玉虫左太夫の徒然草
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Green Card狂想曲20
「雨乞い三兄弟」米国で奮闘す77
日本人のクセの再認識17
やってしまったヨ米国で8
恋しき日本文化の再認識65
ミシガンの日常135
米国文化の一断面31
思い出の「リストラ」7
人種の坩堝2
ホームページの行方6
ビザがおりない2
単身生活の醍醐味3
山歩き4
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昨日は、朝4時頃からBlack Fridayのアウトレットに繰り出した。場所はMichigan City。Chicagoの客を見込めるためか、Outletの規模としてもまあまあのところだった。 なにせ、夜中の12時に開店するところもあるし、謳い文句にも朝の7時には全店開店するというのだから、到着した7時でもそんなに早い訳でもない。 昨夜は、風雪で、少々運転も怖かったが、売出し中の4WDが、最後の家族ドライブを助けてくれた感じ。 行ってみてまず、Barbaryに入ってみたが、レジにはすごい人だかり。そんなにスゴイ掘り出し物があるのかどうか、コートのところに行ってみると、確かに安い。すでに、丁度いいサイズのものは、跡形もなく売れ切れていてどんな巨人が着るのだろうかというくらいの、超ジャンボサイズのものしかなかった。 日本でお初売りの前夜に、目当ての商品をねらって長蛇の列ができるが、全く同じだ。 が、もう一つの驚きは、このレジに長蛇の列を作っているのに、なんとアジア系が多いことか。特に注意して会話の言語を聞いてみると、中国系が多かった。そして韓国。 定価の半額といった情報に鋭く反応し、早朝12時起きも辞さないのが、やっぱりこういった民族なのだろうか。そして、こういった人々はブランド物が大好きなんだな、とつくづく思う。(自分もその一人だけどね・・・) Calvin ClineやBanana Republicなんかはそれほどの混んではいなかったが、さすがNikeの行列もすごかった。帰国に備えて、劇安だったBarbaryのコートに並んだのが運の尽き、なんと一時間超も待たされた。並んでいる人達は、レジの段取りの悪さを口々に悪態をついていた。あの真ん中のレジの女性は「Slow Lady」だとか・・・
2007年11月24日
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昨日は、船積み分の引越し。単身分の引越しとたかを括っていたら、ベッド搬送を含めたせいか割と時間がかかった。 荷物のパッケジ数は20個足らず。それらが持ち去られていても、家の中にはまだまだ家具が残っている。5人家族の所帯はやはり、家具も衣類もまだまだ多いのだ。来年6月の本引越しが思いやられる。 シエナが売れないのも、もう一つの気がかり。夕方、近隣に住むガーナ出身の人から問い合わせがある。子供が4人。「カミさんに相談する」いって電話を切ったが、彼が心配する点は、非常に頷ける。たとえば、「ペットを乗せましたか」これは、家族にアレルギーの子供がいるらしいので、非常によくわかる。「コロラドに行ったときとか、稀にしか乗せていません」と答えたが、どう思ったのだろう。家族思いのいい感じの人だったで、少し割り引いても買って欲しいねなどと、カミさんと話した。 今日は、三男の病院への付き添い。 問題の箇所は、ちょっと「人目を憚る場所」のため、私が付き添う。 「人目を憚る箇所」の病気は、自分自身も家族も米国に到着以来、随分悩んだ。 私の○○、次男の○○、そして今回三男の○○。しかし、今回も、やはり米国の医療システムは合理的で、科学的で好きだ。今日のホームドクターも、信頼している先生だけに、非常に対応が適切であったと思う。 まず、「問題の箇所」だったので、三男とドクターが二人きりになった。しばらくして、診療の部屋に呼ばれて、「心配する必要はない」と、その症状の現状と治療方法を的確に教えてもらった。 加えて次男が、「体が火照ると頭が痒くてしょうがなくなり、かきむしってしまう」といった家族の悩みにも、特別のシャンプーを紹介してくれるなど、時間を割いて説明してくれた。こういったホームドクターの良さは、米国にきて味わった「良い点」といえるだろうか。
2007年11月21日
日本でもシカゴマラソンはニュースになったようですね。死者1名重症300名の報道でしたが、全く大変な一日でした。シカゴから帰ったらコムキャストが原因不明の故障で、TVもインターネットも不通で今日になってしまいました。 当日朝、非常に気持ちの良いスタート。米国国歌を気持ち良く聴きながら、カミさんも元気にスタート。 4万5千人の参加だから、もうすごい人。なんせスタートが8時なのに、カミさんの予定ランニング時間4時間半のグループが中々スタートできない。結局30分遅れでスタートだけれど、この時点で悲惨な大会になると、誰も予想できなかった。ただ、腰周りにやたらとドリンクを括り付けていたランナーがいて、なんであんなことをするんだろうと思っていた。8:00 カミさんのスタート間際の写真を撮ったり風景を撮ったりで、バッテリーが切れて、soldier studium parkingに充電のために戻る。8:30-9:30。 parkingからシカゴ美術館に向かうが、この頃10:00過ぎにトップ集団が戻る。