大スンダ諸島とは、ジャワ、スマトラ、ボルネオ、スラウェシ各島のことである。スラウェシだけは、昔からの意味もなく行って見たいと思っている島であり、独特の家居住がある、昔はセレベス島と言っていた気がする。スリランカがセイロンだった頃の話。
小スンダは、バリ以東がメインで、ヌサテンガラ諸島といわれている。ヌサテンガラ目差したけど、バリで沈没したからなあ。ロンボク、スンバワ、コモド、スンバ、フローレス、テモールあたりね。
ただ今日は、ちょと時間があったので、渋谷のスンダはどうなったのか、とぼとぼ歩いて見にいった。文化村の向こう側で松涛と同じく、急に静かになる地域である。
21歳ホアヒン、タイを自転車で縦断中の私は、宿からビーチまで自転車で行き、波打ち際を自転車で走っていた。
四時間のビーチタイムで、渋谷でタイ料理を経営している人と出合った。その店の名前はスンダと言った。
「君は、いつもいい子にしているんだろうなあ」と含みある言葉を彼はいい、私ははにかんで曖昧な対応をした。若さだけが私の勝るものであった。完敗でなくて良かった。味にある人になりたい。味付けできる人になりたい、そう思わせてくれた。
(彼は昼間からビールを飲んでいて、なんだよと私も若く思ったが、働いたら旅行してたら朝から飲むことが判明した。タイでは学生時代はビールが高くて週に2、3本であった。まあ別途ヘラヘラしてたけど。)
それから社会人にもなり、7年近くが経過し、私は東京勤務であり、ある日、聞いていた住所を頼りに記憶を辿りながら渋谷のその店に行ってみた。閑静な住宅街の中にバリ風の戸建てがあり、それが店だった。少し緊張して、勝手に二階に上がり、注文したあとに訪ねた。「オーナーの○○さんはいますか」
アルバイトらしき女性は、「オーナーは体を壊し療養中なんです」と返事をもらった。
「そうなんですね」といい、昔ホアヒンで出会って、いろいろお話聞かせてもらったんですよ、ということは彼女にいちいち話さず、「じゃあ、ビンタンビール追加で」と言った。7年たって、私なりの答えを用意していったのだが、遅すぎたと後悔した。
それから更に3年後(10年後)、行ってみると、バリのお寺風の建物がそのまま個人宅になっており、店はなくなっていた。
そして2年後、ふと立ち寄ってみると、建物自体なくなっていた。
今日はあれからざっくり30年後歩いてみた。賃貸アパートになっていた。もうあの人は亡くなったのだろうか。
はちこうまえは、外人のみである。
考えれば、別に会いたいとも思わないが30年会っていない人が多くいる。そして、これはボケの原因にもなるのだろうが、どんどん人に出会いたい欲求がない。
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