カテゴリ:絶対存在論
神の存否-139
定理二九に遡上する「偶然性」と「必然性」、現在よく使われるのは物理科学を別として、「必然」と「偶然」という言葉をを忌避するかの人間思考の危うさに重きを置いた「想定外」。変動(Volatility)、不確実(Uncertainty)、複雑(Complexity)、曖昧(Ambiguity)の頭文字をとった「VUCA」。社会のヒエラルキーや旧来的秩序が崩れ、高度な技術が普及してきた90年代以降にVUCAの進行が顕著になったとされます。仮にも物理科学や哲学は「想定外」を口にすることは厳禁です。昨今の災害や病害の蔓延は「想定外」という言葉を免罪符として人間が使うようになったら絶望的です。「偶然」事象を色眼鏡付きでみるようになったら、真実を隠蔽し、事実を歪曲する誘惑がその先に待っていると知るべきでしょう。 定理二九 自然のうちには一として偶然なものがなく、すべては一定の仕方で存在し、作用するように神の本性の必然性から決定されている。 この世の中は、必然で構成されているのか、偶然が支配するのか。「必然」の本質は、「予見可能性」のある状態でしょう。自然法則が典型だと云えます。水は高きから低きに流れる、太陽は東から昇り西に沈む、速度は距離を時間で割って得られる。将又、人間の社会的な現象に目を向けると、法制度、確立した慣行、年中行事、世の中一般に通用する常識、道理と言われるものなどが「必然」の顔をして紛れ込んでくる。「偶然」事象に対処するため、確率論的に事象を把握するアプローチもあるが、今現在は観測物理学にしても「偶然事象」を持ち出すこと度々であり屡々の状況は変わりません。 スピノザの定理二九の「必然性」とは神が自らを必然として存在せしめ、自らの意思、乃至は意志に於いて決め置き、完全させた世界だといえます。全ての存在、人間の究明すべき目的は神を知ること。此れには哲学や信教、更には神を実相と見る物理科学ならば、求めるものは一致することも儚き夢ではない時代が来るかも知れません。 哲学・思想ランキング お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2021年08月15日 06時10分05秒
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