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2010年04月04日
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カテゴリ:シリーズ幕末史

幕末史最大のミステリーといわれているのが、「近江屋」での坂本龍馬・中岡慎太郎の殺害事件。

殺害犯は誰か、そして、その黒幕がいたのでは、
幕府説・薩摩説をはじめ、土佐藩説・紀州藩説 等々、
それぞれに論拠や動機が示され、議論百出状態で、
それにより、さらに、この事件に対する関心が高まっていっているというのが現状です。

この龍馬殺害事件については、事件当初、そして明治・大正と
審議の進展や、様々な新証言が出てきたりということがあって、
その段階ごとに犯人像が変遷してきたという経緯がありました。

そこで、今回は、この龍馬殺害事件の犯人さがしについて、
時代を追って、見ていきたいと思います。

・・・・・

まず、事件当初において、龍馬殺害犯として考えられていたのは、新選組でありました。

その根拠となったのが、中岡慎太郎が死の間際に語ったという証言の内容と、
事件当夜、犯人が近江屋に残したと思われる遺留品でありました。

中岡慎太郎は、事件直後、重態ではあったものの、まだ話が出来る状態で、

「刺客は”こなくそ”と叫んでいたので、四国人なのではないか、
このようなことができるのは新選組のものだろう」

と、駆けつけてきた土佐藩の谷守部(干城)に事件の様子を語っていたといいます。

又、犯人の遺留品としては、料亭・瓢亭の刻印の入った下駄と刀の鞘が
近江屋に残されていました。

下駄の件は、瓢亭に問合せたところ「昨夜、新選組の方にお貸ししました。」との回答があり、
刀の鞘についても、元新選組隊士に聞いたところ、原田左之助のものに相違ないとのこと。
左之助は四国松山出身なので、慎太郎の証言とも一致します。

こうしたことにより、殺害犯は新選組であるという見方が、大勢となっていきました。

しかし、その一方、海援隊では、
龍馬の殺害は、昨年の”いろは丸事件”の報復に違いないとして
紀州藩が怪しいと考えていました。

このため、陸奥陽之助を中心とする海援隊士が、
紀州藩士・三浦休太郎を京都・天満屋で襲撃するという事件も起こっています。

又、越前の松平春嶽が、事件直後「芋藩の仕業である」と語っているなど、
薩摩藩が怪しいと考えている人も、当時から、いたようです。


さて、それから数年後。
やがて、戊辰戦争が終結し、箱館戦での降伏者への取調べが始まりました。
この取調べの中では、近江屋事件についての尋問も行われたのですが、
ここで、事件は新たな展開をみせることになります。

明治3年に行われた近江屋事件についての取調べ。
この中には、新選組の生き残り隊士も数名含まれていて、
徹底した追及がなされるのですが、しかし、彼らは、頑として事件への関与を否定します。

膠着した審議の中、やがて、今度は、元見廻組隊士の今井信郎というものが、
龍馬殺害に関わったということを自供し始めます。

見廻組というのは、幕末の京都の治安維持のため組織された集団で、
京都守護職の配下にあり、新選組と同じような任務を行っていたのですが、
隊士が幕臣から構成されているという点で、むしろ、新選組よりも正規の集団でありました。

その今井信郎の証言によれば、
見廻組与頭の佐々木只三郎を中心に、
桂早之助、渡辺吉ニ郎ら見廻組隊士7名が決行に及び、
今井は、その見張り役をしていたというもの。

新政府も、この段階で、はじめて、見廻組がこの事件に関与していたということを
認識するようになったようです。

しかしながら、この時には、すでに、殺害犯は新選組であるということで、
新政府はその処罰を行い、結論も出してしまっていました。
そして、何より、新政府にとっては、新選組が犯人であるという方が都合が良かったということもあり、
結局、この今井信郎の証言が、世間に公表されることはありませんでした。


ところが、それから時が流れて、30年後のこと。
今井信郎が、再び、この事件についての証言を始めます。
そして、これにより、この事件は、再び脚光を浴びることとなり、
さらに、新たな展開を見せることとなりました。

明治33年、「近畿評論」という雑誌に「今井信郎氏実歴談」と題した記事が掲載されました。

ただ、この記事は、今井から話を聞き取った記者が、相当に脚色したため、
今井信郎は見張り役から実行犯になっており、実行者も4人であったというように、
色づけされて発表されたのです。

そして、この記事に対して、猛烈に批判をはじめたのが、
土佐出身で、今は明治政府の顕官となっていた谷干城でありました。

谷は、事件当時、慎太郎から話を聞いていて、また、事件直後の状況も見ていた人です。
この記事の内容は、事実と全く違うと猛抗議をし、
さらに犯人は新選組であることに間違いないとした上で、
これは今井信郎の売名行為であるとまで言って、激しく論難しました。

