1136215 ランダム
 HOME | DIARY | PROFILE 【フォローする】 【ログイン】

元SF小説家・春橋哲史のブログ(フクイチ核災害は継続中)

元SF小説家・春橋哲史のブログ(フクイチ核災害は継続中)

【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! --/--
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x

PR

Keyword Search

▼キーワード検索

Profile

haruhasi

haruhasi

Calendar

Comments

haruhasi@ ややこしい記事を読んで下さり、有難うございます きなこ様  度々、コメントを頂戴して有…
きなこ@ Re:フクイチの汚染水(処理水)放出までの経緯 2012年11月~23年8月(10/13) 詳しい経緯のまとめ、ありがとうございま…
春橋哲史@ 提出、お疲れ様です 押田様  コメントを有難うございます。 …
押田真木子@ Re:5日間で4件のパブコメを提出して(12/29) 「23文字・最短20秒」ありがとうございま…
春橋哲史@ 新たなトリチウム分離等の技術について きなこさんへ  コメントを有難うございま…

Archives

2022.02.26
XML

※2/27 「ALPS処理水」の線量計測の説明部分を正しいものに修正

​​​​​​●​​「その3」から続く

 施設見学会の様子の続きです。

出発し、国道6号線を北上

 東電のバスは、50代前後と思われる男性の運転で、14時17分に廃炉資料館の駐車場を出発しました。
 バスには、東電の広報担当Nさんの他に東双不動産のMさん(女性)も同乗しました。「Nさんはフクイチ構内の案内」「Mさんは道中の往路での案内」と、役割が分担されていました。

 バス出発時点では、車内の線量計は毎時0.2マイクロシーベルトでした(年間被曝線量にして約1.8ミリシーベルト)。
 バスはすぐに国道6号線を北上し始めました。
 上下線ともに通行量が多いのには少々驚かされました。

 これ以後、計測された線量と共に年間被曝線量に換算した数字も記載します。「線量×24時間×365日」という単純な計算です。「線量の高い・低い」を分かり易く示す意味で記載します。

 14時20分には、線量は毎時0.3μ㏜になりました(年間被曝線量にして約2.6m㏜)。

 国道6号線を北上しながら、Mさんが周辺の状況を説明してくれました。帰還困難区域で避難指示解除の準備が進んでいること、一部の避難指示が解除されて(特定再生復興拠点を指しているものと思われます)、住民の皆さんが戻ってきつつあること、などでした。

 車窓からは、恐らく震災当時からそのままと思われる破損した戸建てと、更地になった土地が混ぜこぜになっているように見えました。説明によると、解体された住宅も多いとのことです。
 荒れ地にしか見えない土地も、元は畑だったとの説明でした。
 国道の両側には、震災当時から営業が再開できず、解体もされないままの商業施設が多くありました。廃墟と化しつつあるそれらの施設の光景は、ある意味で衝撃でした。
 私が確認できただけでも、「(紳士服の)コナカ」「ケーズデンキ」「(ファッションセンターの)シマムラ」「かっぱ寿司」があり、Mさんは天井が崩落したままになっているトヨタのショールームに言及していました。
 特に、トヨタのショールームは、スマホが持ち込めるなら写真を撮りたかったです。

 これらの商業施設は再開できないでしょう。さりとて、解体したとしても廃材は全て放射性廃棄物になる筈です。廃棄物の処分や、解体に当たる作業員の安全、ダスト飛散対策はどうするのか。店で働いていた人達はどうなったのか等、私は頭の中は様々な考えがグルグルと回っていました。
 とは言え、バスはフクイチへ向かってますし、説明は続いていましたから、ゆっくりと考えてはいられません。


​上がっていく車内の放射線量​

 14時24分には、車内の線量計は毎時0.5μ㏜を表示していました(年間被曝線量にして約4.4m㏜)。出発して10分も経たない内に車内の線量が倍以上に上がったのです。

 バスは、14時25分に大熊町に入りました。
 Mさんの説明は続き、フクイチ周辺の中間貯蔵施設用地がフクイチの面積の約5倍であることなどを話していました(中間貯蔵施設の面積は約16平方km[1600ヘクタール]/因みに、フクイチの面積は約3.5平方km)。

(リンク)
●​中間貯蔵施設概要(環境省)
 
 大熊町に入る前後に、バスの右側に「ここから先、帰還困難区域。歩行者・軽車両進入禁止」の立て看板が見えました。つまり、その手前までなら、歩いたり、自転車で通行できるのですね。

