24年1月下旬にNARRECとフクイチを見学・その3~フクイチ~
(リンク)●その2から続きます 機構が用意したバスは、13時3分にNARREC(楢葉遠隔技術開発センター)を出発し、13時22分に東京電力・廃炉資料館に到着しました。 この日の案内担当である東電の中島さんが迎えて下さり、先ずは参加者全員の本人性確認書類が確認されました(私はパスポート)。 13時30分から、シアターホールで挨拶が有り、33分から2本の動画が上映されました。2本合わせて約20分でした。 映像は昨年とほぼ同じ内容でした。内1本は東電のアーカイブでも観られます。それぞれ10分ちょっとです。(リンク/上が上映されたもの。下はその後に更新された最新版)●2023/9/26(火)「福島第一原子力発電所は、今」~あの日から、明日へ~(ver.2023.9)●2024/3/6(水)「福島第一原子力発電所は、今」~あの日から、明日へ~(ver.2024.3)●廃炉資料館 映像を観た後は、見学者用のベスト配布・手荷物預け・金属探知機のボディーチェックを受け、東電の用意したバスに向かいました。14時10分にバス内でポケット線量計が配布され、東双不動産のフルイチさんの挨拶が有りました。 バスは14時13分に廃炉資料館を出発し、16分に国道六号線に入りました。バスの運転席背後に線量計が設置されており、この時点では車内で毎時0.14μ㏜でした。 14時20分に夜ノ森付近を通過。毎時0.2μ㏜(1.8m㏜)。 14時21分に大熊町へ入る。 14時23分に毎時0.3μ㏜(2.6m㏜)。 14時26分に大熊町唯一のガソリンスタンド脇を通過。 ガソリンスタンド脇を通過後に、六号線に設置された線量計の下を通過。その線量計(つまり、屋外)の表示は毎時1.124μ㏜(9.8m㏜)。 14時28分に六国からフクイチへ右折。毎時0.6μ㏜(5.2m㏜) 14時29分に0.8μ㏜(7m㏜) 14時31分に正面にタンク群(J7タンク群)が見えてきました。1年振りに「フクイチに来た」と実感します。0.9μ㏜(7.9m㏜) 14時32分にフクイチ正門へ到着しました。下車せず、その場で待機です。0.7μ㏜(6.1m㏜) 14時33分に正面ゲートを抜けてフクイチ構内へ入りました。0.5μ㏜(4.4m㏜) 右側にタンク群(H8・H9タンクエリア)を見ながらゆっくり走ります。 14時34分に0.4μ㏜(3.5m㏜)。 14時35分にふれあい交差点に到着、右折します。0.4μ㏜(3.5m㏜)。フクイチ構外より、過酷事故が起きた構内の方が線量が低いという、奇妙な逆転現象はこれまでと変わっていません。 左側にセシウム吸着塔一時保管施設・第4棟を見ながら、バスは東へ(海側へ)向かいます。 14時37分に0.6μ㏜(5.3m㏜)。 14時38分に、左側の少し離れた位置に免震重要棟が見えました。0.8μ㏜(7m㏜)。 14時39分、正面に1号建屋が見えてきました。1.3μ㏜(11.4m㏜)。 バスは1号機前で止まり、社内で中島さんの説明が始まりました。その間、車内の線量計は7~16.4μ㏜まで、激しく変動していました。 14時43分に全員がバスを降り、ブルーデッキと名付けられた、1~4号機が見られる高台に立ちました(5・6号建屋近くにグリーンデッキが設置されていますが、今回は行きませんでした)。車内で11.4μ㏜、デッキ上で58.44μ㏜(512m㏜≒0.5㏜)でした。 1~4号建屋の前にクローラークレーンが2台止まっているのはこれまでと同じで、2号建屋前のクレーンに「のぞみ」と書いてありました。ということは、3・4号建屋側のクレーンが「きぼう」だったと思われます。 中島社員の説明は東電がこれまでにしてきた説明と同じだったので、私は、聞くよりも観察する側に神経を向けていました。 風が強く、建屋の向こう側に見える太平洋は緑色で波が高く、とても荒れていました。これまで3回見た中で、最も荒れていたでしょう。 高台と建屋の間は、これまでと変化がなく、遮水壁のラインや、フェーシング(耐水舗装)された斜面、建屋近傍のボロボロになっている建物などもそのままでした。解体すら直ぐには出来ないほど、線量が高いのでしょうね。 完全装備の作業員さんが動き回っているのが見えて、平服でその様子を見ている自分が、無防備であるかのような錯覚と、働いて下さることに申し訳ないという思いに囚われました。 デッキで参加者全員揃っての記念撮影の後、14時58分にバスに戻りました。扉を開けて待っていたせいか、車内で25μ㏜(219m㏜)でした。 バスは来た道を戻り、15時3分にふれあい交差点に着きました。0.5μ㏜(4.4m㏜)。 ふれあい交差点を左折する際に、バスの進行方向とは逆の5・6号建屋方向を見ると、その方向にも信号が見えました。2017年10月26日に亡くなった自動車整備士・猪狩忠昭さんが働いていた自動車整備工場がその方向に有るのですが、見えませんでした。ERの扉に設置されていたモニター付きインターホン バスは15時7分に、入退域管理棟前1階のER(緊急救命室)の前に着きました。 故・猪狩さんが担ぎ込まれた所です。 昨年まではERの外扉の横に「叩いて知らせて下さい」という旨が掲示されていたのですが、1年振りに見ると、モニター付きインターホンが設置されていました。 