そして、結局、この件が、大きく取り沙汰されたことにより、
やがて、見廻組が犯行について証言をしているということが、
世間一般に知られることとなってきました。

さらに、この一件が呼び水となったのか、
この後、龍馬殺害についての証言が、相次いで発表されていきます。


明治33年、手代木直右衛門の証言。
手代木は、見廻組与頭・佐々木只三郎の実兄で会津藩士です。
彼は、死の直前、看取っていた長女に対して、近江屋事件について語ったといいます。

「龍馬を斬ったのは、弟の只三郎である。あれは上様の命令であり、暗殺ではなく公務であった
これまでは、上様に累が及ぶのを避けるため、公表しなかったのだ。」

手代木がいう上様とは、会津候・松平容保のこと、
上意により、つまり職務として龍馬を殺したと話したのです。

大正4年 渡辺篤の証言。
渡辺は、元見廻組の隊士で、彼も死の直前に
「龍馬を斬ったのは自分だった。」と語りました。
これが、大阪朝日新聞に掲載され、注目を集めました。

渡辺によると、近江屋に踏み込んだのは、
渡辺の他に、佐々木只三郎・今井信郎・世良敏郎、他2名であり、
近江屋に忘れていった刀の鞘は、世良のものであると話しました。


また、龍馬を斬った刀といわれるものも存在します。
見廻組・桂早之助が所有していたとされるもので、
大正5年には、維新史料編纂委員がこの調査を行い、
桂家の子孫から、事件当日の様子が聞き取りされました。


と、いったような形で、明治末以降、龍馬殺害に関する証言が続々と現れてきました。
果たして何が真実なのか。
その後、近江屋事件についての研究が、さかんに行われるようになっていきます。

・・・・・

現在では、近江屋事件は見廻組の犯行であったというのが、ほぼ通説となっています。

しかし、その黒幕は誰かということについては、
色々な説が議論されています。

中でも代表的なものが、薩摩藩黒幕説と幕府説ですが、
これについて、以下、私見を交えて少し検討を・・・。

まずは、薩摩藩黒幕説。

武力討幕を目指していた薩摩藩にとって、
大政奉還など平和路線を展開し始めた龍馬が目障りになってきて、
犯行に及んだというのがこの説の大まかな論旨です。

しかし、龍馬については仮にそうだとしても、一方では、慎太郎を殺害しているという点があります。

討幕派である慎太郎は、薩摩にとっても頼りになる存在だったはずで、
慎太郎を殺害する理由もメリットも、薩摩からは見出しがたいです。

薩摩藩黒幕説というのは、話としては面白いですが、
やはり、かなり無理がある説のような気がします。

一方の、幕府説。

見廻組が実行犯だとすると、指揮系統からして、指示したのは会津藩ということになります。
手代木が言っているように、暗殺ではなく公務であったと考えるのが普通であるとは思います。

当時、龍馬は、寺田屋で幕吏を射殺していることから、指名手配のようになっており、
奉行所は、龍馬の動向を探っていました。

勝海舟も、この事件について、寺田屋の報復ではないかと語っていたそうですが、
幕府側、奉行所による龍馬の殺害という線が真実に近いように思われます。

しかし、幕府説においても、幾つかの疑問が残ります。
公務であったにしては、不自然な点があるためです。

その一つは、公務であったなら、
何故、すぐに公表しなかったのか。

これについては、慎太郎も一緒に殺してしまったからという説があります。
指名手配になっていた龍馬はともかく、
巻き添えとはいえ、何の前科もない慎太郎をも殺してしまったので、
土佐藩とのもめごとになるのを避けて、公表しなかったというもの。
これは、納得できる説明であるといえます。

しかし、もう一つ、
何故、最初に踏み込むときに十津川郷士を名乗ったのか。
公務であれば、そうした手の込んだことをする必要はないでしょう。

龍馬を油断させておいて取り逃がさないように、ということかも知れませんが、
でも、そこまでしてという感がありますし、通常からいうと、それも少しやり過ぎのような気がします。

そうしてみると、
やはり、普通の公務ではなく、そこに何か秘密の指令でもあったのでは、
ということを感じさせます。

と、いうわけで、
龍馬殺害については、やはり、どうしても不可解な点が残ってしまうのです。

様々な証言がありながらも、それでいて、これが真実であるという決め手がない。
そうした点が龍馬人気ともあいまって、
この事件が、ミステリーとして多くの人に語られている所以であるのかも知れません。






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最終更新日  2010年04月04日 07時29分39秒
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