異常気温による重態者が続出など知る由もない。 10:30今日はモダンアートを楽しもうなどと、ノンビリとオキーフの絵など見る。フムフム、残念ながらモダンアート別館建築中で、あまり展示の数が少ないぞ。 10:00ここでカミさんに携帯で電話。でも出ない。携帯に出ない場合は「順調」という印という約束だったから安心。日本の北斎でも見るかと、日本のアートへ移動。 10:30カミさんから携帯。「約30分遅れで中間点通過」まあ順調じゃないか。 11:00「炎天で、暑くて頭が痛い。今28キロ地点。水が飲めない。冷たい飲み物を持って待っていて欲しい」急に緊張した雰囲気に。これは尋常じゃない。 急遽、美術館前からタクシーに乗って参加パンフの35キロ付近を運ちゃんに示す。運ちゃん「地図じゃわからんからストーリー名を示せ」私「アーチャーストリートとセレムススストリート」「その前に氷を売っているスタンドがあったらそこに寄ってくれ」運ちゃん「ここからはそんな店はない」「とにかくワイフの緊急事態だから急げ」 その35キロ地点はチャイナタウンのど真ん中だった。氷のある店がないというので、チャイナタウンのマーケットに走った。冷たい飲み物は手に入ったが肝心の氷がない。しかし、すれちがって会えない可能性もあるので、とにかく35キロ地点に急行。 4万人のランナーに応援の沿道だから、カミさんが自分を識別できるかわからない。勇気がいるが、かねて用意の日の丸の国旗を身にまとった。チャイナタウンではやばいとおも思ったが、この混雑では誰も気にしない。 ところが彼女から連絡がない。そしてその頃からランナーも歩く人が増えてきて、道路も消防の消火栓を空けて、シャワー状にしてランナーに水を供給するなど、炎天下のレース様相を帯びてきた。 そこに携帯。31キロ付近で頭が痛くて走れない。「左側を反対に歩いてきて欲しい」 35キロから遡って走っていくと、なるほど疲労困憊で歩いているランナーがかなりいる。彼女も炎天で熱中症になったに違いない。 さらに「頭が痛いのでしゃがみこんでる」との携帯。「まだ見えないけどどこ?」33キロまで遡るところで、歩いてやってくるカミさんに遭遇。顔が青い。 「道路封鎖。歩くようにとの指示が出ている」とのこと。なるほど付近にはしゃがみこんで戻している人もいる。最寄のマーク地点20マイルまで戻ることにした。 そこに待機していたバスがあったので、バスに乗り込む。やはり途中で動けなくなった人が乗り込んでいる。でも表情は皆明るかった。 ところが、隣に座っていた初老の婦人の様子がおかしい。気がついた人が待機していた大会関係者に告げる。その婦人は、意識を失っていた。話しかけても返事もしないし、次第に白目を向いてきた。同乗していたランナーが首筋にタオルを当ててあげ、私が持っていたポカリを飲ませようとした。でも口にあてても飲めない。 救急隊員が駆けつけて、点滴。その時点でタオルが効いたのか、その人は意識を取り戻した。緊張のバス内だった。 という具合に、カミさんも危ういところだったが、軽症で済んだ。 シカゴマラソン。ちょっとチャレンジングでスリリングだったけれど、良い思い出にはなった。なんせ、カミさんは帰りの車で「次はグランドラピッズでリベンジだ」だって・・・。
2007年10月07日
帰ってきました! 土曜午後デトロイト空港に到着。 入国審査の用紙を間違える等の些細なトラブルはあったが、感無量の帰国。 エコノミーパーキングに留めてあったセコイアに、トランク一杯の荷物を詰め込む。 一人23キロを二つずつだったから、5人分計230キロ。プラス大人五人だから、ここでようやく8Vの馬力が役にたった。(ガソリンもなぜか安くなっていた。) 長男をL市に送り届け、我が家に舞い戻ること約一ヶ月ぶり。 プランターの植物が瀕死の状態だったが、かろうじて間に合った。 トランクを降ろして、ケネルに急行。 ルルは大丈夫か! しかし、ルルは見る影もなく、ゲッソリやせ衰えていた。 立派に生えそろっていた毛が、すっかり貧弱になって、一回り小さく見える。 捨てられたと思って衰弱しただろうか?ケネルの人は、他の犬と仲良しになって元気だと 言っていたが、実際は違っていた。 鳴き声も出ないのは、家族を思って鳴きつづけたせいなのだろうか? 普通の家族生活に戻るには、まだ色々ありそうだ。
2007年01月20日
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今日は、日米協会の行事があった。 D領事の就任歓迎と日米交流のパーティだったが、少々驚いたのはD領事の流暢で笑いを随所に入れた英語のスピーチの中で提案されたこと。 それはこのミシガンのド田舎町に風間杜夫を呼んで日米の交流として、彼のパフォーマンスを見ようというもの。それもすでに話は進んでいるらしい。 演技派・風間杜夫がこんなところまで、来てくれることは有難いけれど、これは随分大胆な提案をされる領事さんだな、と感心した。
2006年12月14日
米国暮らしで好きなシーズンは、この時期クリスマス前のムードだ。 クリスマスの音楽に満ち溢れ、家々がライトの装飾にいそしむ時期。 クリスマスソングがラジオからひっきりなしに流れるのもいい。 玄関に飾るリースも大きくて、何か神聖でおごそかな感じがある。 今日のミシガンは寒さが厳しくて、マイナス5度。 シカゴほどではないものの、冷気が心地よい。 日本に師走と同じことかもしれないが、 家族が集まって団欒を迎える期待が高まってくるのだ。
