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カテゴリ:北中城村
(荻堂タチガーの祠地蔵尊) 沖縄県北中城村の「荻堂集落」と「大城集落」には「平成の名水百選」に選ばれた10箇所の湧水があります。それぞれの集落の地質は大城グスクやミーグスク丘陵、メーヌマーチューと呼ばれる小丘陵の周辺に琉球石灰岩の地層があり、その下に島尻層群が広がっています。水を通しやすい琉球石灰岩が「荻堂大城湧水群」の湧き水を支える水源域となっています。 (大城アガリガー) まず1つ目の湧水は「大城集落」の東側にある「大城アガリガー」です。「大城集落」の共同井泉(カー)の1つで、主に集落東部の住民が洗濯、野菜洗い、水浴びなど生活用水として利用してきました。戦前は旧正月2日、現在は1月3日に区の役員有志が水の恵に感謝してハチウビー(初御水)の祈願をしています。 (大城アガリヌカー) 「大城アガリガー」の西側には「大城アガリヌカー」があります。このカー(井泉)は「大城集落」の大半の住民が飲料水として戦後上水道が布設されるまで利用してきました。戦前は旧元日の早朝に子供達がカーの水をワカミジ(若水)として汲み、ヒヌカン(火の神)や仏壇に供えて新しい年の家運隆昌と家族の健康を祈りました。 (大城チブガー) 3つ目に紹介する湧水は「大城アガリヌカー」の南側にある「大城チブガー」で「大城集落」で最も古い共同井泉と言い伝えられています。このカー(井泉)は「大城集落」のウブガー(産井泉)で新生児のウブミジ(産水)として利用されました。また、死者が出た場合に身体清めの水としてこのカーから水を汲んできたのです。水量が豊富で住民の洗濯、野菜洗い、水浴びなど生活用水として利用された貴重なカーでした。 (大城イリヌカー) 「大城チブガー」の直ぐ西側に「大城イリヌカー」があります。このカー(井泉)は「大城集落」の主に西側の住民が飲料水として利用してきました。戦前は旧元日の早朝に集落西側の子供達がカーの水をワカミジ(若水)として汲み、ヒヌカン(火の神)や仏壇に供えて新しい年の家運隆昌と家族の健康を祈願しました。 (安里アカダガー) 「大城集落」の南西側に「安里アカタガー」があります。主に集落南東部の住民が洗濯、野菜洗い、水浴びなど生活用水として利用してきました。戦後は農業用水として利用されて、現在も「安里アカタガー」周辺には田畑が広がっており、安全面を考慮して転落防止のフェンスが張られています。 (荻堂の歌碑) 「荻堂集落」にある「荻堂の歌碑」です。歌碑の挽物口説(ひちむんくどぅち)は、挽物大工が那覇市の若狭町から中部の荻堂大城の坂を通って具志川の田場天願へ仕事に出かける時に歌われた道中歌です。主と共の津波の二人が口説の歌詞を弥次喜多さんよろしく掛け合いで歌いながら踊って展開する小歌劇です。歌碑には挽物口説の有名な一説が記載されています。 「(津波) あの坂 何んて言ゆる 坂だやべるか (主) あれややう津波 津波やう 荻堂大城の坂んて 言ゆんてんと (津波) あんす高さる坂も あやべさや」 (荻堂ヒージャーガー) 「大城集落」の西側に「荻堂集落」が隣接しています。6つ目に紹介するのが「荻堂集落」の東側にある「荻堂ヒージャーガー」です。1965年(昭和40年)12月に水道が通水されるまで、大半の家庭がこの湧水を飲料水として利用してきました。戦前は旧元日の早朝に集落西側の子供達がカーの水をワカミジ(若水)として汲み、ヒヌカン(火の神)や仏壇に供えて新しい年の家運隆昌と家族の健康を祈願しました。因みに「荻堂ヒージャーガー」は「大城イリヌカー」と隧道(トンネル)で繋がっており、同じ水源を共有しています。 (荻堂イーヌカー) 「荻堂ヒージャーガー」の直ぐ北西に「荻堂集落」の共同井泉であった「荻堂イーヌカー」があります。1965年(昭和40年)12月に水道が通水されるまで、屋敷内にチンガー(井戸)が無い家庭にとって洗濯、野菜洗い、水浴びなど生活用水として貴重な井泉でした。また、住民の情報交換や老若男女の触れ合い、憩いの場として大きな役割を果たしてきました。 (荻堂メーヌカー) 8つ目に紹介する湧水は「荻堂イーヌカー」の南側にある「荻堂メーヌカー」です。主に周辺住民が洗濯、野菜洗い、水浴びなど生活用水として利用してきました。現在の「荻堂メーヌカー」周辺には田畑が広がり、カー(井泉)の水は農業用水として利用されているようです。 (荻堂イリヌカー) 「荻堂集落」の西側には「荻堂イリヌカー」があります。「荻堂集落」の住民の洗濯、野菜洗い、水浴びなど生活用水として貴重なカー(井泉)でした。また、住民の情報交換や老若男女の触れ合い、憩いの場として大きな役割を果たしてきました。戦前は旧正月2日、現在は1月3日に区の役員有志が水の恵に感謝してハチウビー(初御水)の祈願をしています。 (荻堂タチガー) 最後の10個目に紹介する湧水は「荻堂集落」の北側にある荻堂貝塚丘陵の麓に湧き出る「荻堂タチガー」です。清らかな湧き水が未来永劫に残る事を願って祠地蔵尊(ほこらじぞうそん)が建立されています。昔、水に濡れた犬が出入りしている小さな穴を見つけた人が、その穴を掘り下げて行ったところ水が脈々と湧き出てきたという「犬が見つけた湧き水」という有名な民話が生まれたカー(井泉)が、この「荻堂タチガー」です。 (チョーデー広場) 「荻堂集落」と「大城集落」のちょうど中間には「チョーデー(兄弟)広場」があり、両集落は昔から"チョーデー(兄弟)部落"と呼ばれていて深い絆で繋がっています。「荻堂大城の旗スガシー」は毎年旧暦の7月17日に両集落により共同開催される県内でも珍しい祭事です。荻堂が「天下泰平遊楽」大城が「飛龍昇天」の旗頭を先頭に、それぞれ「チャイファー」という掛け声に合わせてお互いの字にある聖地を巡拝しながら集落内を練り歩きます。巡拝が終わるとチョーデー(兄弟)広場に集まり、一人づつ代表を出して「チョーデー(兄弟)棒」を演じます。 北中城村の「荻堂集落」と「大城集落」は昔から切っても切れない絆で強く結ばれています。古より神水が湧き出る豊かな資源を仲良く分け合いながら伝統文化を共に受け継いできた両集落は、沖縄県でも非常に珍しい独自の発展を遂げてきました。「荻堂大城湧水群」がある北中城村が女性長寿日本一に君臨している理由は、豊かな神水と伝統文化を継承するチョーデーの精神の恵みである事は間違いありません。「荻堂/大城集落」には今日も平和でゆっくりとした時間が流れているのです。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2023.10.28 19:15:07
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