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2011年11月06日
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カテゴリ:シリーズ京歩き

長きにわたって朝廷が置かれ、天皇が住まう場所であり続けてきた京都御所。
その長い歴史を踏みしめながら、京都御所の周辺と
御所の周囲に広がる京都御苑を歩いてみました。



御苑の中



この塀の向こうが京都御所。

もちろん、ここは気軽に中に入れるというわけではありませんが、
それでも、春と秋には一般公開されるのが恒例で、
それ以外の時でも、事前に申し込みさえすれば、中を拝観させてもらえるのだそうです。



建春門



ところで、京都に都があった期間というのが、およそ1000年あまり。

しかし、その間の期間、ずっと御所がこの場所にあったというわけではなくて、
また、御所の建物が古く昔からの建築物が残っているかというと、そういうわけでもありません。

今の京都御所というのは、これまで、どういう経緯をたどってきているのか。

今回は、京都御所の歴史について、まとめてみたいと思います。



御苑の中2



桓武天皇が、平安京を造った時。
内裏の場所は、今の京都御所より2kmほど西の、千本通りのあたりにありました。

当初の平安京の内裏は、大極殿を中心とした豪壮なもので、
400年ほどの間は、その場所で経過していくのですが、
その間、しばしば火災に見舞われて、その度に、天皇を始め宮廷の人たちは、
公家の邸宅へと避難していました。

しかし、それが、やがて常態化していき、
公家の邸宅に仮住まいをするということが通例となっていきます。
これを「里内裏」という言い方をするのですが、この仮住まい先の中心となっていたのが、
土御門家の邸宅。

この土御門邸のあった場所が、現在の京都御所のあるあたりなのでありました。



里内裏跡



「この世をば わが世とぞ思ふ 望月の欠けたることも なしと思へば」

藤原道長が、藤原氏の栄華を謳歌していた頃。
この有名な歌が詠まれたのも、土御門邸の「里内裏」だったのだそうです。

鎌倉時代の初期には、当初の内裏が、またしても炎上。

そして、これを最後として、この元の内裏は、ついに再建されることなく、
やがて、仮住まいであったはずの土御門「里内裏」が正式な御所となっていきます。

その後、応仁の乱や戦国の争乱によって、御所が荒廃。

それを信長・秀吉、さらに江戸幕府が、御所の再建に力を注いで、
御所としての体裁は、華麗なものになっていきます。

しかし、この時の御所というのも、江戸期に炎上してしまいました。

次に、御所の再建を行ったのが、老中の松平定信で、
定信は、古制を調べて、原初の内裏の姿を復元するという形で、
御所の再興を行います。

しかしながら、この時の御所も、またしても焼失。
その後、幕末の安政期に、また再建されることになるのですが、
今に残る京都御所というのは、実は、この時に再建された建物なのであります。

炎上と再建を、幾度も繰り返して・・・。
こうして、京都御所の歴史をみていくと、
現在の天皇家が、これまで必ずしも平穏に推移してきたのではないということを、
改めて感じさせられます。



堺町御門



幕末期には、この御所の地が政争の舞台となり、
また、一度は、ここが戦場ともなりました。

上の写真は堺町御門で、この門は、通例、長州藩が警備を担当していた門でありました。

尊王攘夷を掲げ、朝廷を支配していた長州が、
親幕派の会津と手を結んだ薩摩により、御所から閉め出され、
京から追い落とされたというクーデター事件。

八月十八日の政変があったのは、この門でのことでありました。


蛤御門



京での失地回復を目指した長州が、御所へと攻め込んできた事件。
蛤御門の変の舞台となった場所が、この蛤御門です。



蛤御門の銃痕



蛤御門には、今も、当時の銃弾の痕が生々しく残されています。



又兵衛討死の地



攻勢に出る長州軍の中核となっていたのが、来島又兵衛という部将。

又兵衛が打ち取られたことにより、
長州軍の壊滅が決定的なものになっていくのですが、
蛤御門から入ってすぐにある、この木の下が
又兵衛、討死の場所であったと伝えられています。



近衛邸跡



その後、やがて、明治維新となり、都が東京へと移される中、
多くの公家たちも、天皇に付き従って東京へと移っていきました。

御所をとりまく、この広大な京都御苑というのも、
元々は、これら公家たちの屋敷が立ち並んでいた場所なのでありました。

御苑の中の、あちらこちらには、こうした公家の邸宅跡を示す石碑が残されています。



今や、市民の憩いの場ともなっている京都御苑。

しかし、そんな歴史のあとをたどりながら歩いてみると、そこには、
天皇家が歩んできた道のりの光と影が、垣間見れるようにも思います。


ところで、ちょうど今の時期、御所の一般公開が行われていたので、
この機会にと思い、京都御所の中も見学してきました。

いわば、天皇家の歴史の光の部分を象徴しているとも言えるのですが、
やはり、素晴らしかったです。

次回は、この京都御所の中の、様々な御殿のたたずまいについて、
書いてみたいと思っています。






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最終更新日  2011年11月06日 17時43分14秒
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