2006年12月09日
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今週も土曜出勤。日本出張を控えて準備など盛りだくさん。 土日も働くのは能率が悪いせいなのかもしれない、脳は随分と働いてくれているようなので、少し休憩させねばならないかも。 1)前にも言ったが、早口の英語は、私の脳が最早受付なくなっているようだ。 4年暮らしても理解できない。 2)心地よい音や休息できる考え事を追い求めるようになった。 職場を出ると、一切仕事の事を忘れるようにしている。 3)たまにどうしても思い出せない名前がある。 思い出そうとすると出てこないが、しばらくすると、フッと思い出したりもする。 4)新しい英単語は、頭に入らなくなった。 要するに老化現象だから、仕方ない。 「心地良い音」は若い頃に聞いた音楽に関係すると思われる。懐メロ的なフレーズで、脳に気持ちのいい物が確かにある。休息の日は、そんな音にどっぷり浸かりながら、睡眠をとるのが一番。 チューリップの「青春の影」もその一つだ。キリンラガーのCMのおじさんは良く撮れている。
2006年12月08日
今日は、人生の中でも幸福を感じたサンクスギビングの一日だった。 1)長男が恋人を連れてきたこと。 2)家族がそろった食事だったこと。 3)韓国の友達Jさん夫婦を招いてインターナショナルな食事だったこと。 4)三男の日本の友達も混ざって総勢9人 日本語・韓国語・英語が入り乱れたディナーだった。 カミさんが用意したディナーも最高であった。 ミートローフ・ワラビと韓国ジャンのあえもの・きのこと春雨の煮物 韓国と米国文化をミックスしたような食事だった。 家族が健康で、仲良く一緒に食事できることが一番の幸せなのかもしれない。
2006年11月24日
今年のハロウイーンは、引越した事もあって、子供達もあまり訪れず、静かに過ぎていった。 そして、枯葉もすっかり落ちて、寂しくなったなと散歩がてら思っていたら、夏の間は姿を見難かった鳥達が、見えるようになったことに気がついた。 ミシガンの主人公ロビンとカージナルス。いるいる。 この鳥達は、厳しい冬の間の散歩時には、わずかな慰めになりそう。
2006年11月03日
昨日の日記の標題の次にこれは、あんまり情けないのだがーーー。 カミさんがデトロイトハーフマラソンに参加。無事完走した。 私は、エスコートに努めました。車の送り迎えだけですがーーー。 来年はシカゴマラソンに、なんて勢いの言いことは、言えないかーーー。 一言もなし。お見事!!
2006年10月29日
アメリカのワールドシリーズ、第四戦目。タイガースが負け越しているだけに気になるのだが、---。 現在夜の9時45分現在、雨で遅れているということで、TVは替わりのドラマと雨の雫に濡れる待ちわびる観客の様子を交互に映しだしている。でも、---この時間にまだ順延の決定をしない米国って、やっぱり日本とは違うよな。 すでに中央時間帯で10時近いのですよ。しかも画面からみてもセントルイスの天候はよく言っても驟雨。要するに止みそうもないのです。それを「遅らせる」として観客をスタジアムで、この時間でも待たせている!!! 野球狂といえばそれまでですが、単純にいって画面に映る観客がかわいそう!!
2006年10月25日
友人にビルマ人がいて、結婚披露パーティに招待されたので行ってみた。 この小さい町にこんなにビルマ人がいるのかと驚いた。 日本人が日本人のコミュティを作るように、ビルマ人の結婚披露宴はビルマの人が集まって彼らの民族衣装を着て、彼らの食事を食べる結婚式だった。 故国は貧しい軍事国だけれど、米国に来てビジネスで成功した人が、故国の親戚一族を呼び寄せて、集団移住するといった昔の日本人のブラジル移住みたいな話だ。 友人のおとうさんがその成功者で、部族のリーダーのような位置づけ。息子は学業もスポーツも優秀でミシガン大学を卒業し、かわいらしい米国の白人女性と恋に落ちた訳だ。 そのパーティの中で、花嫁のお父さんが、余興の一つのバンブーダンスに舞台に呼ばれて踊るはめになる場面があった。二つの長い竹さおに挟み撃ちされないように、軽快に跳ねながら、踊らねばならないと余興だ。ちょっと歳の行ったそのお父さんは、しかし、花嫁のために見事に笑いを誘いつつ、踊りきった。 困ったことに、その後に会社での友人ということで、私も指名されて爆笑の渦の踊りを披露する羽目になった。
2006年10月21日
ここがデトロイトに近いこともあって、今年はタイガースで大いに盛り上がっている。 ディビジョンシリーズで、松井のヤンキースを破り、アスレチックを倒してのワールドシリーズ(本当の世界一ではないが、彼らがそう名づけた)進出だ。 相手は何と田口のカージナルスだから、この周辺の日本人にはたまらないはず。(ただチケットは高すぎて、私にはとてもコメリカパークで観戦はかなわないが) 家族は私が野球ファンでないことを知っているので、ヤクルトの大ファンの息子やアンチジャイアンツとして野球にうるさいカミさんは「即席ファン」だと、突然野球中継を見出した私を責める。 でも、俄かファンでも即席ファンでも、何とでも呼んでください。 とにかくガンバレタイガース。
2006年10月19日
