちには同一属性を有する二つの実体は存在しえない、言いかえれば、定理二 異なった属性を有する二つの実体は相互に共通点を有しない。により、相互に共通点を有する二つの実体は存在しえない。したがって、定理三 相互に共通点を有しない物は、その一が他の原因たることができない。一の実体は他の実体の原因であることができない。あるいは一の実体は他の実体から産出されることができない。Q・E・D・=此れが証明されるべきことだった。 系 この帰結として、実体は他の物から産出されることができないことになる。なぜなら、公理一および定義三と五から明白なように、自然のうちには、実体とその変状とのほか何ものも存在しない。ところが実体は実体から産出されることができない(前定理により)。ゆえに実体は絶対に他の物から産出されることができない。Q・E・D・=此れが証明されるべきことだった、とします。 別の証明 このことはまた反対の場合が不条理であるということからいっそう容易に証明される。すなわち、もし実体が他の物から産出されうるとしたら、公理四 結果の認識は原因の認識に依存しかつこれを含む。により、実体の認識はその原因の認識に依存しなければならなくなり、したがって、定義三 実体とは、それ自身のうちに在りかつそれ自身によって考えられるもの、言いかえればその概念を形成するものに他のものの概念を必要としないもの、と解する。によりそれは実体ではなくなるからである。 此処で重要なのが「神」は自己を認識するしないにしろ、人間は神の延長としての思惟と精神を併せ持つ幸運を得ており人間が神を認識する可能性を秘めていることです。 最先端の量子重力理論ではミクロの世界のみならず其のマクロをも解明しようとしており、スピノザの説く「実体としての神」は人間の表象に登ることがあるやも知れません。 哲学・思想ランキング お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2021年05月26日 06時04分25秒
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