美形の認識限界
昨日に続いて、本橋選手の顔について、さらに実験してみた。昨日の画像は解像度が72DPIであったのだが、原画と10倍の大きさに拡大した画像(以下参照)↓原画切り出し(解像度72dpi) ↓原画の10倍拡大画像(顔部分は約200ドット)上の2枚の画像では、本橋選手を確認できるし、美形の顔立ちも伝わってくるだろう。そこで、どこまで解像度を落とすと本人と確認できなくなるか限界を探ってみた。以下は50dpiまで解像度を下げて、何とか本橋選手とわかる限界付近の画像です。↓小さくてほとんど誰だかわかりませんが、私はギリギリ本橋選手と判ります。 ↓50dpiの画像を10倍の大きさに拡大した画像です。ここまで解像度を下げてもギリギリ誰だか判るのは、本橋選手の面立ちが特徴があり、そして個性のある美形であることがあげられるとは思うが、ドット数にして104個であり、さらに髪の毛とあごの下の部分を切り取れば、僅か80ドットで識別が可能だったことになる。私は人の認識機能や能力を取り扱う学者でもないし、研究をしているわけではないが、人の顔を他人が認識するという能力はきわめて重要な機能であることだと感じるし、脳内でどのくらいの量の情報によって識別しているかということには興味もあったが、この、本橋選手の顔を借りて、自分の脳を使って解析することで、案外必要な情報が少ないことに気づきました。そしてさらに、昨日の日記にも書いたように、人の美意識を刺激する顔のパーツの配置バランスも、その僅かなドットで表現できるようなかなりアバウトなバランスの中にあるのだということも、驚きをもって知ることになりました。女性の化粧のしかるべき方向性を考えるなら、これえは大きなヒントになるのではないかと思いました。