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NOと言える三多摩~言泉「やまと」後悔日誌

NOと言える三多摩~言泉「やまと」後悔日誌

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言泉「やまと」

言泉「やまと」

2007.11.13
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カテゴリ:やまとことば
「やまと」艦長の海江田四郎であれば、さしずめ
「やまと」より国連・各国政府に告ぐ!
極海における戦闘の終結を伝える!


(かわぐちかいじ『沈黙の艦隊』VOYAGE-144「戦闘終結宣言」)
といったコメントになるであろうか。
昨日の記事でも触れた、木曜のゼミの発表資料については、予想していたよりも早く完成し、今日の昼過ぎにメーリングリストで送信してしまった。結局は15ページまで。その気になれば、もっと長く書くこともできたであろうが、「紙の上には本質的なことだけを書いておいて、後は口頭で補足すればいいや」みたいな気分になって、作業を切り上げた・・・というのが、「戦闘」の真相かもしれない。
いずれにせよ、2日後の審判を待つのみである。

ちなみに、今日もおおむね晴れ。三多摩の府中のアメダスによれば、日最低気温は8.4℃(02:20)、日最高気温は21.2℃(14:00)であった。



さて、本来なら2日後の記事で取り上げようと考えていたが、今日が「357回目」の書き込みということもあり、また後日の記事の伏線として先に述べておくのが有効であると思われるため、とある言葉を調べてみることにする。例によって、私の電子辞書からの引用である。
しち-ご-さん【七五三】
1)祝儀に用いる数。一・三・五・七・九の奇数をめでたいとして、その中の三つを取ったもの。
2)七・五・三の数に基づいて献酬をなし、本膳七菜、二の膳五菜、三の膳三菜を供えた、盛大な宴。
3)男子は3歳と5歳、女子は3歳と7歳とに当る年の11月15日に氏神に参詣する行事。七五三(しめ)の祝い。〈[季]冬〉
4)しめなわ。
『広辞苑』

しち-ご-さん【七五三】
《名》
1)子供の成長を祝い、将来を祈願する行事。男子は三歳と五歳、女子は三歳と七歳になった年の十一月十五日に行い、氏神などに参拝する。
2)本膳に七菜、二の膳に五菜、三の膳に三菜をつける盛大な祝宴。七五三の膳。
3)しめなわ。
『明鏡国語辞典』

七五三[シチゴサン]
幼児の成長期における重要な儀礼の一つ。一般に男児は3歳と5歳、女児は3歳、7歳で行う。男児はハカマギ、女児はオビトキ、オビムスビまたはヒモオトシの祝いと称して、それまでの一つ身の着物から三つ身、四つ身などに着替えたり、新しい帯を締めて宮参りをすることが各地の習俗にみられる。「七つ前は神のうち」という諺や幼児葬法にみられるように、この時期に袴や帯を幼児の身に着せて成長を祝う儀礼である。霜月祭(11月15日)が一般に選ばれ、こうした儀礼が七五三としてまとめられたのは、江戸時代中期以降のことで、商家の営業政策の影響が大きい。今日ではますます華美になりつつある。
『ブリタニカ国際大百科事典』

しちごさん【七五三】
3歳、5歳、7歳の子どもの祝い。11月15日に行う。3歳の髪置(かみおき)、5歳の袴着(はかまぎ)、7歳の帯解(おびとき)など江戸時代から7歳、5歳、3歳を祝う習俗があったが、年齢や祝日、男女の別は固定していなかった。今では男女の別なく7歳、5歳、3歳の子どもを着飾らせて神社に参拝する。七五三の名称とともに、この風習が盛んになったのは明治以後である。
『百科事典マイペディア』

しちごさん【七五三】
冬十一月
十一月十五日に行う成長の祝い。髪置(かみおき)。袴(はかまぎ)。帯解(おびとき)。紐解(ひもとき)。千歳飴(ちとせあめ)。
『ホトトギス俳句季題便覧』

[冬]【七五三(しちごさん)】七五三の祝い(しめのいはひ)、七五三祝(しめいはひ)、千歳飴(ちとせあめ)[行事]
十一月十五日。男子は三歳・五歳、女子は三歳・七歳を祝う行事。髪置・袴着・帯解などの祝いが一つになって江戸中期以降、江戸などの大都市で行われたのが始まり。今日では十一月中旬に着飾った子供が親に連れられて神社などに参詣する風習として残っている。
『合本俳句歳時記』
父親が「ああっ、こんなはずではなかったのに!」と叫ぶ行事(父、誤算?)・・・ではない。
『ホトトギス俳句季題便覧』の中に明らかな誤植があるのはさておくとしても、『百科事典マイペディア』の「今では男女の別なく」という説明には若干の違和感を覚えてしまう。

「ハカマギ」「オビトキ」「オビムスビ」「ヒモオトシ」のようにカタカナだけで書かれたり、あるいは「髪置」「袴着」「帯解」と漢字だけで書かれたりすると、何のことやらさっぱり想像できない。これらは現代ではあまりなじみのない伝統文化と言えよう。
かみ-おき【髪置き】
1)幼児が頭髪を初めてのばす儀式。すが糸で作った白髪をかぶせ、頂におしろいをつけて祝う。近世、公家は2歳、武家3歳、あるいは男子3歳・女子2歳、庶民は男女3歳の時、多く陰暦11月15日に行った。かみたて。櫛置き。〈[季]冬〉
2)唐衣(からぎぬ)の襟を外に折り返した、中央の部分。上から垂れる髪が当るところ。
『広辞苑』