 車内の線量計はジリジリと上がっていきます。
 14時27分に毎時0.7μ㏜。
 同28分に毎時0.8μ㏜(年間被曝線量にして約7m㏜)。

 14時29分には、一旦、毎時0.5μ㏜に戻りました。

 この時、国道6号線の車道の上に、信号機のように設置されている線量計が見えてきました。
 バスの最前列に座っているMさんが表示されている線量を読み上げてくれました。私も目を凝らして見ていました。
 毎時1.184μ㏜でした(年間被曝線量にして約10m㏜)。屋外はそれだけの空間線量という事です。私は、バスがその線量計の下を通過したのとほぼ同時に、車内の線量計の表示も見ました。毎時0.4μ㏜でした。単純に考えて、締め切った車内なら、被曝線量は3分の1に減るのでしょうか?(私は素人なので、その辺りはよく分かりませんが)

 14時31分に、バスは国道6号から右折し、フクイチへの道に入りました。その時点のバス車内の線量は毎時0.6μ㏜でした。
 フクイチに近づくにつれて車内の線量は見る見る内に上がっていきました。周辺の土地が除染されていないせいでしょうか。右折して1分後の14時32分には毎時1.7μ㏜でした(年間被曝線量にして約14.9m㏜)。車内でこれだけの線量なのですから、外はどれだけの高線量なのでしょう。

 数分後には、正面にフクイチのタンク群が見えてきました。後に、フクイチの構内図と照らし合わせたところ、J7タンクエリアでした。


フクイチ構内に入る

 バスは14時35分にフクイチの正門に到着しました。一旦停車し、運転手さんが門の警備員と何やら話していました。正門には簡易的な屋根がかけられていました。この時点での車内の線量は毎時0.9μ㏜でした。
 この間、バスの窓から周囲を見渡しました。 
 向かって右にはタンク群が続き(進行方向に向かって、H8エリア、H9エリア、H1エリア)、左側には一際背の高い建物(大型休憩所)が見えました。大型休憩所の横には、2階建ての建物がくっつくように隣り合っていました(入退域管理棟)。

 14時36分に、バスは再び動き始めて、フクイチ構内に入りました。構内の最高速度が時速40kmに制限されているせいか、それまでよりはゆっくりした進み方で、お蔭で、窓の外を見る余裕が有りました。
 入域した直後の車内の線量は毎時0.5μ㏜でした。

 バスは構内道路を進み、14時37分に、右側に給油所(ガソリンスタンド)が見えてきました。この時の車内の線量は毎時0.4μ㏜でした。
 
 14時38分に交差点を右折しました(「ふれあい交差点」と呼ばれている所でしょう)。
 左には既設ALPSの建屋が見えました(Nさんの説明による)。道路周辺には「フランジタンク解体部材一時保管施設」と記載された仮設のような倉庫が有り、バスの左側には、ボックスカルバートを保管しているセシウム吸着塔一時保管施設第4施設が見えてきました。

 説明しているNさんは「HIC(ヒック)」や「ボックスカルバート」という言葉は使わず、「ALPSで発生している廃棄物を保管している」と説明していました。ボックスカルバートの外観や、セシウム吸着塔一時保管施設の場所は大体、覚えていたので、私にとっては、これまで図面や写真の知識だったものがリアルなものに結び付けられました。

 14時40分には、廃棄物となっているブルータンクやノッチタンクの置き場の横を通りました(バスの左側)。バスより高く積まれていて、圧迫感がありました。

 14時41分にはバス車内の線量は毎時1.2μ㏜となり、バス正面に、上部の鉄骨が剥き出しの1号原子炉建屋が見えてきました。
 私はこの光景を見た時、改めて「本当に、フクイチに来たんだ」と実感しました。

 1号建屋に近付くとバス車内の線量は跳ね上がり、毎時3.9μ㏜を示しました(年間被曝線量にして約34m㏜)。


バスを降車し、高台から見学 

 14時42分に、バスは、1~3号原子炉建屋を見下ろす高台に止まりました。建屋の西側です。
 車内の線量計は小刻みに変わっていましたが、毎時32μ㏜前後を示していました(年間被曝線量にして約280m㏜。1日で約0.8m㏜)。

 ここで全員がバスから降車し、高台でNさんの説明が始まりました。
 高台に設置された線量計は毎時70~77μ㏜を指していました(毎時70μ㏜だとすると、年間被曝線量にして約613m㏜。1日で約1.7m㏜)。

 正面には、1号原子炉建屋が、水素爆発で天井が吹き飛んだままの姿を晒していて、剥き出しの鉄骨の一部は錆びているように見えました。その右隣りが2号原子炉建屋で、その手前には、オペフロにアクセスする為の構台の設置が進められていました。
 2号原子炉建屋の右隣が3号原子炉建屋で(見学用の高台からは右斜め前方に位置する)、何度も映像で観た、燃料取り出し用のカバーがかけられていました。カバーに覆われていない外壁に亀裂等の破損が見えるのが、痛々しい感じでした。
 3号原子炉建屋の右隣が4号原子炉建屋の筈ですが、3号のカバーに隠れて見えませんでした。

