リゾートホテルに宿投して、早速、リゾート満喫のフリをしたが、実は部屋のバルコニーから写真を数枚撮って、チェックイン後3分で、既に、出かけるのである。今回の第一目的地にGO.何故なら、私は、歴史がチョトダケ好きなのである。テクテク歩いて行ったが、暑かった。汗ドボドバであるが、専用車があるなら迎えに来てもらったらよかったぐらいである。
歴史を勉強しようと、訪れたら、偶然にも、蝋人形館だった・・・またかよ~(ハルジ風)。
幸福な、本当の住民時代。地図に「マリアナ諸島」の名が出る2~3000年以上前、チャモロ民族がインドネシア・フィリピンあたりからカヌーに乗ってマリアナ諸島に移住してきたと言われている。世界一深いマリアナ海溝、こんなところにあったのか・・・というか、この杖を持った男性、取引先の人に似てるんだけど。
1521年、各地で虐殺の限りを尽くしたマゼラン一行が、ヨーロッパ人として、マリアナ諸島を“発見”。多分、自分らが略奪していたくせに、原住民チョモロ人が、マゼランの船を襲うということで、盗賊の島と呼ばれていた。
当のマゼランは、航海途中、フィリピンで、略奪とゴーカンを繰り返しまくり、激怒した英雄ラプラプに攻撃され、逆切れしたマゼラン一行がラプラプを殺しに行ったが逆に殺された。ざまあみろだ。(おっと、私情をはさんでしまった)。マゼランの部下は命からがら逃げ出し、そのままヨーロッパ人として、世界一周を成し遂げる。
1565年、スペイン皇后の名前から「マリアナ諸島」と命名され、勝手に領土宣言。ちなみにフィリピンもフェリペの名前だ、勝手だ。
いつものやり方で、宣教師が帝国主義の尖兵としてやってきて、キリスト教化しようとする。
勿論、現地のチャモロ人は激怒、10年以上の戦争を繰り広げて、ついに、やられちまう。
やられちまったあ・・・とくやしがりながらも、サイパン島民は全員、グアム島に強制移動、無人島となってしまった。その前に、チャモロ人は人口が50分の1になってしまった。ほとんど皆殺し。
やられた女性、なんだか、蝋が光って妙に、艶っぽいのは気のせいだろうか、きっと気のせいだ。
300年以上スペイン人は占領。100年ほどして、徐々に、サイパンに住民が戻ってくる。
米西戦争で、スペインがアメリカに負け、多分、金がなくなったか、賠償金で金がいるようになったのかで、ドイツに勝手にサイパンやパラオなどを売却。ドイツ人現る。
ドイツ人ココナツ農場を経営しようとはしていたようだが、やがて、開発開拓を断念、暑いからか?流刑地にしてしまう。
ドイツ人は15年だけの支配。ニポンジン来たから。
第一次世界大戦で、ニポンジン、無血入城。ベルサイユ条約により、ミクロネシアは日本領に勝手になる。サトウキビをメインに農場を各地に作り、島一周したサトウキビ運搬鉄道を開通させる。(今も、線路は無いが道は残る)
何だかよくわからないが、まあまあ、喜ばれているようにうに描かれている。ニポンジン、中国でも朝鮮でも台湾でも占領しては、勝手にインフラを整えて、人も残さず去っていく民族か。
占領以来進出がさかんだった日本の製糖企業ではあったが、戦後の不況にみまわれ相次いで撤収する中で製糖企業・南洋興発株式会社だけが、サイパン・ロタ・テニアンで一大事業として成功しその地位を確立した。これによりサイパン・ロタ・テニアンをアジア最大の製糖産地として発展し、その設立者である松江春次はサイパン経済に多大に貢献した者として「シュガーキング」と呼ばれ現在でもサイパン史上最も有名な日本人として知られてる。3万人いたといわれる日本人(台湾人朝鮮人含む)の8割が沖縄人だったという。
第2次世界大戦勃発よ。
ニポンはグアムを占領、アメリカも日本攻撃の拠点として、これらの島が欲しかったので、猛攻撃。事実、隣のテニアン島から、原爆機B29が飛び立った。
泣きそうな日本人に見えるが、軍服がアメリカ。それに、人形のバランスに遠近感を持たせたいのか、2,3メートルしか離れてないのに、後方の人形は、50センチぐらいしかなかったりする。
どんどん、北に逃げていく日本兵を追い詰めていく。
玉砕である。3万人いた日本兵も、生き残りは1000人。1ヶ月も守りきれなかったわけである。
海の中を歩く米兵。まるで、海が砂のようだ。日本兵、殺されるか自害する。
叫び!
叫ばない!
米兵、どうせ、どさくさにまぎれて、また民間人も殺したんちゃうの?
必勝。
日本軍も厚さ12ミリしかない2人乗り戦車で頑張ってみたりするが、すぐに、薄すぎて、中にいても打ち抜かれる。
北部の洞窟に日本司令部があったが、もう米軍にバレバレ、初めからばれており、ほとんど機能しなかったようである。
現地チョモロ人を親切に助ける米兵。何せ、今、植民地にしているのが米国だから、悪い人形は作りたくねえ。
しかし、この偽善者めが、って顔をしている気丈な女性なのであった。
バンザイクリフから、自決する人々。ほとんどが民間人。
でも、多分、バンザイとは言っていない気はする。
民間人はいつも、無視されるのである。見殺しにされるのである。見放されるのである。
恥を知れ、どうせ殺されるのならころしてやる、と追い詰められたのだろう、悲しすぎるのだ。
アメリカがやってきた。一応、国連信託統治領
1975年、一応住民投票でアメリカになることを決定。経済の恩恵もあるしな。86年正式に自治領になり現在に至る・・・が人種は、フィリピン人、中国人、現地チャモロ人、韓国人、ミクロネシア人、ポリネシア人がメインで、白人は、そうだなあ、50人もみてないなあ。ホテルも白人は1人だったし、白人が店員でいる店はなかったし、アメリカに来たって感じは全然ないのだなあ。
そういうわけで、島民の歴史を一通り即席で頭に入れ、フラフラ歩きに出るのである。とにかく、大変込んでいたので、見学には1時間を要してしまったぐらいである。忙しすぎて、切符売りの受付の方も、なかなか出てこないぐらいだった。
2008年サイパン旅行
サイパン行
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歴史蝋人形博物館
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サイパンに咲く花