「十一月大歌舞伎」(夜の部)@平成中村座
11月4日の夜の部。今回の小屋がけは、浅草といっても待乳山聖天のすぐ前で、この前の浅草寺境内と比べると、浅草の駅から川沿いをかなり歩きます。それと、道路沿いということもあって、バイクの音とか救急車の音とか、いろいろ聞こえてきます。でもいい小屋だな、と思いました。なんといっても、舞台が近い!私は今回、2階一番奥の梅の席だったんですが、この「梅」でさえ11,500円というのは、かなり高い。高いが、これだけよく見えれば、「安い席」という概念は捨てなくちゃいけないかな、と。歌舞伎座の二階奥よりよく見えるし、新橋演舞場の2階といい勝負です。(ちなみに、一番安い席は「桜」で、二階の舞台の横という特殊な席)席数が5~600ですから、ペイするには高めになりますね。痛し痒しです。さて、夜の部の出し物は「猿若江戸の初櫓」「伊賀越道中双六(通称・沼津)」「弁天娘五人白浪(通称・白浪五人男)」の3本。思いのほかに楽しめたのが最初の「猿若江戸の初櫓」。猿若に扮する勘太郎の踊りが手堅い。安心して見ていられる。「沼津」は初日から「泣ける」とかなりな評判だが、前に見た吉右衛門・歌六・芝雀の「沼津」の自然さに比べると、ちょっと力が入りすぎていて全体に重い。重いが、その重さゆえ、十兵衛(仁左衛門)が平蔵(勘三郎)を実の親と分かったところからぐっと物語が凝縮されてくる。仁左衛門は上方歌舞伎らしく、義太夫に語らせる部分の造形が素晴らしい。親子の名乗りをあげたくてもそうできない揺らぎと悔しさを身振り、手振り、行きつ戻りつの仕草、そして表情でしっかと表す。最後の最後に親に抱きつく場面は、すべてが爆発した感あり。対する勘三郎は、セリフまわしに妙。楽しい序盤の「絵に描いたような美しさでしょ」で笑いをとって愁嘆場では「息子のような…」で涙を誘う。手だれである。ご存知「弁天小僧」では、やはり勘太郎の南郷力丸が秀逸。七之助の弁天小僧は、目にもあやなるお嬢様姿は素晴らしいものの、男だと分かったところからは、その差を出すのにちょっと苦労している。声が細く高いのでそこが難しいところだ。また、女の姿が美しいのに対し、帯をとってからの見栄えが悪い。やせすぎというのもあるし、襦袢のからげ方が汚い。菊五郎の弁天小僧のいなせぶりに「菊さま」の声があがるのは、なるほど当たり役とはそういうことかと思ってしまう。いかに「女」になるかよりも、そこから「男」に戻る、それもいなせで魅力的な不良に戻るほうが難しいということを、つくづく感じた。「白浪五人男」が勢揃いする場面でも、七之助は「男」を強調せんとがんばりすぎ、声が割れていっぱいいっぱい。それに比べると新悟の赤星十三郎は、無理せず端正を心掛けて新鮮。この演目は、やはり「華」があるかどうかで決まろう。勘三郎も仁左衛門もいない五人男は少し寂しいが、コクーン歌舞伎で酷評した国生が若旦那ではなかなかよかったし、初日は観客にもわかるほど震えが見えたという赤星の新悟が、堂々とした立ちっぷりであったことを考えると、若手に大舞台を踏ませることの大切さもまた、同時に納得するのである。11月の演目は楽日近くにもう一度観るので、どうなっているかも楽しみである。まずは、怪我・病気・声枯れなどがないように長丁場を乗り切ってほしい。