地獄と天国、どちらが想像しやすいか。ソウ考えると、地獄である。我々、現世はどちらに近いか考えれば分かる。遠い方が想像力をかきたてられる。アフリカアジアの飢餓地域では、ふんだんにある食卓を想像するだけで天国である。癌病棟では、家族とスポーツすることを想像するだけで天国である。今享受している快楽よりもっと幸せで楽しい天国を想像する・・・には、悲惨な地獄を想像するよりは、ネタがない。
ところで、日本人へのアンケートで、どんな環境で死にたいか、というのがあり、一番多いのは、自宅の畳の上というのが多い。若者もそうらしい。(私は野垂れ死に)
部屋の窓から緑が見え、最後に見たいものは、青空。
実際は9割以上が病院で亡くなっている。
自然の中で死にたい・・・これはアメリカではほとんど言及されない。このあたりには日本人の自然に包まれて一体となっているという生命観があるのかも知れない。
そういえば、脳死問題で、アメリカ人が理解できない日本人の主張がある。
「脳死に反対するのは、それが自然ではないからだ」という主張である。自然ではないという理由から反対するアメリカ人はほとんどいないとのことらしい。
身近な例でもある。西洋医学や最先端医学を、自然ではないという理由で治療拒否する日本人は多いではないか。
とにかく、最後に見たいのは「青空」、そこに軽い眩暈を覚える感動が何となくあるんだなあ。
OECDの学力調査で世界で事実上トップの成績を収めているフィンランドの教育とはどんあものか。
親世代、一般国民の教育レベルの高さ、修士をもっていないと教員になれない教員のレベルの高さ、小人数をさらに小グループにわけて、わからないところを残さない面倒見のよい授業システム、そして大学院、給食費をふくめてすべて無料という教育の機会均等が効いているなどがあるようだ。
赤ん坊を含めて、国民一人当たり年間30冊の本を図書館から借りる国民性、くだらないバラエティ番組はほとんどなく、一番人気が討論番組、二番人気がニュース番組、そしてドキュメンタリーという親世代の知的レベルの高さが、子どもにも伝播しているのだ。親世代の教養レベルの高さと教育熱心さ、国民総中流ともいえる貧富の差の小ささ、そしてバカのいない国。これらがフィンランドの強さの秘密のようだが、これはまさに団塊の世代が学生時代を送り、活躍した60年代から80年代までの日本の姿であったのかもしれない。全否定ではなく、いいところは継承していかねばなるまい。それにしても、最近、世界的に大学を出ても就職できない人々が増えているらしい。日本も来年から大学の募集人数が受験生を上回るらしい。
もうディナーテーブルの役目果たしてないよ・・とほほ
P.S ニコラスケイジ主演、マーチンスコセッシ監督の「救命士」を観た。スコセッシの「タクシードライバー」のカメラアングルとマイケルクライトンの「ER」のテンポのよさと、とジョニーデップの「ラスベガスをやっつけろ」のはチャめちゃぶりを3で割ったような感じであった。あ、ラスベガスより、Dリンチの「ワイルドアットハート」だな。
PS ソドムの市 パゾリーニ。ストーリーと救いのないこの映画、20年近く観ていないが、ビデオ屋に行くと、またふと、怖いもの見たさで、時々、手にしてしまう。大金持ちファシスト4人が、快楽の奴隷としての美少年・美少女狩りを開始し、それぞれ数十人ずつ集め、そして、その中から投票で少年・少女9人ずつ選び、狂宴の舞台となる館へ運んだ。フンニョウ、消費社会、佐渡マゾ、ソドミー、さつ陣、ファ沈む、歩もれず、ゴー門の戦慄残酷寓話絵巻のオンパレード。頭髪を剥ぎ、焼き印を押し、なぶり殺しにする。この地獄図を窓から双眼鏡を覗きながら辞意にふける男たち。グヘー。問題作中の問題作ですな。モノ化され商品化され、無惨にも消尽されつくして醜悪な肉塊と化した、現代の人間存在を徹底的に描いたこの作品は、豊かな暗黒の金字塔とも言えよう。いや、そんな堅苦しい解釈は不要、20年たっても、あの大統領の皿にしたウンチ、それを食べさせられた美少女、男の尻を集めた美尻大会、目をスプーンでえぐるサド、パゾリーニ監督自身、この作品を撮ったあと、激しく殴打され失神した後、パゾリーニ自身の乗用車を用いて轢殺されたという逸話。
観たら、きっと夢みるよ。悪夢・・・・