ウズベキスタンへの旅(その1 : ウズベキスタンへ : 5/22)
【海外旅行 ブログリスト】👈リンク5/22(火)からウズベキスタンへ6泊8日の旅行に、いつもの旅友Sさんと行って来ました。事前にウズベキスタンガイドをBOOKOFFで購入、地球の歩き方は図書館で借り予習。事前にツアー会社のクラブツーリズムから旅のしおりそしてウズベキスタンガイドも送られてきました。『神秘のカラカルパキスタン共和国へ はじめてのウズベキスタン 8日間』カラカルパキスタン共和国はウズベキスタン内にある民族、言語、文化、そして国旗までもが異なる自治共和国。この共和国で最も知られるのは「縮小する湖」アラル海。かつては世界で四番目に大きな湖が、今やなくなりかけていて、 あと数年で姿を消すとまで言われているのです。今回のツアーは総勢18名、後で解ったのですが男性7名、女性11名、そしてその中にご夫婦が2組。平均年齢は65~70歳前後?。ウズベキスタンの最大の魅力は、何と言っても壮大なイスラム建築群。空に高くそびえるミナレット、美しい装飾タイルで飾られた壁や印象的な青いドーム。そして砂色した町並み。シルクロードに最も近いイメージの国ではないだろうか。砂漠のオアシスのほとり、月あかりの下でラクダと商隊がまどろんでいる…そんなイメージの国。シルクロードとは、中央アジアを横断する古代の東西交易路。今年の3月に訪ねた中国・西安(長安)を起点として、中央アジアのオアシス都市国家群を通り、パミール高原を経て西アジアから地中海に至る。絹は古代地中海では産出されず、中国特産の絹がこのルートによって運ばれたことから“絹の道(Silk Road)”と、19世紀末、ドイツの地理学者リヒトフォーフェンによって命名された。 ウズベキタンの人々は、敬意を表し「The Great Silk Road」と呼んでいるとのこと。ウズベキスタン共和国(ウズベク語: OʻzbekistonRespublikasi)、通称ウズベキスタンは、中央アジアに位置する旧ソビエト連邦の共和国。首都はタシュケント(タシケント)。北と西にカザフスタン、南にトルクメニスタンとアフガニスタン、東でタジキスタン、キルギスと接する。国土の西部はカラカルパクスタン共和国として自治を行っており、東部のフェルガナ盆地はタジキスタン、キルギスと国境が入り組んでいる。国境を最低2回越えないと海に達することができない、いわゆる「二重内陸国」の1つ。「二重内陸国」は世界に2国しかなく、もう一つはリヒテンシュタイン公国。更に国境を越えて海に流れ込む河川はウズベキスタン国内には皆無。北部のカラカル・パクスタン共和国内にあるアラル海は1960年代までは日本の東北地方とほぼ同じ大きさの湖沼面積を誇る世界第4位の湖(約66000〜68000km2)だったが、半世紀で約5分の1に縮小したのだと。アラル海には北東部にシルダリヤ川、南部にアムダリヤ川という二つの河川が注ぐのみでアラル海から流出する河川はない。アラル海の水位低下の直接的な原因は、アラル海への流入水量をアラル海からの蒸発水量が大幅に上回ったこと。そして綿花栽培用の潅漑施策の失敗とのこと。〇がこの旅で訪ねた場所。ウズベキスタンの通過は「スム(UZS)」 現在、流通している紙幣は、5万、1万、5000、1000、500、200、100スム。以下の紙幣と硬貨の流通はまれであると。紙幣50、25、10、5、3、1スム。硬貨500、100、50、25、10、5、1スム。この日の為替レートは1 UZS=0.01368 JPYよって1,000スム(UZS)=13.7円。1,000円≒73,000スム(UZS)。円換算の桁が違う通貨で、金額表示の桁数の多さにかなり苦労したのであった。そして送付されたガイドブックの通貨資料は下記の如くチョット古かったのであった。パスポートも忘れずにパスポート入れに、そして首からぶら下げ上着の下に。今回も年季の入ったトランクと30Lのリュックで。6:20に旅友Sさんが我が自宅に愛車で迎えに来てくれました。そして成田空港へと東海道1号線を走り、横浜新道へ。首都高速神奈川2号三ツ沢線から神奈川1号横羽線へと進む。昭和島JCTから首都高速湾岸線を利用して東関東自動車道方面へ。首都高速湾岸線東行大井本線料金所を通貨。フジテレビ前を通過。酒々井PAでトイレ休憩した後は成田JCTから新空港自動車道へ。第1ターミナルへ向かう。成田空港管理ビルが前方に。奥がランプコントロールタワー、手前が管制塔。第1ターミナル南ウイングに到着。我が家を出発して2時間弱で到着。時間は8:20。酒々井PAでTELしてあったため、今回の予約駐車場の係員が数分で到着し車を預け荷物を持ち、集合場所へ向かう。この日のフライトは11:05発タシケント行き。南ウイング4F出発ロビーのツアー旅行受付カウンターへ。k-10、11番カウンターで今回の添乗員のM氏からeチケット、ガイドレシーバーをもらうが名前が自分のものでないことに気がつく。同姓のお客様がおり間違えて渡してしまった模様。しかし同姓の方も間違っている事にすぐ気がつかれ、戻って来てくれたのであった。10数年来の毎年の海外旅行であるが同姓の方が参加されたのは今回が初めて?なのであった。そしてウズベキスタン航空カウンターでチェックイン。日本円を米ドルに両替した後は、出国審査場へ。