宮城県相馬市
昨日の日記で紹介した白石のタクシーの運転手の話によると、白石まで乗り越すお客さんの中には、時折常磐線の列車と間違って白石まで乗り越してしまう人もいるんだとか。白石から相馬まで片道10,000円以上かけて送迎した、なんてこともあったようです。私のように福島県中通り北部から仙台まで通う人も多いですが、相馬市あたりから仙台までの通勤・通学者も結構いますね。相馬近辺を走る常磐線の列車運行本数は最低でも1時間に1本以上で所要時間も1時間ほどですし、現在仙台から亘理まで延びている仙台東部道路が南進して常磐自動車道と一体化すれば、相馬から仙台への通勤・通学の流れは更に加速するでしょう。相馬市は行政的には福島県ですが、仙台への依存度を徐々に強めつつあり、「宮城県相馬市」と呼んでいいぐらいの状況になっています。でも相馬市って、もとをたどれば相馬氏の城下町なんですよね。相馬氏は中世より幕末までの長期にわたってこの地域を治めていた由緒ある大名で、戦国時代には伊達政宗の猛攻に耐えながら領土を維持した実績を持ちます。6万石と石高こそ仙台伊達家62万石の10分の1でしたがれっきとした独立藩であり、その辺はプライドがあっていいところ。でも現在の相馬市民からは、その辺の心情はあまり伝わってきません。むしろ相馬野馬追のメーン会場・雲雀ヶ原を有する南相馬市原町区の方が相馬藩の気風を受け継いでいる街のような気がします。時代の流れといえばそれまでですが、長い年月の果てに、相馬氏(相馬市)は伊達氏(仙台市)の軍門に下ってしまったといっても、過言ではないでしょう。