ひょんなことで地元の日本人会の役員を引き受けるはめになった。 日本でいえば、町内会の副会長さんみたいな奴だ。 そういえばカミさんは、町内会の副会長になって驚いたことがある。 町内会の副会長といえば、一昔前は地元の長老が引き受ける名誉職だったのに、一介の若い奥さん(当時40前後)がなるものかいな?と思ったのだ。 今度の私のケースは、短期間のリリーフ当番なので、ちょっとわけは違う。 正直、こういった組織の煩わしさとイカガワシサにはうんざりしていた。 なにせ盆踊りだ、新年会だだの、なぜ苦労して日本の行事を米国でやるの?と悪口を言っていた口なのだ。 悪口を言うとお鉢が回ってくるのかな。 それとも、自分もそういう歳だということかな。
2006年10月17日
米国に来て4年経過したが、いっこうに英語の力がついていない、と思っている。 でも、だめだだめだとばっかり言わず、米国人に倣って、ポジティブ思考で、自分が進歩した点は何か考えてみよう。 <会話での進歩点> 1)米国人がくしゃみをした時自然に「Bless you」と言えるようになった。これを言わないと、空気がおかしいのだが、日本にそんな習慣がないし、しばらくの間は、この言葉が出なかった。 2)帰り際の挨拶。Good nightだけでなく、週末だったらhave a nice week end などとバリエーションをつけられるようになった。朝の挨拶のhowa are you doing?に対するバリエーションは中々広がらない。まだ、ワンパターンのgood か fine thank youくらい。 3)説明しながら、it means や I meanなどと追加説明をするようになった。これは進歩というより、癖に近いものかもしれない。 4) kind ofをやたらいれる。
2006年10月14日
現在、ミシガン州知事選挙がたけなわ。 現州知事は女性のジェニファー・グランフォルムさん。 ミシガン州への日系企業の斡旋などに、非常に熱心な人。 それは、もちろん、GM,デルファイ、フォードなどのデトロイトを中心とした企業が不振に陥って、州全体の景気が不安視されていることによる。 州知事選挙のディベートも半端じゃないね。 対するはデボスさん。 この候補も中々の候補ではないかという、気がする。しかしーーー。 TVやウエブを使った徹底的な政策論争を見るにつけ、日本にもいずれ、この時代はやってくる。その暁には、日本の県知事のほとんどが、女性知事に置き換わる日が来るのではないか?
2006年10月08日
日本からも秋の便りが届いた。 それは、仙台近郊の植物園(ボタニカルガーデンと呼ぶそうな)の様子。 早速、ウエブサイトで見つけた。 なるほど、これは「故郷の秋」って感じがするナ。 が、こちらミシガンも一番いい季節になった。 秋晴れの空気の冷えが実に爽やか。 そしてやっぱり紅葉。 日本の木々の種類と大分違うのだけれど、落葉樹はやっぱり見事に色ずく。 紅葉全盛には、若干早いので、付近の写真の代わりに日本への一枚は今朝の地元紙の新聞に載ったSandhil Craneの写真。 このクレーンは自分の目で見た訳ではありませんが、こういった野生動物の監察地域があって、見に行くことができる。実際は、ミシガンというところは広大過ぎて、人間が野生動物を鑑賞できるように整備した地域のことを指す。 実に植物にも動物にも興味があるので、日本からの便りとこち地元との対比は面白い。 それとボタニカルという言葉は、偶然今朝の新聞にもBotanicalとしてウエブサイトの紹介がされていた。日本のほうでポピュラーなのかもしれないが、英語としては馴染みがなかった。 その新聞記事は、植物写真でなく植物アナトミとしての植物図の紹介。やっぱり本物の方が、いいに決まっているが、たとえば木の種類がわからない場合に、このタイプの図鑑の方がわかりやすい。
私は、元々日本では床屋で世間話をするのが大好きだった。 寡黙でも饒舌でもないが、おしゃべりのできる床屋に通うのが楽しみだったのだ。 それが、こちらでは英語のせいでそれができないために、逆に苦痛になってしまった。 カットの時間は日本よりはるかに短いが、あの間ジッと黙っていることが辛い。 今日の床屋は、カットする人が四人。客も四人。 だが、楽しいはずの会話に混ざれない。 英語がわからなすぎるのだ。 もちろん話題は、フットボールとそしてタイガースに決まってる。 ジョークがテンポよく飛び交う、地元の親父達の他愛もない会話に混ざれないのは悔しい。
2006年10月07日
今朝のミシガンは朝から激しいサンダーストーム。 季節の変わり目のせいか、今週はずっとこんな天気だ。 日本の雷雨より、なぜか音も光もこっちの方が激しい。 朝から激しく雷鳴が轟くので、三男などはテレビの画面に注目。 というのは、天候のための休校を期待しているのだ。 確かに、大雪の時には、休校になる可能性が日本より高い。 地元の子供は、地元TVから情報を得ることになるから、それが映る画面に 俄然注目するのだ。 でもーーー、こんな程度では、休校にはならないよ。 米国に来た当初は、高校に行くのが嫌でたまらなかった長男は、 やっぱり休校期待のTVニュースを見ることが多かった。 自分の学校がテロップに流れて、安心して改めて眠りにつくって こともあったな。 4年たって状況は変わったけれど、そんなことを期待した時期もあったっけ。
2006年10月04日
