カテゴリ:絶対存在論
神の存否-386
定理一 誤った観念が有するいかなる積極的なものも、真なるものが真であるというだけでは、真なるものの現在によって除去されはしない。 証明 誤謬〔誤謬〕は単に非妥当な観念が含む認識の欠乏のみに存する(第二部定理三五 虚偽〔誤謬〕とは非妥当なあるいは毀損し・混乱した観念が含む認識の欠乏に存する。)により、そしてそれらの観念はそれを誤りといわしめるような積極的なものは何も有しない(第二部定理三三 観念の中にはそれを虚偽と言わしめるような積極的なものは何も存しない。により)。むしろ反対にそれらの観念は神に関する限り真である(第二部定理三二すべての観念は神に関係する限り真である。により)。だからもし誤った観念が有する積極的なものが、真なるものが真であるというだけで異なるものの現在によって除去されるとしたら、真なる観念が自分自身によって除去されることになろう。これは(第三部定理四 いかなる物も、外部の原因によってでなくては滅ぼされることができない。)により不条理である。ゆえに誤った観念が有するいかなる積極的なものも(証明 この定理はそれ自体で明白である。なぜなら、おのおのの物の定義はその物の本質を肯定するが否定しない。あるいはその物の本質を定立するが除去しない。だから我々が単に物自身だけを眼中に置いて外部の諸原因を眼中に置かない間は、その物の中にそれを滅ぼしうるようないかなるものも我々は見いだしえないであろう。)Q・E・D・此れが証明すべきことであった。 哲学・思想ランキング お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2022年04月21日 06時06分11秒
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