かつて、岸田秀の精神分析を国家に当てはめて、初めにインディアンを襲撃して、各国への征服干渉を繰り返す歴史を持つアメリカに、うまいこと説明するものだなあ、と感心したことがある。
最近知ったことであるが、面白い、というかうまい具合にいう法則もあった。題して、リメンバーの法則。
その1、アメリカやその企業に都合の悪い政権を悪の枢軸だの民族浄化だのテロリストだの古いが共産主義だのいって、とにかく難癖をつける。
その2、反政府放送などによって、謀略宣伝を国内外に流しまくる。
その3、アメリカのいいなになり反政府ゲリラを組織して、自分の手を汚さずに、資金援助及び指導指揮して都合の悪い政権を潰しにかかる。
その4、ゲリラを周辺から侵攻させる。ゲリラ兵力が頼りない時は、アメリカ本体が顧問団として支援する。
その5、領土の一部でも占領できたら、傀儡政権を作る。そしてその政権からアメリカに支援要請させる。
その6、要請を受けて、アメリカ軍が出動、メチャンコに武力制圧する。但し、相手がムチャンコに弱ければ(グレナダやパナマ)、面倒な手続きは省いて、直接乗り込む。名目は、海外在留アメリカ人と資産を保護するというものだ。
リメンバーアラモ
アメリカは、イギリスの独立戦争で西方の領土を獲得し、フランスからルイジアナを買い入れ(フランスはイギリスと戦う戦費が欲しかった)、スペインからフロリダ周辺を購入し、先住民インディアンを虐殺しまくった後、メキシコ州テキサスを狙ったのであった。
メキシコ人はお人よしでノー天気の寛容さで、勝手にアメリカ政府が無断でテキサスを開拓し始めたのを、どうせ不毛の地だからご自由にどうぞ、と移民を歓迎までしていたのであった。
しかし、次第に人口は増加し、メキシコから独立して、テキサス共和国を作るよ、なんて独立運動までしはじめたものだから、メキシコ政府はびっくりして、移民を禁止した。メキシコ政府は、それに、奴隷制度への道義的反発もあったので、取り締まったのであった。逆切れしたアメリカは、勝手にテキサス革命と称して、自由を守るためと、義勇軍と称して武装勢力がゾクゾクとテキサスにやってきて、200人たらずがアラモの古い教会に立てこもったのであった。自国を勝手にされると思ったメキシコは、この200人を5000人の兵士で蹴散らす。さて、罪もない同胞を殺した卑怯なメキシコ人をケチョンケチョンにやってしまおう、とまんまと町の名前にもなる司令官ヒューストンは大軍を送り込み、テキサスを独立させ、速効でアメリカに併合させたのであった。哀れなメキシコ、ひさしを貸したら母屋を取られた訳だ。
それどころではなく、怒ったメキシコはアメリカと国交断絶を通告するが、またこれがあだとなり、宣戦され、ニューメキシコ、カルフォルニアを巻き上げられてしまったのであった。これで、メキシコは国家が半分になってしまったのであった。特に不毛の地と思われていたカルフォルニアは講和条約後1週間で、黄金がザクザクで出したというのだから、これは、初めから分かっていたのであろう。
メキシコの名言「メキシコの悲劇は、天国にあまりに遠く、アメリカにあまりに近いことだ」
(これは、占領で、憲法違反だと言った議員もいたにはいた。若き日のリンカーンであった。こんな発言をしたので、人気はだだ下がりとなった)
この戦争で海岸部を指揮したのがペリーであり、同じ陰謀手法で日本の一部、沖縄や小笠原も取ろうとしていたのであったが、何とか、徳川幕府、うまく切り抜けたのであった。
メイン号を忘れるな
カリブ海は、キューバを中心にスペインが征服していた。キューバの砂糖と領土が欲しいだけなのに、スペインからカリブ海を救うなどというまたお決まりの名目を作ったのであった。そこで、キューバのハバナに戦艦メイン号を派遣するのだが、謎の大爆発を起こした(多分、自作自演だろう)。日本人も数人乗っていたようである。さて、怒り心頭のアメリカは、やったのはスペインであると新聞の謀略記事で世論を味方につけ、ガンガン戦争をしかける。実は、新聞はセンセイショナルなことを書いて部数を伸ばしたかっただけだったと、判明しており、ハバナの特派員も銃声がないので帰国しますよ、と会社に連絡すると、もうすぐ戦争を起こすから待てといわれたそうである。この戦争で名を売ったのがセオドアルーズベルトである。素手でスペイン人を殺しまくったと嬉しい手紙を友人に送っている。何のことはない、人員は10倍もいたからである。こいつは、自分の都合のいいように、日露戦争を調停させて、ノーベル平和賞を貰ったが、単なる暴力団だ。
ところで、キューバ人を救え!のスローガンはどうなったかはもう明白である。キューバとプエルトリコをもついでにもぎ取ったわけだが、当然軍事基地もおいて、傀儡政権を作って終わりって感じであった。「独立を支援してくれるっていったじゃないですか」とキューバは言ったが、「でも文章がないから」と蹴散らし、基地の返還には、アメリカの合意が必要と言う不平等な条約を結ばされ、今でも年間4000ドルの小切手をキューバに送っているが、カストロは当然、小切手の現金化を拒否し続けている。これと同じ手法をアジアのフィリピンでも使ったことは明白である。スペインからの独立を支援すると言う形で、スペインを追い出し、自分たちが占領、怒ったフィリピンはゲリラを組織し、更に立ち上がるが、この人々を虐殺しまくった指揮官が、ダグラスマッカーサーのパパであった。ハワイに至っては、宣教師がだまし討ちして、カメハメハのハワイを併合。助けを求められた明治政府はこれを断っている。
その後、リメンバーパールハーバー、そして、リメンバー911と続いていくのであった。どうしようもない国だね。
追記 十字架はイラクで死んだ兵士ですわ
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