Kさんのお誘いを受けてAndrews University Singersのコンサートに出かけてきました。 いやー、すごい実力でした。昔「天使の歌声」という言い方もありましたが、あのコーラスの重厚さ、本当に素晴らしいものがありました。 なんでもTake6のコンサートがキャンセルになって急に8月から準備と、Kさんはおっしゃっていましたが、皆さんの力量はものすごい。さすがアメリカの大学!?と変な感動です。 コンサートホールも立派でした。その後オーケストラもメンデルスゾーンの有名な曲(バイオリンソロ)をやってくれたのですが、もう一人の日本の方もクラリネットでがんばっていました。 もうミシガンも芸術の秋ですからね。 日本の方々の活躍のお陰で、久しぶりにすがすがしい気持ちで、家路につきました。
2006年09月30日
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こちらの会社関係の動きとして興味深いのはUAWという組合の動きです。 日本と同様、組合は最早、労働者にとってさえ魅力を感じないものになっています。 ですが、やっぱりGMやFORDそして、その傘下の企業が不振に陥っているだけあって、勧誘の動きは活発です。 日本企業に対する働きかけもあるのですが、地元の人の反応が楽しみというのか、少々注目しているところ。
2006年09月27日
なめこが好きなことは前にも話しました。 そして米国もこんな田舎のマーケットで、日本で見かけるキノコを見つけることは至難の業です。 しかし、最近、食材探しに必死の家内が、見つけてきました。 しかもマイヤーで!あの「ヌメリ」=光沢のある、まがいものでないナメコです。 商品名もNAMEKOです。 $1.99 韓国産のミソとの組み合わせで、今朝の朝飯になめこ汁がでたのですが、これがまた日本のナメコ以上!! あるところにはあるんですね。 ナメコ汁なんて、ご飯としか組み合わせようがないでしょうがーーー。 やっぱり自分は日本人だなと思いました。
2006年09月26日
今日は、久しぶりクララハウスで、飲み会となった。 「仕事でタマッているものを」はきだそうと同僚との飲み会。 ここで問題は酔っ払い運転。 このド田舎では、レストランから自宅までの帰宅手段は車しかありえない。 歩く?危険極まりないし、だいたい遠すぎて朝までかかっても辿りつかないだろう。 タクシー? この町には数台のタクシーしかない。だいたい5時以降で電話したとしても恐らく来てくれないだろう。 自分の車で帰るのが基本なのだ。 さて、そこでだ。 酔っ払い運転が許されないのは、言うまでもない。米国での酔っ払い運転への厳しさは日本とあまり変わりない。 このド田舎で、帰り道に運悪くパトカーに捕まることは、あまり考えられないが、有り得ないことではない。 年に数度のストレス解消をこのせいで、フイにしてしまうのも嫌だしーーー。 結局、正直なところ、 対応策は、1)外では飲まない。 2)やむなく外で外食があってもアルコールは控える そして、もしーーー 3)「捕まったら観念する」 これが現実の回答だと思うよ。
2006年09月14日
うちでは日刊紙をローカル紙と全国紙の二つとっている。 こちらの新聞は日曜版がものすごい量。 ロ-カル紙BCエンクワイアは、日曜がすごいのは地元の広告が入るから。 (河北新報と同じだが、それ以上) もう一紙がNew York Times。この日曜特集も半端でない。 Style,Book review,Sports, Business. それぞれ10数ページはある。 その二紙の新聞の重みで、当家のポストが倒れて、使い物にならなくなった。
2006年09月10日
連休の最終日の読書はLong tailこの手のビジネスもの、そしてインタ-ネットに関する読み物は、やはり私にも読みやすいことが判明。今後は、この分野の英語本にチャレンジしていこう。 やっぱり手がかりはNew york times のbest sellerもの。 Fiascoというイラク戦争ものは100ページでストップ。やはりボリュームがあるものは一日一冊は無理があった 骨休めに見たテレビドラマのDVD"OC"は青春物だった。 一話だけなのでなんとも言えないが、米国の格差社会や離婚や里子を背景にしたものなのだろう。日本でいうとなんだろう?青春ものといっても「俺は男だ」「赤い○○」くらいしか知らないもんな。 なんだか、この歳で、こんなにして米国ものを頭に詰め込もうとする自分がイタワしい。
2006年09月04日
カミさんと三男がチャンネル争いで、しょうも無い言い争いを繰り広げている。 韓国ドラマとアガシのUSオープン、どちらが録画するかで11時からの放映をどちらも譲らない。 あまりのエスカレートに次男が「ウザイ!!」と切れた!。ごもっともです。 蚊帳の外の親父は、地下のテレビ(録画ビデオが壊れている)で、ひっそりTVを楽しんでいる。「Who's line」というお笑いショー。なんだかよくわからないが、他のチャンネルよりは楽しそうなんで、眺めている。 流して見ていても英語は身につかないことが実証されました。
2006年08月31日
やっぱり国境は怖い。 下の子供二人は、2年間日本に返っていないのでi-94が期限切れを迎えた。 デトロイトの国境からカナダ入りし、すぐ米国にとって返し、国境の移民局で更新の策に出た。 はじめの入国審査で、i-94の更新をしたい旨を告げると、オレンジ色の紙をくれるのだが、それを車に貼り付けて、駐車場に向わねばならない。うっかりして、窓から手を伸ばして貼ればいいものを車から降りて貼ろうとした。 その瞬間「Oh, my god!」と怒鳴られてしまった。 国境では、許可なくして車から降りてはいけないのだ。 車を止めた後、移民局でも、緊張の場面があった。用意した会社の雇用証明にレターヘッドがなかったので、「証明にならない」と突っぱねられたのだ。もう一枚レターヘッドありのものが、車の中にあったので「車にとりに行っていいか?」と聞いたら「Sit down!」と言われた。 一挙手一等足を監視されているようなピリピリしたムードがあった。 場所はデトロイトのGMタワーの下、海底トンネルの国境だ。
