テーマ:社交ダンス(8436)
カテゴリ:アートのはなし
粉屋の息子だったレンブラントは14才でレイデン大学に入るほどの秀才で、両親は彼を法律家にしようと期待していました。
当時の進路として頭のいい子は聖職者か法律家みたいな風潮があったのかもしれませんね。 でも彼は法律家より画家になりたかったんです。 ![]() 当時は美術学校などありませんでしたから、著名な画家に弟子入りするとか、イタリアに留学するのが普通だったようです。 彼はイタリアへは行かずにアムステルダムのビーテル・ラストマンに師事します。このとき同じように神童と言われていたヤン・リーフェンスと出会い、良きライバルになりました。 レンブラントを一躍有名にしたのがマウリッツハイス美術館にある『トュルプ博士の解剖学講義』です。 ![]() まだ写真が発明されてませんから、集団肖像画は裕福な人たちが記念写真のような感覚で注文していた人気商品でした。 どれも似たような構図で、今で言ったら卒業写真みたいにみんなこっち向いて同じポーズだったんですが、そこでレンブラントが新風を巻き起こすんですね。 実際に先生が講義しているところにたまたま入って来た人が見るような光景を生き生きと描いてみせたんです。しかもみんなの顔がちゃんと分かって、先生が一番目立つように。 これで人気者になったレンブラントは次々と注文も入り、弟子も来て、裕福な家の娘サスキアと結婚します。 ![]() そして移り住んだのが今日ご紹介する、レンブラントハイスです。 2011年7月22日に行ってきました。 1606年に建築された豪邸といいますが、彼が買い取って引っ越して来たときにはすでに築33年の物件だった訳です。 でもこの辺が日本の感覚と違うところで、ヨーロッパの物件は古い物ほどいいらしいですね。 もう築400年を超えてますが、現在は博物館・美術館として世界中の観光客を迎え入れています。 こちら入場券。 ![]() 『レンブラント 光の探求/闇の誘惑』でご紹介しました数多くの版画や絵画、それに収集した世界中の珍しい物が家の中に置かれています。 晩年落ちぶれてほとんどのお宝は手放したと聞いていましたが、博物館にする目的のために買い戻したのか、雰囲気を味わってもらうために展示してるのか、結構たくさんの調度品がありました。 都心の一等地だけあって豪邸と言っても宮殿のように広くはないんですね。 階段もデルフトの教会と同じ狭い螺旋階段です。 窓が高くて、フェルメールの絵画によく出て来るような光が斜め上から部屋に差し込んでしました。 ![]() 作業部屋のようなところできれいなスタッフの女性が版画の道具をいじっておられたので、見せてもらえるのかとウロウロしていると、 『いま実演は終わったところなんです。次は40分後ですからもし興味がありましたらまたいらしてみて下さい。』 と言われました。 見てみたかったですが、このあとすぐに試合会場のあるゼーフェンベルゲンまで電車で行く予定でしたのでそのままレンブラントハイスをあとにしす。 実演に使った作品はもらえたのかな。ちょっと残念です。 ![]() お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2011/09/07 08:49:03 AM
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