髪置[カミオキ]
幼児が頭髪を剃ることをやめて伸ばしはじめるときの儀式。髪立、櫛置などともいう。平安時代末期から行われた。綿帽子、白髪になぞらえた白糸などを頭上に置いて祝う。公家では2歳で、武家では3歳の11月15日にこれを行い、5~6歳になると髪削(かみそぎ)、深曾木(ふかそぎ)といって将来の生髪を祝う儀式を行う習慣があった。
『ブリタニカ国際大百科事典』

かみおき【髪置】
2~3歳の男女の子どもが髪をのばし始めるのを祝う儀礼。髪立、櫛置(くしおき)ともいい、鎌倉~江戸時代に行われた。子どもを碁盤にすわらせ、頭に絹糸や真綿で作った髪形をのせ、山橘(たちばな)、熨斗鮑(のしあわび)等の縁起物をつけて髪の成長を祈願する。
『百科事典マイペディア』

[冬]【髪置(かみおき)】[行事]
昔は男女ともに三歳ごろまで頭髪を剃っていた。式日は一定していなかったが、十一月十五日に初めて髪を伸ばす儀式を行うことが多かった。すが糸などで作った白髪のかつらのような綿帽子をかぶらせ、鬢(びん)を櫛や笄(こうがい)でかく真似をした。
『合本俳句歳時記』



はかま-ぎ【袴着】
幼児に初めて袴を着せる儀式。古くは多く3歳、後世は5歳または7歳に行う。近世以降、陰暦11月に行うのが通例。着袴(ちやつこ)。〈[季]冬〉
『広辞苑』

袴着[ハカマギ]
着袴(ちゃっこ)ともいう。幼児に初めて袴をはかせる儀式。古くは男女の別なく3~7歳の間に行い、江戸時代以降5歳の男児に定着した。平安時代にはもっぱら公家の間に行われたものであるが、のちに武家、さらに庶民の間にも行われるようになった。幼児を吉の方角に向けて碁盤の上に立たせ、麻の裃(かみしも)を着せ、左の足から袴をはかせ、初めて双刀を差させた。父親か高職にある人や夫婦健全で子孫隆盛な人を親と頼み、氏神に詣で、親戚や知人宅を訪ねたり、自宅に客を招いて小宴を開いて祝った。近世以降旧暦11月15日に行われるようになり、七五三(11月15日)の風習となった。
『ブリタニカ国際大百科事典』

はかまぎ【袴着】
幼年期から少年期への移りめの儀式。以後は男女異なる衣服をつける。平安時代には3歳、近世には7歳に行った。吉日を選び、子を碁盤上に立たせて初めて袴をはかせるが、烏帽子(えぼし)親と同様、腰紐(こしひも)を結ぶのを有力者に依頼することも多かった。
『百科事典マイペディア』

はかま-ぎ【袴着】(名)
男子が初めて袴(はかま)をつける祝いの儀式。古くは三歳、のちには五歳・七歳で行うこともあった。成人式に当たる男子の初冠(ういこうぶり)、女子の裳着(もぎ)に次ぐ重要な祝い。着袴(ちやつこ)。
『全訳古語辞典』

[冬]【袴着(はかまぎ)】[行事]
童子が初めて袴をはく祝いをいう。平安時代には男女ともに行っていたが、近世には男子五歳の祝いをさした。十一月に行うのが通例で、日は必ずしも一定ではなかった。親族の中から選ばれた袴親が、袴の紐を結んでやり、氏神へ参詣した。
『合本俳句歳時記』



おび-とき【帯解き】
幼児がそれまでの付帯(つけおび)をやめ、はじめて帯を用いる祝いの儀式。ふつう男児は5歳から9歳、女児は7歳の11月の吉日(のち15日)を選んで行う。帯直し。紐解き。〈[季]冬〉
『広辞苑』

おびとき【帯解】
子どもに初めて帯を用いる祝い。子どもを恵方(えほう)に向かって立たせ、付帯(付紐(ひも))のない着物を着せて帯を結ぶ。室町時代すでに行われ、ふつう男子は5歳、女子は7歳の11月15日に行うことなどからみて、七五三の祝いと密接な関連をもつと考えられる。
『百科事典マイペディア』

[冬]【帯解(おびとき)】紐解(ひもとき)[行事]
着物の付け紐を取り、初めて幅広の帯を締めさせる祝い。男女ともに九歳の時に行い、後に男子は五歳、女子は七歳の一月に行った。紐解は帯解とほぼ同義で、江戸時代に女子の七歳の祝いと解されたことから、帯解は女子の祝いと誤解されるようになった。
『合本俳句歳時記』
うーむ。いろいろと「未知の世界」があるものである。
ツッコミを入れたい部分は赤字で表記した。幼児のうちから髪の心配をするとは・・・この時代の「髪」って、何を象徴するのであろうか(長い友達?)。また、縁起担ぎ系の約束事が多くて現代人としては苦笑せざるを得ないが、成人に達するまで生きられるとは限らなかった当時の人々は真剣であったに違いない。あと、衣服の区別によって性役割分担(ジェンダー)の意識を植え付けているのも興味深い。



最後に余談。
関東知事会、高校の日本史必修化要望 「国益に反する」
(MSN産経ニュース 2007.11.13 19:30)
高校の日本史の授業では、上述したような伝統文化を教えてくれるわけではあるまい。
そもそも高校で必修で学んだからと言って、教えられた内容をその後も長く覚え続ける人は多くないはずである。この要望の動機自体からして微妙ではあるが、何が目的で、それにふさわしい手段は何か・・・ということを、もう少し冷静に考えるべきではなかろうか?





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Last updated  2007.11.21 21:53:50



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