2006年07月26日
今年は、なんと3回目のゴルフだ。 毎年、申し訳程度に一回だけでていたが、もちろん嫌いなので上達しない。 そんな中、今日のゴルフコースはこの辺でも距離が長く、もっとも難しいコースなんだと。 そのはずだよ。池ポチャ4回。ブッシュ入り6回。バンカー入り3回。(これは幸い少ない方) 池は自分の90度も右にあっても、吸い込まれるように入ってしまうのはナゼ? Thornapple Creek Golf Club 送別会ゴルフで、帰国する人が望んだコースだからしょうがなかったのだが、これは土台無理というもの。 16番は急激に下ってグリーンが見えるというコースなのだが、一緒に廻ったF氏はイーグルチャンスだった。自分はしっかり刻んで、空振りも含め十打はたたいた。
2006年07月23日
三男の現地校の友達が遊びに来た。 彼は、この夏高崎市との交換留学で数日、日本の家庭にホームステイするとのこと。ここには多くの日本人がいるから、日本に興味をもったのだろう。 彼を囲んで食事をした時感じたのは、我が家もまあまあ進歩したかなということ。というのは英語で会話することを恥ずかしがらなくなったからだ。もちろん、互いに「変な英語だな?」と思うこともあるのだが、普通に英語で話しが進むようになっている。 こちらにきた当初、米国人を招待して団欒しても、家族同士は日本語でしゃべってしまうとか、親父とその人の会話を黙って聞いてしまうとか、通常の英語の団欒にはならない状態だった。 子供の英語での会話を聞いていると、もう格段にレベルアップしていて、何が可笑しいのか、何がトピックなのか、理解できずに立ち入れない時もあるほどだ。 カミさんが手料理でそういった子供の友人をもてなし、そして子供も交えて英語で会話がはずむというのは、ちょっとした「幸せの瞬間」なのかもしれない。反抗期を迎えて、生意気な息子達との「激しいやりとり」も多いだけに、たまにはこういうこともあるということかな。
2006年07月20日
という言葉があるかどうか、従来は眠りが浅く、夜中に誰が起きたとか、雨が降りだしたなんてこともわかるほどだったのに、体質が変わったのか眠りが深くなった。 というのは、会社で漏水があって、「どうして突然漏水なんか起きるんだろう?」と聞いたら「昨夜の大雨のせい」という。「大雨なんかあった?」と聞くと「ひどい雷と稲妻があったろう」ということで、自分が雷雨の音に気がつかなかったことが判明したのだ。 こちらの雷雨は半端じゃないし(雷雨のことをサンダーストームという)、昨夜のは、停電や漏水も起こしたのだから、相当なものだったらしい。それでも、目を覚まさなかった。 眠りが深いのは悪くない、と思う。疲れて帰って、一杯やってるし、眠りが浅かった時期よりはいいかもしれない。「気がつくと朝」、って眠り方も悪いわけではないが、「歳はとったな」という感慨がある。
2006年07月18日
修理不能で、新しく買わねばならないと、観念しておた矢先、救世主が現れて、芝刈り機を修理してくれた。 修理店に持ち込んで、修理だと$200。新品購入を薦められていただけに、うれしかった。 直してくれたのは、またもや警察官の大家さん。 芝生が雑草ばかりの状態であることもあって、芝刈り機の故障も含めて、思い切って相談したのが良かった。 すぐ駆けつけてくれて、やったことは芝刈り機を裏がえして、ブレードを数回回してくれたことだけ。専門店の人も含めて、複数の人に見てもらったが、誰も直せなかったのにだ。正直、うれしかったよ。
2006年07月14日
連休の過ごし方というものは、結局、ダラダラと流れてしまうもののようだ。 今回は、初日からカミさんが「寝違え」で「クビが廻らなくなった」ことで左右されてしまった。(「クビが廻らない」というのは我が家の家計のようでもあるがーーー) いつもやりたいと思って取り組みたかったこと。新聞の「ため読み」、インターネットの「貯め読み」、テレビの「貯め読み」本の「貯め読み」とあるのだが、どれも中途半端に終わってしまう。 カミさんが調子が悪い時のいつもの手段はカレーだ。他のものだと評判が悪いのでこれにした。 いままで使用したことがないものを、これでもかとブチこんだ。 ズッキーニとグリーンペッパー、そして「巨大」エッグプラント。 今日は、割とうまくいったと自分では思う。 子供達は、何も言わない。大分前にルーを使わないで、カレースープになってしまて以来元々親父の料理には期待していないし、あきれている。 ズッキーニも、圧力鍋で30分でかなり柔らかくなることが判明。皮もむかなくてよかった。(それさえも知らなかった。)巨大エッグプラント=デカなすは、なんのことはない。あまり普通のナスとかわりないではないか。 グリーンペッパー。これは要注意だ。かなり辛い。どのくらいの辛さかわからないので、種をとったものと、とらずに丸ごと一個と比較してみたが、やっぱり相当辛くなった。要するにトンガラシのことだもんね。 牛肉の煮込みが入ったのが、救いになったのか、子供達はよく平らげた。
