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2012年02月26日
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カテゴリ:シリーズ京歩き

梅の香漂う天満宮。

紅白の梅が花を咲かせるこの時期の北野天満宮は、受験シーズンとも重なって、
観梅や合格祈願に訪れる人々で、とりわけ賑わいを見せています。



賑わう天満宮1.jpg



天満宮の祭神・菅原道真は、ことのほか、梅の花を愛していたといい、
そうしたことから境内には、多くの梅の木が植えられています。

2月25日は梅花祭。
菅原道真の命日にちなんだこの祭礼は、1000年の歴史があるともいわれていて、
この日は、近くの北野上七軒の舞妓さんによる野点の茶会などもあり、
より一層の華やかさに包まれます。



野点会場と紅梅.jpg



学問の神様、天神さんとして、庶民からも親しまれている菅原道真。

その道真を祀った天満宮は、全国に一万二千社あると言われていますが、
北野天満宮は、その総本社。

しかし、道真自身が、この北野の地に特にゆかりがあったのかというと、
実は、そういうわけでもなくて、北野に道真が祀られるようになったのは、
天満宮社の成り立ちの中で、この地に社が建てられるようになったものなのでありました。

そこで、今回のお話は、菅原道真と天満宮について。

京都市内にある、道真ゆかりの神社、
そのいくつかを訪ねながら、道真の生涯と天満宮の由来について、
まとめてみたいと思います。



管大臣神社鳥居.jpg



この神社は「菅大臣神社」といいます。

四条烏丸のオフィス街からも、ほど近いこの神社が、
菅原道真の邸宅のあった場所であるとされています。

道真が開いていた私塾や道真の書斎などが
かつては、ここに立ち並んでいたのだそうです。



管家邸跡.jpg



菅原道真という人は、幼少の頃から、学問や詩歌に抜群の才を見せていたようで、
宇多天皇の信を受けて、とんとん拍子に出世し、
やがて、右大臣の位にまで昇りつめていきました。

効果がなくなってきていた遣唐使を廃止するなど、いくつもの改革を実施し、
次第に、当時、権勢を欲しいままにしていた藤原氏と肩を並べるほどの存在となっていきました。

しかし、そんな中、政敵であった藤原時平から、
”道真は皇位の簒奪を図っている”との、あらぬ嫌疑をかけられ、
福岡の大宰府へと左遷されてしまうことになります。

失意のうちに、大宰府へと赴任していく道真。
その後、程なくして、任地でその悲運の生涯を閉じることになりました。



管大臣神社拝殿.jpg



東風吹かば にほひおこせよ梅の花 主なしとて春なわすれそ


道真が大宰府へと左遷される時に、
自宅の梅の花を見て詠んだというのが、この有名な歌。

そして、この時、その梅の木が道真を慕い、
大宰府まで飛んで行ったという飛梅伝説も、有名な話ですね。

道真が、この歌を詠んだのが、自宅のあったこのあたりであったとされていて、
その飛梅伝説の梅の木も、この管大臣神社の境内に残されています。



飛梅.jpg



悲嘆の中で生涯を閉じた菅原道真。

しかし、道真の死後、京の町では、天変地異や政治の混乱などが相次いで起こります。

政敵であった藤原時平が若くして亡くなり、皇族の中にも病死者が続出、
続いて、清涼殿にも落雷があって、御所が焼失します。

そうした中で、これらの異変は、道真の怨霊によるものであると、
人々は、恐れおののくようになっていました。



その後・・・
道真の死から40年ほど経った、ある日のこと。

多治比文子という女性のもとに、突如、道真の霊が現れます。

道真は、文子の夢枕に現れたといい、
この時、「われを北野の地に祀るべし。」
と、そう文子に告げたのだと言います。

道真からのお告げを聞いた文子。

しかし、彼女はとても貧しかったので、そんな神社を作ることなど、とても叶わず、
せめてもと、自宅の庭に道真を祀る小さな祠を建てました。

そして、これが最初に道真を祀った神社となり、
天満宮の起源になったのだとされています。



文子天満宮.jpg



多治比文子、自宅跡の地。

それが、今も「文子天満宮」という神社となり残されています。

また、ここの神社には、最近建てられたもののようではありますが、
多治比文子の像まであります。



文子像.jpg



多治比文子という女性は、いったいどのような人だったのか。

巫女であったとも云い、童女であったとも云い、
あるいは、道真の乳母であったという説もあったりと、
実際のところは、よくわかっていません。

しかし、いずれにせよ道真を祀る天神信仰というのは、
一般庶民の中から生まれてきたものであったということが、特徴的であります。



やがて、その後、
文子と同じように、道真の霊が現れ北野に祀るべしというお告げを聞いた
という人が、何人も出てくるようになります。

そうした中で、やがて、道真の霊は、北野の地で祀られるようになり、
それに合わせて、道真の怨霊から逃れたいと願っていた貴族たちからの助力もあり、
北野天満宮は、立派な社殿となっていったのでありました。



三光門.jpg



最初は、祟りの神であったはずの菅原道真。

しかし、それも、人々から天変地異の記憶が薄れていくとともに、
やがて、それが学問の神様として、広く親しまれるようになっていきました。


そもそも、天神信仰というものが、一般庶民の信仰から生まれてきたものであった、
ということがあるためなのか、「天神さん」は、今でも、庶民から慕われている人気の神様となっています。

特に、合格を祈願したいというような時には、
誰もが、道真公のお世話になっていると云えるのではないでしょうか。

無念の生涯を送った道真ではありますが、
今では逆に、人々が無念の思いを持たないよう応援してくれている、
そんな存在になっているかのように思えます。






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最終更新日  2012年02月26日 20時04分32秒
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