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パワースポット@神の島「Okinawa」

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2022.01.27
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カテゴリ:北中城村

(鬼大城/大城賢雄の祖先の墓)

沖縄本島北中城村にある「大城(おおぐすく)集落」は「歴史のさんぽ道」で知られ、周囲の自然環境と共存する沖縄の伝統的な集落形態を留めています。「大城集落」には民俗学的に価値のある拝所やカー(井泉)などの文化財が数多く残されており、旧暦7月17日には村のシンボルで守り神でもある旗頭が集落内を練り歩く「旗すがし」が行われます。また、隣接する「荻堂集落」と「大城集落」の成り立ちと関連する「兄弟棒」などの伝統行事が現在も行われ、有形無形の文化財と共に歴史的形態を多く残しています。


(アガリガー/東井泉)

「大城集落」の東側に「アガリガー(東井泉)」と呼ばれる井泉があり、集落の村ガー(共同井泉)の一つです。築造された年代は不明ですが、昔から「アガリガー」は主に集落東部の住民が洗濯、野菜洗い、水浴び等の生活用水として利用されました。戦前は旧正月2日(現在は1月3日)に集落の有志が水の恵みに感謝してハチウビー(初御水)の祈願をしています。現在も水源が豊富な「アガリガー」には石造りのウコール(香炉)が祀られ、一年を通じて住民が訪れて祈りを捧げています。


(メーチュンナー/前喜友名)

(ウカンジャーモーの拝所)

(拝所の祠内部)

「アガリガー」の西側で「大城集落」に通る県道146号線の北側には「大城遺跡」があります。この遺跡の「メーチュンナー(前喜友名)」と呼ばれる場所には森の丘があり、その頂上には「ウカンジャーモー」という平場が広がっています。この広場にはコンクリート製の「ウカンジャーモーの拝所」が南向きに建立されています。拝所の祠内部には霊石が祀られており、ヒラウコー(沖縄線香)が供えられています。祠内部の正面奥側には琉球石灰岩の大小様々な古い岩が積み重なり、その前方にはコンクリート製ブロックが幾つも積まれています。


(アガリヌカー)

「ウカンジャーモーの拝所」の南西側に「アガリヌカー」と呼ばれる井泉があります。このカー(井泉)は「大城集落」の大半の住民が飲料水として戦後に上水道が整備されるまで利用してきました。戦前は旧正月元日の早朝に子供達が井泉の水をワカミジ(若水)として汲み、ヒヌカン(火の神)や仏壇に供えて新しい年の家運隆昌と家族の健康を祈願しました。大正14年(1925)に井泉の上にコンクリートでゴミ除けの屋根が取り付けられ、1959年と2001年にそれぞれ改築されました。また、井泉には魔除けである2体のシーサーが設置され、井泉の水を悪霊から守っています。


(ヌンドゥルチ/ノロ殿内)

(ヌンドゥルチ内部)

「アガリヌカー」の北側に「ヌンドゥルチ(ノロ殿内)」が東側に向けて建てられており、建物内部にはヒヌカン(火の神)、霊石、ウコール(香炉)が祀られています。この「ヌンドゥルチ」はかつて「大城集落」の祭祀を司った「大城ノロ」の屋敷があった場所に建てられた拝所です。ノロ(祝女)は琉球王府により正式に任命された神女であり、1つの集落から複数集落の祭祀組織を統率しました。各集落でノロの家柄は決まっており、ノロの住む住居はノロ殿内と呼ばれ、守護神としてヒヌカン(火の神)を祀っていました。


(チュンナーニードゥクル/喜友名根所)

(チュンナー根所の内部)

「ヌンドゥルチ」の北側で「大城遺跡」の最北端に「チュンナーニードゥクル/喜友名根所」があります。「大城集落」の発祥に関わる根所で「宜野湾間切喜友名村」から移住して「大城集落」の始祖となった人物が住んでいた屋敷がありました。集落の祭事巡拝では「ヌンドゥルチ」のヒヌカン(火の神)の次に「チュンナー根所」を拝します。「チュンナー根所」は丘陵の南側斜面に位置するため、根所の敷地内は三段の段差を形成しています。戦前は敷地の中央にカヤブキヤー(茅葺屋)の母屋があり、その右手には瓦葺き造りの神アシャギ、更に左手側には家畜小屋が建っていたと伝わります。