2006年07月02日
ゴルフは苦手だし、嫌いだったが、ミシガンがゴルフ天国であることは周知の事実。 金曜の仕事を終えて、5時から廻るハーフコースは格別だった。 値段は$18だから、格安というほどではないが、今日は少々汗ばむくらいだったが、何せ気持ちがいい。会社から10分のロケーションも丁度いい。ゴルフ嫌いも、ひょっとして治るかもーーー。
2006年06月16日
妻に「騙されて」今年も5キロマラソンに参加。今年は地元の企業ケロッグの百周年とかで、その記念マラソンに出ることになった。 案の定、結果は妻にも大差をつけて負けてしまったのだが、この大会の記事をみると、ケロッグのCEO=最高経営執行人のジムジェニスさんも参加したらしい。 日本でもそうなのかもしれないが、レースの参加から、時間や順位について、ウエブサイトで簡単に見つけられる。で、そのCEOジムさんの結果を見て、愕然としてしまった。彼は60歳で5キロを20分54秒で走るのだ。 ま、私の記録はひどすぎるので、好評するのは控えるが、そういった比較もありありとできる便利な時代になったということか!!写真はケロッグのシリアルフェスティバル(新聞エンクワイアより)
2006年06月10日
日本では、「大自然」という居酒屋経営かつ「きのこ狩」の名人Y氏に大変お世話になった。 ここミシガンのキノコ事情は、日本と少々違っていた。第一にキノコの季節が春先と秋に別れていて、春先にキノコが出回ることだ。 でも、ミシガンは、私の知っている限り、キノコの種類では日本の敵ではない。 といっても、5月下旬に、林の中で見つけられるのがこのモレルだ。 先日も、林の中からひょっこり現れた老人が、手にしていたのがこのキノコだった。 マーケットでは、結構な値段がついていて、まだ食したことはないのだが、美味だというもっぱらの噂だ。
2006年05月30日
この三連休は、アッパーミシガンに行って、あとはノンビリと過ごしました。 長男は、おばあちゃんからもらったお小遣いで、ノートパソコンを買ってご満悦。結局、今のところ二台しかPCが動いてなかったので、また3台目が稼動で、ちょっぴりワイアレスが役にたったかなというところ。今までは、ムダだった気がする。 そのワイヤレスのパスワードを覚えてなくて、半日稼動しませんでしたが、長男が自力で復旧。少しは、パソコンに慣れてきたようです。(親父ができなかった負け惜しみ) 三男は、テニスのトーナメントで三戦全敗。でもけろっとして帰ってきて、湖に遊びにいきました。次男は、高校のSENATOR(生徒会)に立候補して、当選したとか。なんにも話してくれないので様子がわかりません。高校のwebを見つけたら、掲載しましょう。 かみさんは、10日にまたマラソン5kに挑戦だとか。バーベキューも楽しんで、ラーメンを作ってくれました。ミシガン旅行ではアンティークの店屋を見つけ出しては、ナにやら店主と値下げ交渉をしてました。下の写真はその一軒の看板。
2006年05月29日
近況ですが、週末ガレージセールをやってみました。子供達が大きくなってきて、学習机や子供用自転車、そして子供服などが邪魔になってきたので、当地で初のチャレンジ。かなり値下げした値札にも、「安くしろ」と交渉されるのがこちらの流儀。でも、壊れたパソコンや、動かないビデオデッキも3ドルで買っていってくれました。さわやかな風と暖かい日差しの下、戸外にチェアをだして「古本を読む」のが一番の週末の過ごし方ですが、皆さんは如何?
2006年05月21日
ミシガンもすっかり春めいて、若葉が一斉に目を吹き出した。 今日は久しぶりにゴルフにも行ったけれど、やっぱりルルとの散歩のほうが性に合っている。ミシガンの小鳥のさえずりや、木々の芽生えに耳を傾ける方がよっぽど楽しい。日曜でも6時過ぎには散歩に出かけるのだが、小鳥の鳴き声と、その名前を特定してやろうというのが、最近のチャンレンジ項目。予感に過ぎないが、啄木鳥(きつつき)や梟(ふくろう)の類で、明け方に特徴のある声をあげている鳥が確かにいる。できれば、これを写真におさめ、英語名の特定をしたいのだけれどーーー。
2006年04月23日
ある人をめぐって訴訟が起こされている。 性差別、国籍差別、FMEL差別(健康をめぐる差別)と、これでもかといったラインナップ。 私の感覚では、こんなことが起きたこと事態で、即刻「クビ」だし、米国の常識としては「No tolerance]として明確な、毅然たる態度をすべきことだと思う。それが、そういった明確な態度を示せない。 アホやね。
2006年04月04日
こんなに悲惨な監査を受けたことがないので、今回はホンとに未だに息を抜けない。 まあ、経理体制が一新したうえに、年末に追い討ちで退職者が出たんではどうしようもなかった、と言い訳はあるがーーー。なんでこんなに人が定着しないのか?という問題はあるな。今の体制も、いつやめられるかビクビクしなければならないしね。 そういう意味では、日本ではこんなことが起こるはずもないから、この状況は理解できないだろうな。
2006年02月11日
コメント(1)
全く息もつけないほど忙しかったのだが、どうやらホンの一息。 決算監査の最中に日本から出張者が来るのは最悪だった。「わかってない」とノタマウ本人が一番何にも分っちゃいないケースが一番の「茶番」だ。 茶番であることがしっかり見えるので、会議の最中に思わずゲラゲラ笑い出したのはヒンシュクだったかも。本社だということだけが「唯一の御旗」で、その高飛車な態度には驚くばかりだ。 なんらかの誠実な態度のない輩には、とても聞く耳などもっていられない。
