これは、前回2回目の韓国よりさらに、よく覚えていない韓国旅行であった。
確か、仕事中に、街中を歩いていると、旅行代理店の張り紙に、韓国19800円とあったのを見て、飛び込んで、その場で申し込んだ。ここ数年にように、韓国キュパイチとかニキュッパとかがまったくない時代で、やはり2泊で4、5万円はした。格安の理由は、まったくの閑散期12月上旬の平日だったからだ。
実は、海外旅行の団体旅行の参加は初めてであり、空港の送迎と、中級ホテルと飛行機代のみというツアーであった。(今、そのとき泊まったホテル、ソウリンホテルを検索すると、区画整理のために潰されたが、チョンノにあったようだ。今回の旅行で、歩いて通り過ぎている。全く分からなかった。)
出発の前日は、会社の飲み会があった。実家に住んでいた私は、飲み会といえば、カプセルホテルにいつも宿投していたので、一応、念のため、胸ポケットにパスポートを忍ばせておいた。
考えれば、当時は、韓国も遠い国、10年ほど前まで、トランジット1泊以外は韓国もビザが必要だった。1986年のアジアンゲームのときは、その期間だけ1週間ノービザだったことを思い出した。ビザを取りに、当事、神戸にあった領事館に行った。
出発の朝、大阪南のカプセルホテルから伊丹国際空港に行った。伊丹から海外に行った最後のフライトだったかもしれない。1994年9月が関空の開港なので、多分、行ったのは、92年か93年の12月だろうと想像できた。
この旅行の最大の特徴は、背広に手ぶらだったことだ。2泊だから着替えもなく、当事の職場への通勤はいつも手ぶらだったから、やっぱりてぶら。詳しく言うと、片手に日経新聞。
ソウルに着いてから、ようやく、安い旅行のからくりに気が付きつつあった。ホテルに送迎するまでに、何度も土産物屋を回るのだった。バスか!と思ったら、ソウルの空港に集まったのは、もう1人のおっさんだけで、普通の乗用車で、おっさんは、40万円ぐらいする革ジャンを買わされていた。私は、ちょっと、ちょっと、といいながら、すぐ店を出て女性店員数人の猛攻色気仕掛け説得を回避することに成功しつつあった。しかし、申し訳ないので、確か、革ジャン屋で、何故だか、コウライニンジンの一番小さいのを一つ買ったような気がする。
やはり着替えが必要なので、東大門まで、背広と下着を買いに行った。どのようにして行ったか定かでないが、地下鉄のワンシーンを覚えているので、多分、地下鉄だ。日本以外の地下鉄なんて危なっかしくて寝られないよなあ、と思ってきたが、ぐうぐう寝てしまったのであった。(というか二日酔いでもあった)
韓国ウドン(カルククス)を昼間に食い、生きたたこの踊り食い(サンナッチ)を食べたがどこで、食べたかまったく覚えていない。
韓国で買った背広は、すぐに、チャックがバカになったが、がんばって10年ぐらいは着たような気がする。
おまけ・・・昨年放火された南大門
2008年韓国旅行
韓国到着
ソウルの迷宮
西大門刑務所(トーチャーミュージアム)1 ・ 西大門刑務所(トーチャーミュージアム)2
民族博物館1 民族博物館2
民族博物館3 1986年韓国到着
1990年韓国到着