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カテゴリ:読谷村
(カンカーモーのガジュマル) 沖縄本島中部に読谷村(よみたんそん)があり、村の北部の海岸沿いに「瀬名波(せなは)集落」があります。この集落の発祥は「瀬名波の浜」の南西側にある「ハンタバル(半多原)」にある「シリヤマ」と呼ばれる岩山周辺であり、その後に集落は北側の「カガンジバル(鏡地原)」に移動しました。この土地には「琉球国由来記(1713年)」にも記される「カガンジウタキ(鏡地御嶽)」が現存します。しかし、水捌けが非常に悪く大雨が降ると酷く冠水する土地であったため、1737年に南側の「久良美知屋原」に集落は移動しました。更に1776年に集落は近隣の「高志原」の土地に移動し、最終的に現在の「瀬名波原」と呼ばれる地域に「瀬名波集落」が定着して現在に至ります。 (カンカーモー) 「瀬名波集落」の北部で、かつて「高志原」と呼ばれた現在の「ヤーヌクシバル(屋之後原)」と「瀬名波原」との境界線に、大小多数の石垣で囲まれた「カンカーモー」と呼ばれる広場があります。ガジュマルの巨木が聳え立つこの地は旧暦の4月1日と8月1日に「カンカー」と呼ばれる悪霊払いの祭祀が執り行われる場所となっていました。集落に「フーチ」と呼ばれる流行病や疫病が入り込まないように、集落の入り口である「カンカーモー」の広場で牛を潰し、その血を小枝に付けて各家庭の屋敷の四隅に立てて厄祓いをしました。牛の骨を集落の各要所に吊り下げて悪霊払いをし、牛の肉は集落の住民に分けられて食されたと伝わります。 (不動/イーヌファ/亥の端) (不動/イーヌファの石碑) 「瀬名波集落」には集落の四方に「不動」と呼ばれる石碑が祀られた祠が建立されています。「不動」は「フルー」と呼ばれ「不動明王」に由来し、集落の4箇所を守護する神として崇められています。この「不動」の石碑は設置された方角を十二支で表しており、集落の北北西の方角には「イーヌファ/亥の端」と呼ばれる「不動」が鎮座しています。「瀬名波原」と「屋之後原」との境にある森に建立されており、古老によると昔は「不動」の場所を超えた土地に屋敷を建てて住んではいけないと言われていたそうです。現在は「女性専用癒しの宿/みるく家」というヒプノセラピー&宿泊施設の北側の森に「イーヌファ」の「不動」の石碑があります。 (不動/トラヌファ/寅の端) (不動/トラヌファの石碑) 「瀬名波集落」の東北東に「トラヌファ/寅の端」と呼ばれる「不動/フルー」があります。県道6号線沿いで嘉手納警察署瀬名波駐在所の南側に建立された、この「不動」は集落の「瀬名波原」と「半多原」の境に設置されています。「トラヌファ」の「不動」がある「半多原」には「シリヤマ」と呼ばれる「瀬名波」発祥の地と呼ばれる岩山があり、昔は人々に恐れられていた断崖絶壁の地であった土地と言われています。さらに「半多原」には「トウヤマグシク」と呼ばれる丘陵のグスク森が広がっています。かつて「トラヌファ」の「不動」はこの地で「瀬名波集落」を東北東から守護しており、現在でも保存状態が良い環境で「不動」の祠と石碑が鎮座しています。 (不動/ミーヌファ/巳の端) (不動/ミーヌファの石碑) 「ミーヌファ/巳の端」の「不動」が集落の南南東の方角にあり、祠内に石碑が祀られています。この「不動」は「瀬名波原」と「屋之前原」の境に鎮座しており、集落北側の「ヤーヌクシバル/屋之後原」に対して南側は「ヤーヌメーバル/屋之前原」の土地が広がっています。この「屋之前原」には「屋之前原遺跡」の森があり、遺跡の西側には1895年(明治28)に分校として設立され、1902年(明治35)に独立開校した「読谷村立渡慶次小学校」があります。小学校の敷地内には「沖縄の名木百選」に選ばれた「渡慶次のガジュマル」があり、この古樹は1904年(明治37)に創立3周年記念木として植えられた古い歴史があります。 (不動/サルヌファ/申の端) (不動/サルヌファの石碑) (サルヌファ/申の端のチンガーグヮー) 「瀬名波集落」の西南西の方角に「サルヌファ/申の端」の「不動」が鎮座しています。この場所は「瀬名波集落」の西側に隣接する「渡慶次集落」との境目で、他集落からの疫病や悪霊を封じ込める役割りがあります。この「サルヌファ/申の端」の広場には「チンガーグヮー」と呼ばれる井戸跡が残されています。水道が普及する以前の「瀬名波集落」は水の資源を確保する事が非常に困難で、この「チンガーグヮー」の井泉は集落の住民に大変重宝されていました。現在、井戸跡にはウコール(香炉)が設置されており、住民により水の神様を拝する聖域となっています。 (瀬名波中道/渡慶次小学校側の入り口) (瀬名波中道/川平原側の入り口) (カニチグチ) 「瀬名波集落」の西側に集落を南北に渡って通る「瀬名波中道」と呼ばれる主要な道があります。南側の入り口は「渡慶次小学校」の西側で、北側の入り口は「川平原」と呼ばれる土地に隣接しており「カンカーモー」の脇を通過します。「瀬名波中道」の中間地点の長い直線の道路には「カニチグチ」という場所があります。「カニチグチ」とは綱引きの際に雄綱と雌綱をカナチ棒(かんぬき棒)で一つに連結する場所を意味します。「瀬名波集落」には古の先人達が残した大切な伝統文化が息づき、歴史を感じさせる風景が現在も数多く残されているのです。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2022.11.12 21:14:03
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