2006年01月25日
余興やプロジェクトの「段取り」という奴をこれまで何回かやてきたが、終わったあとで「幹事の段取りが今一」といわれるのが一番嫌だ。 もう大分昔だが、会社で東京から長野行きのスキーツアーを企画して、「貸しスキー」の手配がうまくいかなかったことがあった。これも「段取りが全てだね」という一言が耳に痛かった。 今回は、日本人会の新年会で、幹事役だった訳だが、二つ悔いが残った。 教訓を書いておこう。1)進行企画はウケ狙いプラススピード(テンポ)2)行き詰っても即決進行 やはり時間「押しています」「なるべく短く」というプレッシャやアクシデントの中でも、スピードが重要だということだ。
2006年01月14日
英語が会社生活の柱なのだけれども、やっぱりわからないものはわからない。 製造現場で品質の質問を交わしながらも、50%はわからない。大事なことを依頼して、そいつが抵抗して依頼に答えてくれない場面で、やんわり説得する術が分らない。残業してくれて一生懸命やってはいるのだが捗らない。こっちのプレッシャを与えていることへの申し訳なさと、その緊張感を和らげることを言いたいのだけど、英語の言い回しがわからない、なんかそういった英語圏に暮らしながらも、今一のコミュニケーション能力の伸びの無さが悩ましい毎日だ。
2006年01月12日
去年の暮れからジャパンTVを止めた事もあって、こちらで見られる日本の番組は限られている。 そのせいもあってケーブルTVの選択は少々多めに見られるようになっている。その中でも注目はクラッシックムービーとアジアンチャンネルだ。 クラッシクムービーに注目していると宮崎駿や黒澤明が何気なく登場する。またアジアンムービーでも韓国や香港のドラマが流れる。 昨日は「千と千尋の物語」だったし、今日は「八月のラプソディ」 結局、日本モノに流れてしまうということだがーーー。
2006年01月07日
引越しの梱包ででたダンボールのゴミもばかにならない。 新年の最初のゴミの日、我が家の前には大量のダンボールごみが積み上げられた。それをこちらの市の回収者は丸ごともっていってくれた。 こちらでは日本のような共同のごみ捨て場でなく、一軒単位でゴミを置いておき、それを回収してくれる。今回のように、大量に出ても回収してくれるのだ。 何か申し訳ない気持ちになった。
2006年01月06日
WALL STREET JOURNALの12/29の日本の「NEET」の記事について少々気になることがある。 この記事は日本の20-30代に"not in education.employment or training"が増えつつあることを話題にしているのだが、こういったNeetを生み出した現代の40-50代の問題に触れている箇所だ。 要は、40-50代の親は、「自分の息子・娘にだけは自分の道を歩ませたくない」=「夢を持たせたい」。「夢をもとう」とする20-30代の子供達がなかなか自分の職を見つけれずに、いつまでも「親の庇護」=NEETに甘んじてしまうというところだ。 NEETは現代の問題を複合的に孕んでいると思うのだが、特に40-50代の自信喪失と子供達の就職問題にも大きく影響を与えている点、自分自身にも全く当てはまるし、面白いと思う。 当事者たる年代として、この問題に答えていきたいと思う。
2006年01月04日
今年は家族にとってあまりいい年ではなかったかもしれない。そういう年もあるさ。家族で話あった十大ニュースは統一がとれなかったので、独断と偏見でーーー 1.家族で夏休みニューヨーク旅行、ショッピングに食事にと堪能する。 2.ルル「ぎっくり腰」で入院。皆で心配する。 3.会社都合でクリスマスに引越し。新しい住処に。 4.長男、日本の大学に果敢にチャレンジ。 5.次男、マスサイエンスセンターで学業に活躍 6.三男、テニストーナメントで初勝利。すっかり米国に溶け込む。 7.姪っ子がシカゴ経由で遊びに来る。 8.おばあちゃんの七回忌、岡山にて。 9.兄弟で地元高校サッカーに活躍。 10.母さん、教会で日本語の先生に。米国での友達の輪を広げる↓は新居のべースメントの様子。
2005年12月31日
引越しを機会に、ケーブルに変えたこともあってインターネットにアクセスできなかったが、やっと復旧。 3台のパソコンでやっているラウターの再インストールが必要なことに気がつかなかったのだ。 ケーブル会社のサービスのオバサンがアドバイスしてくれてやっとわかった。 ケーブル会社の電話サービスには合計6回も質問したが、それも結構苦労したなあー
2005年12月30日
新しい新居といっても、実は築30年くらいは経っている住宅だ。 前の家も、ソフナーの質、地下室の使い勝手、ヒーターの故障、スプリンクラーの故障と毎日がそういった不具合との格闘であった。 今度の家は、直前まで日本人が住んでいたこともあって、古いといいながらも、住宅の質が安定しているだけましかも知れない。 でも、越してきて数日でも、やっぱり問題だらけだ。 ルルをどこから出入りさせたらいいのか、それもちょっと悩んでしまう。ルルの足をふき取る過程で、どうしても玄関のマット部分が汚れてしまうのだ。 一戸建ての良さと同時に、その奥の深さというのか、難しさを痛感する
2005年12月29日