(チブガー/チブ井泉)

(チブガー庭苑のシーサー)

「チュンナー根所」の西側で県道146号線沿いに「チブガー(チブ井泉)」があり「大城集落」で最も古い村ガー(共同井泉)だと伝わります。「チブガー」は「大城集落」のウブガー(産井泉)で新生児のウブミジ(産井泉)として利用され、更に集落で死者が出た場合に身体を清める水も「チブガー」から汲んでいました。水量が多く住民の洗濯、野菜洗い、水浴びなどの生活用水に利用された貴重な井泉でした。また、多くの人達が「チブガー」に集まり出会いの場として大きな役割を果たしていました。「チブガー」に隣接する「チブガー庭苑」にはユニークなシーサーや東屋もあり、現在も住民の憩いの場として重宝されています。


(イリヌカー/西井泉)

「大城集落」の西側で県道146号線沿いに「イリヌカー(西井泉)」があります。このカー(井泉)は「大城集落」の主に西側の住民が飲料水として利用されていました。大正11年(1922)に井泉の上にゴミ除けのコンクリート製屋根が設置されました。「イリヌカー」は水量が豊富であったため昭和10年(1935)頃に、この井泉を水源とした簡易水道が整備されました。「イリヌカー」の水は上の山へ続く琉球石灰岩の中に掘られた水路を通り石樋から流れ出します。言い伝えによると、19世紀後半に「大城」の屋号吉里の「ハブウスメー(ハブ爺さん)」と呼ばれた「新垣吉羊」さんが若い頃に勇敢に水路を掘ったと言われています。


(ウフグシク/大城グスクの入口)

(大城御嶽)

(ウフグシク/大城グスクの拝所)

「大城集落」の北側にある「上の杜」の琉球石灰岩丘陵の中央部に「ウフグシク(大城)グスク」があります。標高は150〜160mで最高部は北中城村で1番高い場所となります。グスクの頂上には「大城御嶽」があり数体の神が宿る琉球石灰岩が祀られ、ヒラウコー(沖縄線香)が供えられています。「北中城村史(1971年)」には「ウフグシクグスク」は「英祖王」の第三子である「中城王子」が居住したグスクであると伝わります。ちなみに「英祖王」は沖縄本島で最初に王朝を築いた"神の子"の王統とされる「天孫氏」の最後の王です。同じ北中城村には「英祖王」に王位を譲った「舜天王統」の第3代国王であった「義本王」の墓があります。


(ウフグシク/大城グスクの石積み)

(鬼大城/大城賢雄の祖先の石棺)

(鬼大城/大城賢雄の祖先の石棺)

「ウフグシク(大城)グスク」には戦前には沢山の石積みが残されていましたが、戦時中には旧日本軍機関銃座の造築にグスクの石積みが使われました。現在、石積みはグスクの北側に僅かに残されています。この石積みの向かい側には琉球石灰岩の2つの洞穴があり、それぞれに「鬼大城(大城賢雄)」の祖先の石棺が納められています。石棺にはヒラウコー(沖縄線香)が供えられています。ちなみに「鬼大城(ウニウフグシク)」は大城賢雄(後の越来賢雄)という15世紀の琉球武将です。石棺にはそれぞれジュウニフン(12本)のヒジュルウコー(火を付けない線香)がお供えされている事から「鬼大城/大城賢雄の祖先」の子孫が先祖供養として拝したと考えられます。


(ミーグスクの入口)

(ミーグスクの御嶽)

(ミーグスクの火の神)

「大城集落」の北側で「ウフグシク(大城)グスク」東側に隣接する丘陵に「ミーグスク」があります。「ミーグスク」の入口は琉球石灰岩の大岩が城門のように構えており、通路を進むと行き止まりの崖上に「ミーグスクの御嶽」があります。この御嶽には「ミーグスクの火の神」が祀られており「ニービヌフニ(ニービ石)」製の霊石が設置されています。琉球石灰岩の大岩に空洞穴があるように見えますが、上部の大岩が下部の岩の上に乗っている状態にあります。神の業として信仰の対象となったと推測され、かつて旧暦9月に集落行事として御嶽から「今帰仁」を遥拝していたと伝わります。「ミーグスク」は「大城集落」のルーツが「北山」の「今帰仁」にあると考えられる興味深いグスクとなっているのです。






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最終更新日  2022.11.12 21:48:32
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