 高台と原子炉建屋の間には、2本の排気筒がそそり立つようで、1・2号共用排気筒は、上半分が切り取られていました。3・4号共用排気筒は手つかずで、2本の排気筒とも、錆が目立ちました。

 高台の下では建屋や排気筒の周辺では、防護装備(下記資料参照/無断転載・引用ご遠慮下さい)を身に着けた作業員さんが動いていました。遠目だったので、イエロー装備かレッド装備か、見分けは付きませんでした。全面マスクであることは分かりました。
 直ぐ下で防護装備を付けているのに、高台で防護装備無しで見学しているのは、何とも不安な感覚でした。



 原子炉建屋の向こうにはタービン建屋が見えており、その向こうは太平洋でした。
 雲が出始めていたとは言え晴れ間があり、破壊された建屋と海の美しさが何とも奇妙な取り合わせに見えました。

 Nさんの説明に合わせて、視線を左に転ずると、5・6号原子炉建屋の屋根部分が見え、その手前の高台にあるベージュ色の建物が「免震重要棟」とのことでした。
 視線を右に転ずると、高台のへりに隠れていましたが、共用プール建屋の屋根部分が見えました。

 震災前からあったと思われる1~4号建屋周辺の建物はガラスが割れたり、破損したままで、まだまだ現場の整理・片付けも追いついていないように見えました。
 2号原子炉建屋前の大きなクレーン車(クローラクレーン)には「のぞみ」と記載され、3号原子炉建屋前のクローラクレーンには「きぼう」と記載されていました。

 Nさんの説明の後、質疑応答があり、私は「1・2号排気筒の根元のSGTS配管」の位置を訊きました。直径30cmの配管を具体的に指差して貰い、やっと位置が分かりました。

 質疑応答が終る頃には、私のものも含めて、全員の線量計が「ピー」と鳴っていました。累積被曝線量が20μ㏜を超えると鳴るように設定されているとの説明が有り、高台で全員揃っての記念撮影の後、バスに戻りました。


高台から離れて、大型休憩所へ

 バスに戻ったのは15時3分で、車内の線量計は40μ㏜前後でした。
 バスが動き出して高台から離れ始めた途端に車内の線量は下がり始め、15時5分に毎時6.4μ㏜になりました。
 15時8分に再び交差点に差し掛かり、信号で停車しました。その際、敷地西側に「JAEA」のロゴが入った建物が見えました。Nさんの説明と、事前に私が調べていた構内配置図を照らし合わせると、「大熊分析・研究センター」の第一棟だったと思われます。
 信号が青になると、バスは左折して入退域管理棟の方向に向かいました。

 15時10分に建物の前に到着。この時の車内の線量は毎時0.4~0.5μ㏜でした。

 見学ツアーの後半は「ALPS処理水」の線量計測でした。
 バスを降りて、大型休憩所の1階に向かって歩きながら、入退域管理棟の横を通りました。ERの出入り口が有り、「緊急時は内扉を叩いて知らせて下さい」の注意書きがあり、建物の脇には2台の救急車が止まっていました。
 故・猪狩忠昭さんが運び込まれたのがここです。横を歩きながら、フクイチ過労死訴訟・控訴審での裁判長の言葉を思い出していました。

(リンク)
●​約4年間の粘り~フクイチ過労死訴訟は一挙に原告有利へ~​(当ブログの過去記事。フクイチ過労死訴訟のまとめ)

 ERの受け入れ態勢についても訊きたいことは山のようにありましたが、グッと堪えて、大型休憩所の1階に入りました。


「処理水」の線量計測実演

 建物の中では、1Lボトルに入ったALPS処理水のサンプルが用意されていました。

 NさんとMさんが処理水の入ったボトルと線量計を持ち、見学者全員に「作業員さんが退勤される時間なので、通路は人通りが多いです。こちらに寄って下さい」と呼びかけていました。
 扉から見て左側に全員が集まってから、「処理水」の概要が説明され、線量計測の実演がされました。
 説明の概要は以下。

「この1Lのボトルに処理水がはいっています。トリチウムはベータ線を出します。ベータ線は紙一枚でも遮られますから、ボトルに遮蔽されていると線量は測れません。ガンマ線を測る線量計を用意したので、ガンマ線を出す核種は除去されているのが分かると思います。
 先ず、ラジウム温泉などにも使われる鉱石を測ってみます。(見本として用意した鉱石の入った容器に線量計を近づけ、針が振れるのを見せる)
 続いて、処理水の入ったボトルに近づけてみます。(針は振れない)
 このように、ガンマ線を出す核種が取り除かれているのが分かると思います。皆さん、ボトルを手に取って、是非、処理水を近くで見て下さい」