そして免税店をしばし散策し、洋酒を2本購入し搭乗ゲートへ。この日のFLIGHTはウズベキスタン航空 HY528便 11:05発タシケント(TASHKENT)行き。2レターコードの「HY」はウズベク語の「航空路(havo yo‘llari)」からとられたものと。国名や会社名ではなく「航空路」という語をIATAやICAOのコードとして使用する事は非常に珍しいケースであるとのこと。現在ではタシケントから国内外50都市を結ぶサービスを提供しており、国際空港5カ所を含む11カ所の空港を所有。日本発着路線は、週2便でタシケント〜成田~関西、及びタシケント〜関西〜成田を運航していたが、2011年4月よりタシケントから成田への直行便となった。しかし2013年10月25日をもって運休となった。なお、他の航空会社との提携、連携やアライアンスへの加盟は行っていない。2014年4月4日からタシケント〜成田線が、週2便(火・金)運航再開されたのだ。この日の機種はB767-300ER。そして11:45に成田空港を離陸。機窓から九十九里漁港が。埼玉県上空を通過し日本海に進路を向ける。成田(東京) - タシケント間の距離は約3,750マイル、約6,040Km。飛行時間は9時間30分。ウズベキスタンとの時差は-4時間。暫く飛行後に残雪の東北の山々が。福井県越前市上空から日本海へ出る。この頃には飛行機は雲の上に。最初のドリンクにはアサヒビールを。この旅の最初の機内食を楽しむ。韓国上空を横断。黄海上空を飛び中国大陸へ。中国大陸に入ると眼下に飛行機の姿が見えた。中国国内便か?内モンゴル自治区の山々。ゴルフ場。烏梁素海(ウランスハイ)が眼下に。内モンゴル自治区バヤンノール市ウラド前旗にある淡水湖。 面積280km2、南北35~40km、東西5~10km。黄河の旧河道が切り離された三日月湖。内蒙古自治区鄂尔多斯市杭锦旗618县道近くの砂漠には多くの円形が。潅漑農地であろうか?包蘭線(ほうらんせん)が見えた。中華人民共和国の国鉄鉄道路線。内モンゴル自治区包頭市と甘粛省蘭州市を連絡する。全長は990km。蘇泊淖爾(スーポオノール)。青き湖。白い乱れた曲線のカオスの世界が眼下に。ウルムチ(烏魯木齊)手前の白き山。ウルムチは、天山山脈北麓のジュンガル盆地東南縁に位置する街。言語・文化・経済の面などにおいて、中国の東部よりもタシケントのようなはるか西方の各地とより強く結びついていると。田園の中に飛行場が。ウズベキスタン航空の2回目の機内食の軽食を楽しむ。天山山脈の白き山々の姿。タシケントの街並みを機窓から。主要道路はかなり広く感じた。そしてバイクの数の少なさも。タシケント国際空港に無事着陸。正式にはイスラム・カリモフ・タシケント国際空港。4000mクラスの滑走路を2本持つウズベキスタン航空のハブ空港。後部タラップから飛行機を降り、バスにて空港ロビーへ。バスにて空港ロビーに移動。税関申告もなく入国手続きを無事終える。これまでウズベキスタンの入国にはビザが必要であったが、2018年2月からは30日以内の滞在に限りビザが免除されたと添乗員から。加えて出入国カードも無し。驚くことに、所持金がUSD2,000以下の場合は税関申告書も不要とのことでつまり、提出書類が一切なかったのであった。トランクを受け取り再びバスにて南側にある国内線用飛行場ロビーに向かう。タシケント空港からウルゲンチ空港まで国内便にて移動。HY057便 18:40発。国内便もバスにて移動し、後部タラップから飛行機に乗り込む。1時間40分でウルゲンチ空港に到着。時間は予定より早い20:00前の日没直前。空港ターミナルビル・ロビーからの夕焼け。こちらはウルゲンチ国際空港ターミナル。美人女性の現地添乗員に迎えられバスにてこの日のホテルのあるヒヴァに向かう。車窓からの夕焼けも美しかった。シャヴァト運河を渡る。そしてヒヴァ城イチャン・カラのオタ・ダルヴァア門(西門)前に到着し、バスを降りる。時間は21:18。イチャン・カラとは「カラ」=都城の「イチャン」=中の意味とのことで城壁の外側はディチャン・カラと呼ばれていると。かつては11の門が街を守っていたと言われるイチャン・カラ。この日の宿はイチャン・カラにあるホテル。トランクを転がしながら西門を潜り城内をホテルに向かって歩く。目の前にカルタ・ミナルが現れた。基部の直径は約14m、高さ26m。鮮やかな青の色釉タイルで装飾され、ライトアップされていた。右に曲がると城内で一番高いミナレットを持つイスラム・ホジャ・メドレセが前方に。そしてこの日の宿・ホテル マリカ キーバック(HOTEL MALIKA KHEIVAK)に到着。イチャン カラ中心部に位置するこのホテルは、イスラーム ホジャ ミナレットとモスクおよび金曜モスクから歩いて直ぐ。パフラヴァン マフムド廟およびアラ クキ クハーン マドラッサホも5分圏内。フロント前にてパスポートを添乗員に預け、明朝のスケジュール時間を確認し部屋に。小綺麗なツインの部屋。時間は21:40。今回も自宅を出てから15時間20分の大移動(GREAT JOURNEY)!!。そしてバスタブ付きのシャワー室とトイレ、洗面所。汗を流し、成田空港で買ってきたウイスキーでこの日の反省会を二人で。そして23時過ぎには長い移動の疲れも有り爆睡したのであった。 ・・・つづく・・・