猪狩さんのご遺族が東電・宇徳を訴えた「フクイチ過労死訴訟」の控訴審(仙台高裁)で、2019年9月に弁論終結・和解勧告を行った際、小林裁判長が「叩いて知らせるのが、最新の技術が集まっている原発構内でのことなのか」と発言していました。小林裁判長は後に原告の控訴棄却の判決(つまり、原告敗訴)を言い渡したのですが、その裁判長ですら「叩いて知らせる」ことに驚き、批判していたのです。 東電の法的責任を認めなかった裁判長ですら呆れさせた「叩いて知らせる」状態が改められたのは、働く環境の改善・労働安全という観点から、一歩前進でしょう。 とは言え、モニター付きインターホンは、人の命が失われ、遺族が大変な覚悟とリソースを投入して訴訟を起こさなければ、設置できないものなのでしょうか? 一般用住宅でも設置できるものです。設置されたのは良いことですが、そこに至る大きな犠牲を考えると、素直に「良かった」とは言えません。 フクイチ過労死訴訟と、関連記事については下記を御参照下さい。(リンク)●1.フクイチ過労死訴訟・控訴棄却と、その理由(2022年5月)●2.フクイチ過労死訴訟・判決と審理の振り返り(22年10月)●3.「フクイチの安全衛生管理対策のガイドライン」に関するレク(2022年12月)●4.故・大角さんの配偶者さんの訴えは棄却(20年7月6日)●5.原子力複合体にとって、協力企業従業員は「人」ではないのか (20年1月8日)「処理水」のボトルでの試験、そして資料館へ バスを降りると、参加者は入退域管理棟に入りました(ERの隣の扉だったので、入退域管理棟だと思われます)。 入った所で、昨年と同様、「処理水」の入ったボトルと、温専用ラジウムボールの入ったボトルが用意され、ガンマ線用の線量計をボトルに近付けるという「パフォーマンス」が有りました。 東電の担当者は「ラジウムボールの入ったボトルでは線量計は反応しますが、処理水の入ったボトルに近付けても線量計は反応しません。処理水では、ガンマ線を放つ核種は除去されています」と説明していました。 担当者も仕事ですから説明しているのでしょうけど、私は内心「また、始まったよ」と思いながら聞いていました。このような説明を受ける時間があるのなら、ブルーデッキに行って、5・6号建屋を間近で見たかったですね。 放射性物資が付着しているか同課の検査を終えると入退域管理棟を出て、15時29分に東電の用意したバスに戻りました。 バスは15時30分に出発し、ヘリポートの脇を通って、国道六号線へ向かいました。 廃炉資料館に戻るまでは質疑応答の時間に当てられ、他の参加者からは「僕は原子力に復活して欲しいと思っている」「原子力の意義や必要性をどうやって説明しますか」等の意見も含めて発言がありました。 原子力推進側や擁護する立場からの発言を聞く機会はなかなかないので、貴重な機会でした。 私は論争するつもりはなかったので、最後にマイクを持たせて貰い「ブルーデッキ・グリーンデッキ、両方行きたかったです。これはコメントと言うか、希望です」と発言しました。東電の担当者は「承りました」で応じてくれました。 5・6号建屋を見られるかどうか、次回の見学に期待ですね。 廃炉資料館に戻った後、装着していたポケット線量計とベストを返却しました。構内の地図等、東電がまとめた資料一式は持ち帰り可能でした。 線量計の計測結果によると、今回の見学による私の被曝線量は。ガンマ線で20μ㏜とのことで、一昨年・昨年と同じでした。 東電の中島さんは、「レントゲン一回分ですよ」と説明していました。 私のような参加者は「レントゲン一回分」で済むのでしょうけども、フクイチ構内で働いている人や、構内に入らないまでも、周辺で生活したり、毎回のように参加者を案内している東双不動産や東電の担当者はどうなるのでしょうか? 原発を推進したい国会議員や、東電の株を持っている会社の役員は、フクイチを案内したり、見学者に頭を下げたりはしませんからね。「偉い人」は必ずと言っていいほど、現場仕事はやりません。 廃炉資料館で原研機構が用意したバスに乗り、いわき駅へ出発しました。東電や東双不動産の担当者は、最後まで深々とお辞儀をしてバスを見送ってくれました。 毎回思うのですが、現場の人に悪人はいないでしょう。自分の身体がリスクに晒される可能性が高いことを承知で、不愉快なことも有るかも知れないのに、バスの運転や案内を引き受けて下さっているのです。 この方達のお蔭で、世界最大の核災害の現場を、例え東電が決めたコースとは言え見学でき、帰還困難区域を一部でも見ることが出来るのです。東電の現場の人へは、原発を推進してきた批判より、感謝と心配の念が先に立ちます。 機構のバスは、ほぼ予定通りに常磐線・いわき駅へ到着し、特急「ひたち」で家路につきました。 朝6時前後に家を出て、帰宅は21時を過ぎていました。 原研機構が2023年度に企画した施設見学会には、4回参加し、23年度分としてはこの日が最後の見学でした。フクイチ以外の見学記は下記リンクから。(リンク)●複数の核施設見学記/2022年11月~23年12月 機構の皆様、東電の皆様、東双不動産の皆様、バスの運転手さん、警備員さんに感謝致します。普段の生活では見られない所を見られました。核技術・核施設・核災害への敏感性を磨く貴重な機会でした。 原研機構の主催する寄付者向け施設見学会には、今後も、機会が有れば参加します。春橋哲史(ツイッターアカウント:haruhasiSF)