(参考リンク)
●​処理水ポータルサイト・トリチウムについて​(東電のサイト)

 この後、全員がボトルを順番に手に取りました。私もじっと見つめたり、天井の明かりにかざしたりしましたが、見た目には、無色透明の普通の水でした。ボトルにはラベルが貼ってあり、「処理水」と書かれていました。


退出し、廃炉資料館へ

「処理水」のボトルをNさんに返すと、見学ツアーは終わりでした。
 全員が、つけていた綿手袋を通路脇の回収箱(大きなごみ箱のようなものでした)へ入れるように言われ、大型休憩所から入退域管理棟へ抜ける際に、「放射性物質が付着していないかどうか確認する」とのことで、全身をスキャンする巨大なレントゲンのような機械の中に立つように言われました。
 機械の中では、学校でする「前へならえ」の姿勢のように両腕を突き出しました。

 作業員さんの退勤時間と重なっていたので、機械を通り抜ける人が多く、参加者全員の確認が終るまで若干、時間がかかりました。
 待っている間に周りを見回していましたが、新しい建物で内部も綺麗で整頓されていました。多くの人がきびきびとした動作で手続きを済ませており、無駄口を叩いたり大声で話す人もおらず(コロナの関係も有るのでしょうが)、規律正しい職場に見えました。

 全員の退出手続きが終って、バスに戻ったのは15時半でした。車内の線量は毎時0.2μ㏜でした。

 出発したバスはヘリポートの下の道を通りました。ここでNさんが「上がヘリポートです。構内の負傷者だけではなく、地域の住民の方も、ドクターヘリで運ぶことも有ります」と説明していました。如何に地元の役に立とうとしているか強調しているようでした。

 尚、構内の様子については、東電のサイトで「バーチャルツアー」も可能です。
 私が紹介したコースも、下記のサイトで疑似体験できます。

(リンク)
●​INSIDE FUKUSHIMA DAIICHI ~廃炉の現場をめぐるバーチャルツアー~

 廃炉資料館に戻る間、バスの中で質疑応答も可能で、マイクが回されました。
 私は2つ訊きました。

質問①「(フクイチの)駐車場は何台収容なのか」
Nさん回答「約4000人の方が働いているが、全員の分は無い。1000台くらい。ハッキリ把握していないので、曖昧で申し訳ない」

質問②「今日の資料にも処理水のことが詳しく書かれてるし、先程は線量計測の実演もしてくれた。事故当初は、冷却用に海水を用いたとのことですが、タンクの中で硫化水素が発生したという記事を読んだことが有ります。保管している水について、微生物とか、有害物質のような、生物的・化学的性状は調べていますか」
Nさん回答「現在、流している水については調べている」

 私は、回答を聞いて「本当かなあ」と思いましたが、追及する場ではないので、黙っていました。

 その他の参加者の方は「処理水の安全性」や「地元への説明」について訊いていました。
 Nさんは、「処理水の安全性について、私達は多くの方に説明させて頂いてます。今後も発信は続けます。見学できる方はどうしても限られた人数なので、皆様から、処理水についても発信して下さると助かります」と話していました。
 見学者は、全員、東電の説明に納得しているという前提で考えているようでした。気持ちに嘘は無いのでしょう。一生懸命に説明しているのが気の毒なくらいでした。

 バスは、15時50分に廃炉資料館の駐車場に到着しました。Mさんと運転手さんにお礼を言って下車し、資料館2階の会議室に戻って線量計とベストを返しました。会議室に置いていた自分の財布やスマホを回収していると、「元の世界に戻ってきた」というような不思議な安心感がありました。
 Nさんからは「見学してくれたことへのお礼の挨拶」があり、最後に、線量計を回収した警備の人から被曝線量が個別に説明されました。私を含め全員が、ガンマ線で20μ㏜の被曝でした。

 参加者全員が会議室からバスへと向かう中、私は、Nさんにお願いして、会議室に有るフクイチの構内図を撮影させて貰いました(無断転載・引用、ご遠慮下さい)。




●​「その5・振り返り」​へ続く


春橋哲史(ツイッターアカウント:haruhasiSF)​​​​​






お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

Last updated  2022.03.26 19:57:47
コメント(0) | コメントを書く


■コメント

お名前
タイトル
メッセージ
画像認証
別の画像を表示
上の画像で表示されている数字を入力して下さい。


利用規約に同意してコメントを
※コメントに関するよくある質問は、こちらをご確認ください。



© Rakuten Group, Inc.