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テーマ:犯罪被害者プライバシー保護(7)
カテゴリ:犯罪被害者プライバシー保護
読売ウィークリー12月4日号に表題エッセーが掲載されている。犯罪被害者、特に死者へのプライバシー侵害はマスコミの長年にわたる病気だが、この仲間に加わらず批判的なエッセーを掲載するのは編集者の見識と言える。文章に訴える力を感じ、一部抜粋して、紹介する:
町田の女子高生刺殺事件は、なんだか芸能ネタみたいな扱いになってきている。 どこから流出したのか、小学校卒業時のビデオメッセージや学芸会の録画記録といった極めて私的な映像が延々とオンエアされている。しかも、同級生の顔にはモザイクがかかっているのに、被害者本人の姿はモロなドアツプ。 テレビ報道に「絵」の要素が不可欠だという事情は理解できる。でも、だからといって被害者のプライバシーを全面公開してよいというものでもなかろう。今回の場合でいえば、卒業生限定ということで配布された記念動画を電波に乗っけることに、どんな必然性があるんだ?もしかして、犯罪被害者が死ぬと人権も一緒に死ぬ、と、そういう解釈なのか? おそらく、その通り。人権も肖像権も、現実に文句をつけてくる圧力団体なり、うるさがたの弁護士なりが介在しないと効力を発揮しないわけで、とすれば、悲嘆の底にある被害者の遺族みたいな無力な存在に対しては、何をやってもノープロプレム、と、現場は考えるわけだ。 ・・・・・ いずれにしても、テレビが死者を好む理由ははっきりしている。死んだ人間は、クレームをつけてこないからだ。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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