テーマ:社交ダンス(8315)
カテゴリ:TVのはなし
いままで歴史にあまり興味がわかなかったのは、私にとって多分それが遠い昔の他人事で、試験のために年号を暗記するだけのものだったからかもしれません。
2009年から3年に渡って切れ切れに放送されたテレビドラマ『坂の上の雲』全13話をNHKオンデマンドで一気に見ました。 きっかけは道後温泉の旅。 このお陰で明治という時代がぐっと身近になりました。 見終わった後、その時代を生きた気さえしました。 あんまりどっぷり浸り過ぎて、大将としゃべる時、しばらく妙な伊予弁になってたくらいです。 『これって、あんこ入ってるぞなもし。』 なんてね。 大きな時代の転換期を担った秋山好古・秋山真之兄弟と正岡子規の同郷3人の物語りです。 松山のミュージアムを訪れるまで、私は秋山兄弟のことを知りませんでした。 しかし今は、彼らがいなければ今自分の立っている地面が日本ではなかったかもしれないとさえ思っています。 開化したての弱小国を、日露戦争の勝利によって西欧列強の歯牙から守ったのは彼らの功績が大きかったんですね。 兄の好古(よしふる)は最強と言われたロシアのコサック騎兵を阻止し、弟の真之(さねゆき)は日本海軍史上きっての戦略家といわれ、バルチック艦隊を全滅させる作戦を立てた参謀でした。 『柿食えば、鐘が鳴るなり法隆寺』 みんな知ってるこの句を作ったのは正岡子規だったのもこのドラマで知りました。 秋山家は伊予松山藩に務める下級武士でとっても貧乏だったんですね。 真之は五男として誕生しますが、貧乏で育てられないので寺に預けようかと父親が言うのを止めたのは10歳の好古でした。 この出来た兄は『単純明快』な、今で言うシンプルライフを好んでいて、極力持ち物を少なくして暮らしています。 真之と東京で同居したときも茶碗一つで二人で交互に食べあっていたほどの徹底ぶり。そして大酒飲みでした。 真之は子供のころからガキ大将で要領がよく、喧嘩でも負けたことはありません。ものを考える時はいつも炒り豆をかじっていました。 他の兄弟は子供時代以外全く登場して来ないんですが、何をされてたのか気になるところです。 真之と子規は幼なじみで、子規が36歳で亡くなるまでずっと仲良しでした。 長く結核とカリエスを患っていましたが、筆の力はますます凄みを増して行きます。 お互いに幼名で『じゅんさん』『のぼさん』と呼び合っていましたが、これでのぼさんビールの意味が分かりましたよ。 侍社会から急に解き放たれた民衆の戸惑いや、江戸を引きずりつつ生きている武士たちの居心地の悪さ。 急激な西洋文明の流入と、その急流に飲まれまいと必死で上に向かって泳ぎ続ける官僚や軍部のあがきが、リアルに伝わってきました。 戦争の高揚感や悲惨さも。 夏目漱石や森鴎外、伊藤博文や東郷平八郎、乃木大将。 名前や功績は知ってるけど生きていた時どんな人だったのか全くイメージのなかった明治の有名人たちがオールスターキャストで登場します。 出ていた俳優さんたちはみんな主役をはれるような人たちばかりでしたが、決して他のドラマの役とかぶったりすることなく、演じているというより生きているように感じられたのも作品にのめり込んだ理由の一つです。 特に軍医として登場した森鴎外やネズミ大使と言われた小村寿太郎は、脇役なんですけど印象に残りました。 ロシア周辺国の革命分子を煽って帝国を内部から崩壊させたという明石元二郎の活躍や、旅順攻撃のピンチを救った児玉参謀長の英断も光ってましたね。 真之の親友だった広瀬中佐はロシア人からも慕われていて、戦死したときは本当に残念に思いました。彼がいたら、ひょっとして戦後処理はもっと上手く運んだかもしれません。 司馬遼太郎の素晴らしい原作があってこそのこのドラマだとは思いますが、それにしても何と言う激動の時代だったことか。 それこそ坂の上の雲のような、漠然としているけれど高いところにあるまばゆい何かを目指して必死に駆け上がって行った人々。 その自国に対する強い思いを、今一度この時代に思い起こしてみるのもいいかもしれません。 素晴らしいドラマです。 DVDも出てます。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2013/01/31 08:58:15 AM
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