ドッキリって公開のいじめと何が違うの?
年末のバラエティー番組を見ていて、昔から思っていた疑問が昨今、むくむくと盛り返してきたので書きますが、「ドッキリって公開のいじめと何が違うの?」 という・・・よくある若手芸人をだましてひどい目にあわせ、そのリアクションを別スタジオの大物、有名芸人がVTR越しに笑うという構図。 この手の話を言うと「いや、ここでひどい目に合うというのは美味しい役目だから」と・・・でも、たとえばこれって学校のいじめの現場でその論法が使われていることは御存知でしょうかね?いじめられっ子の生徒がいじめる側からたとえば水泳の時間、服を全部プールに投げ込まれる。やった側はみんながゲラゲラ笑って「面白い行為を行った」と思っている。服がびしょ濡れになり右往左往するいじめられた側を見て「あいつはリアクション面白い、美味しい奴だ」と・・・ 何より、一度その手の「いじられ役」がレッテル付けられると、本人の意思関係なく、その人の役割のようになる。最初は軽いいたずらがどんどんエスカレートして・・・のよくあるいじめの構図。皆さんも思っていませんか?タレントの出川哲郎さんや松村邦彦さんはいじめてもいいキャラだと。実際、地方のロケなどで一般人に急に後頭部をたたかれたりといったことがあるそうで。 「あれはテレビのお笑い番組だから許される」って、誰が決めたのか?これでお給料をもらっているのが芸人なのだから仕方ない、というのはパワハラされて苦しむサラリーマンが「お給料をもらっているから仕方ない」と言われるようなもので。 というか、番組中に本当にキレて、放送できないようなリアルな怒りを出したら、スタジオで見ていた人々はどうとらえるのだろうか?おそらく「空気の読めない芸人」「扱いずらい芸人」として今後呼ばれにくくなるだろう。だとしたらひどい話ではないか? やらせや打ち合わせがあった、云々の話は別として。